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Diggin LIFE 掘って掘って掘りまくれ!

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2021年映画館で観た映画トップ10

1位

とにかく心地良く、それでいてサイケデリックな世界観最高。

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2位

青春の終わりと映像の進化を存分に見せてくれた。

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3位

今まで何故見なかったのかと思わされるほど極上のロードムービー

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4位

カタルシスマックス。女性モノでここまでハイになれたのは珍しい。

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5位

オヤジの底力と爽快感が半端無い。とにかくスッキリ、そんな作品。

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6位

感化されて写真を撮りにいくほどパンクの新たなDNAを見た。

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7位

青春はかけがえないけど、だからこそ最高に燃え上がる。好きなもののセンスも含めて良い。

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8位

映像表現としての強度を見た。続編が楽しみで仕方がない。そしてメランジ美しい。

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9位

60年代の暗部を描きながらも垣間見える華の部分に心酔した。

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10位

なに、このテンポ感、裁判と思えないスリリングさと音使い、アクション映画にも似た、上がる感じ。

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パシフィック・リム

造形美と心地良さこそデルトロの本質。

パシフィック・リム

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ヘルボーイ」「パンズ・ラビリンス」のギレルモ・デル・トロ監督が、謎の巨大生命体と人類が開発した人型兵器との壮絶な戦いを描いたVFX超大作。

2013年8月11日、太平洋の深海の裂け目から超高層ビル並の巨体をもった怪物が突如出現し、サンフランシスコ湾を襲撃。

「KAIJU」と名付けられたその怪物によって、わずか6日間で3つの都市が壊滅する。人類は存亡をかけて団結し、環太平洋沿岸(パシフィック・リム)諸国は英知を結集して人型巨大兵器「イェーガー」を開発。KAIJUとの戦いに乗り出す。

それから10年が過ぎ、人類とKAIJUの戦いは続いていたが、かつてKAIJUにより兄を亡くし、失意のどん底にいたイェーガーのパイロット、ローリーは再び立ち上がることを決意。

日本人研究者のマコ・モリとコンビを組み、旧型イェーガーのジプシー・デンジャーを修復する。菊地凛子が演じる日本人女性マコの幼少期役で芦田愛菜がハリウッドデビュー。

なんとなくデルトロ作品が観たくなる今日この頃。

まずは怪獣8号にハマっていることもあったのでこちらから鑑賞。

相変わらずバトルシーンであったり細部への作り込みに半端無いこだわりを感じる。

正直ストーリー的な弱さであったり、脚本の抜けの様なものも感じる作りだったものの、それはこの物語をこの時間に収めようと思えば至極無理な話だからかと。

そもそもデルトロ映画の本質ってそういう所にあると思っていなくて、どちらかというと観ている時の映像としての『心地良さ』じゃないかと思ってるんですよね。

それは美術的な作り込みであったり、アクションのディティールであったり、画面自体のカラーリングであったり。

その意味で本作もやはり心地良さがあって、それだけで良いと思ってしまうほど世界観が好きなんですよね。

本作はそれにプラスして怪獣とロボットという以前の日本の十八番といってもいいコンテンツを対象にしており、その迫力やスケール感に圧倒されます。

圧倒される為に観て、感覚的に受け取る。

もはや本作の気持ち良さはそれに集約している気すらします。

バトルシーンはやはり何とも言えない高揚感がありますし、個人的にはロボット(イェーガー)を格納している格納庫の雰囲気がとにかく好き。

ベケットがマコに案内されているシーンなんかは、まだTVゲーム隆盛期の画面内に抱いていたSF的高揚感みたいなものが蘇ってきましたし、ネオンの色彩、場所としての存在感、そこにいる人々の動きであったり、書かれている標識の数々にとにかく痺れた。

もう少しこの世界観を観ていたいとか、深堀された世界観を知りたいというような願望はありましたが、これはこれで存分に楽しめた。

間違いなく大スクリーンで観るべき映画なことを再確認しつつ、少しデルトロ作品を深堀しようかと思います。

ジャケ写的であり写実的~絵画的構図編~

今回はこちら。

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抜けている空や海のバランスと濃密な森のディールに惹かれて。

色のバランスだったり、立体感だったりと写真自体が一枚絵のような印象を受ける仕上がりが好み。

撮る場所を選ぶだろうけど、冒険みたいな感覚で散策している時に出会える気がする。そんな風景を撮ってみたいところだ。

隠し剣 鬼の爪

形式美とその残酷さ。

隠し剣 鬼の爪

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人気時代小説作家、藤沢周平の剣豪小説「隠し剣」シリーズの「隠し剣鬼の爪」と、人情時代小説「雪明かり」を原作に、「たそがれ清兵衛」の山田洋次監督が映画化。

幕末の東北の小藩。秘剣を身につけた下級武士、片桐宗蔵は、かつて好意を抱いていた奉公人きえが病に倒れたと知って引き取り、心を通わせていくが、藩の江戸屋敷で謀反が発覚し、お家騒動に巻き込まれる。

共演は高島礼子小林稔侍、田中邦衛、倍償千恵子ら。

冒頭の画的なシーンに始まり、とにかく画が美しい。

なんで時代劇を見ていると美しいと思ってしまうのかと思う時が多々あるんですが、その一つに様式的な美しさが内包されているからかなと思っています。

本作でもそれはあって、昔の身分制度アイデンティティとしての存在、家の作りであったり、着るものであったりといった生活における様式。そういった様式的な美しさがあるからこそ画的にも美しく見える。まあ山田監督の画角へのこだわりも当然あるんでしょうけど。

特に作中での雪のシーンは美しかった。その時に存在していたであろう気持ち的な儚さと雪の降る情景が重なり、ただただ美しかった。

そしてそこにいた松たか子も美しかった。松たか子ってどことなく抜けているというか完全な美としてのイメージよりも、雰囲気としてのそれがある女優さんだと思っていたんですが、本作を観るとそれ以上に美しい。色の白さと着物の色味、そして古風な顔であったり、表情、それら全てを含めて絶対的に美しく見える。

最近時代劇を観ていて思ってきたことがあって、それは自分が時代劇に求めているもの。

『剣豪』と『儚さ』。

剣豪というのは今は無き、武芸でもって命を懸け、対峙し、誇りを持って生きるカッコ良さ。これって言い換えると自分の生き方に責任をもって生きることだと思っていて、一つ一つの判断や所作ということを意識しない現代において逆にカッコよく見えるというか、そういう生き方の方が美徳があるというか。そんな趣が武士にはある気がして、憧れてしまいます。

あと純粋に殺陣も含めたアクション的なカッコ良さがある。これも他の武器とは違っている気がしていて、なんというか個人としての研鑽や姿勢そのものが剣技に現れるというか。とにかくその人でなければ出来ない感が半端ない気がして、故にらしさが際立つ。そういった諸々を包括したカッコ良さがあるから惹かれる。

儚さというのもある意味似たところもあって、現代に無い、人間としての儚さそのものがある気がして、そこにも惹かれる。決して華がある映画でも無いし、娯楽作ではないけども風情ある感じ。

原作の藤沢周平作品にあるそういった感じは踏襲しつつ、結構いい感じに仕上がっている気がします。

では。

壬生義士伝

馬鹿にされたっていい、貫けばきっと誰かがわかってくれるはず。

壬生義士伝

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新選組に参加した、名も無き武士のひたむきな生き様を描いた時代劇。

監督は「陰陽師」の滝田洋二郎

浅田次郎の同名小説を基に、「あ、春」の中島丈博が脚色。撮影を「姐御 ANEGO」の浜田毅が担当している。主演は「竜馬の妻とその夫と愛人」の中井貴一と「うつつ UTUTU」の佐藤浩市。第15回東京国際映画祭特別招待、芸術文化振興基金助成事業作品。

時折、時代劇ブームみたいなものがやってくるんですが、やはり自分は殺陣であったり、侍であったり、過去の精神であったりといった、そうした価値観が好きなのかもしれない。

今となっては失われてしまったものが多いのかもしれないけれど、観るとやっぱり感動するし、日本人の精神性みたいなものを感じる。

まず中井貴一演じる貫一郎の役がかなりハマっているなと思った。柔と剛と言いますか、抜けた感じと田舎者臭さが漂っている雰囲気にも関わらず、決めるところでは決めてくるし、その時の表情や佇まいに、ぼんやり感は微塵も感じない。この塩梅が両立する役者さんはそういないんじゃないでしょうか。

夏川結衣演じるしずも見事で、凛とした表情や振舞いにグッと持っていかれる。舞を踊っている場面や結婚時の正装なんかは美しさと頭一つ抜けた感があり、抜群に綺麗だった。ぬいを演じた中谷美紀もそうだけど、本作内で登場する女性の綺麗さはストーリー上の不可欠な要素だった気がするし、その儚さと存在からもみられる『らしさ』っていうのはやっぱり必要なんだと思った。

昨今だと男女平等だとかフェミニズムだとかポリコレだとか色々なことが取り沙汰されているけど、そういった概念偏重になること以上に、その人らしさとかそういったものの方が重要なんじゃないかと思わされる。

そういう意味で本作で描かれている個々人は、女性らしさや男性らしさといったことも含んでの、その人らしさが良く表れていると思う。

他の概念もそうで、貫一郎の雰囲気を観ていると、人の中にある強さの形は様々で、上っ面じゃない、核なる信念みたいなものこそが重要なんだろうな改めて痛感させられる。

「自分の人生が」とか「やりたいことして生きていく」とかそういった類の生き方もそれはそれで良いのかもしれない、でも、真に重要な事ってそこには無い気がして、突き詰めると『義』というか『信念』というか、自分の中にあるブレない軸にこそ、その人なりの価値がある気がする。

そういう人っていうのは結局生き様として観た時にカッコいいと思うし、関わった人にも何かしらの痕跡を残せるんだと思う。

別にそんなことは目的に無いんだろうけど、それも含めてその精神性に打たれるし憧れてしまう。

逆にそれらが無い状況も本作では示されていて、その最たる例が『長いものに巻かれろ』精神。

仕方が無いと割り切ってしまえばそうなんだろうけど、そんなことこそ、そんな判断を下している中においては、自分という存在であったりに価値は見出せないと思うし、とにかくダサすぎる。

ダサいと言えば、見た目だったり、持っているものであったりといった外見で人のダサさが計れないと思った点もあった。

普段そういったことで人の也を判断しがちだと思うし、自分自身もそう思っていた。だけど、本作で描かれる貫一郎の、身なりもボロボロ、持っている剣も無名、身分もそう。それでも守るべきもの、守るべき信念、貫くべき義、こういったものを積み上げていくことで得られるのは何物にも代えがたい内面的な美徳であり、カッコ良さなんだと気付かされた。

カッコいいものにカッコ良くしてもらうんじゃなくて、己を磨いて、自分の持ち物をカッコ良く見せる。そのことの方が実はカッコいいことなんじゃないか、そんなことを思わされたりもしました。

映画的なことに話を戻すと、映像的な部分でも対称性のある画面にはハッとさせられる部分があった。

ここぞという場面での写実的で対称性のある構図、ただただ綺麗で、見入ってしまうシーンがいくつかあり、映像としての美しさが一層場面内での人物のそれを際立たせていた気がする。

音楽に関しても久石譲の楽曲はやはり素晴らしい。静寂の中で流れる音の優雅な含みであったり、効果的に使われる無音時との対比が素晴らしい。感動を助長させるといういみでも過剰になり過ぎない演出が効いていたと思う。

とまあ色々と書いては見たものの、観て感じることの方が重要なのは言うまでもないわけで、自分はこういった時代物の精神性が好きなんだと再確認したわけでして。

小説もこういったものはたまに読むんですが、最近は読めていなかったのでまた本作の原作含め読んでいこうかと思っております。

何もかも憂鬱な夜に

一人の人間は全ての人間の縮図。

『何もかも憂鬱な夜に』

中村文則さんの作品はいくつか読みましたが、これはやっぱり好き。

彼の作品は常に人間の内部を晒すものが多い気がしますが、本作は中でも確信をついている気がします。確信というと明確な答えが用意されている様に思いますが、本作はその逆、ぼんやりと浮き上がらせてくる感覚に近い。

人間の善悪もそうですし内面の葛藤もそう、本来相反する様に見えるものって意外に近い感覚だったりするわけで、それが本当に見事に表現されている気がする。

文体も読みやすく、ビジュアルのイメージも湿度を伴って感じ取れる。ご本人も後書きで書かれていたんですが、『水』を意識して書かれていたとのこと。その辺の滑り感という、独特の濡れ感が文字を通して伝わってくるところも作品性とマッチしていてとても良かった。

映画もそうですけど『雨と内省』って何となく好きなんですよね。悩むならちょっと暗めの雨の日がいいなというか、独特の雰囲気がある気がして。

全体を通して決して明るいテーマでもないしスカッとする様な展開も無い。それでも何かモヤッとしたものがあるなら是非読んでみてほしいと思う。折を見て読み返すたびにどんどん沁みてくる気がする、そんな作品でした。

 

22トラブルは

41なんで女

53俺は何でこんなことを

62恐らく、死刑

83俺は俺が行くべき

87俺は本来

138倫理や道徳から

138人生のキーワード

160考えることで

175命は使うもん

180それが素晴らしいから

184芸術作品は

パンチドランク・ラブ

恋は劇薬。

パンチドランク・ラブ

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ブギーナイツ」「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン監督の第4作。

食品会社のマイレージ・キャンペーンの盲点を突き、プリンを大量に買い込んで金儲けした男の実話を元に、7人の姉に抑圧されっぱなしの真面目だがサエない男が、運命の恋に出会っての大騒動を描く。

アダム・サンドラー扮する主人公と恋人の純愛場面で流れる曲は、ロバート・アルトマン監督の「ポパイ」でオリーブ役シェリー・デュバルが歌った歌。

ショッキングな演出とゴージャスでメロウなラブコメが交互に訪れ、ラブロマンスなのにミステリアスな要素が入り混じる、異様な作品。

まあポール・トーマス・アンダーソン(PTA)作品にはありがちな演出で、夢現というか、脳天を揺さぶられるような演出は本作にも健在。

本作はテーマがテーマなだけに、余計にそのエッジが効いて見え、その過激さに唖然としてしまうシーンも多数有りました。

それなのに引き込まれてしまうところがPTA作品といいますか、彼の作品って無性に目が離せなくなってしまう魅力があるんですよね。

はっきり言って冒頭のトラック転倒シーンやリナの家にキスをしに戻るシーンなんてラブでも何でも無い、ただのホラーですし、バイオレンスに相手をぶちのめすシーンもそう。

そういうシーンをちょいちょい挿みながらも、押さえるところは押さえて、ラブロマンスに昇華させるから、さすがの手腕と言わざるを得ません。

演じているアダム・サンドラーエミリー・ワトソンの感じも良くマッチしていて、パンチドランクラブ(一目惚れ)してしまう説得力が半端ない。現状であったり周囲に不満がある状況でふとしたきっかけがあればそれは当然というもの。

直観的に恋に落ちてしまう瞬間はあるものの、それを超えた、この人しかいない感というのは中々出会えるようなものじゃないと思う。その唯一無二な感じが場面を通して伝わってくるし、その出会いから過程、結末に至るまで、お互いの気持ちが手に取るように伝わってきて、お互いがお互いに惹かれる理由が感覚的に理解できる。

異常にも思えるラブシーンでの掛け合いも、言葉では無く、感覚で共感できているからこそ。

あれを上っ面でやろうと思うと途端に胡散臭さというか真実味が欠けるだろうし、嫌味が出る。それを全く感じさせないのはそれまでの積み上げがあればこそじゃないでしょうか。

白昼夢にも似たような夢見心地な展開は、バイオレンスやショッキングな場面含めて混沌とした物語に引き込んでくれますし、常にザワザワするような感覚であったり、安心できない演出が挿まれるので、見ているこちらも全く安心して観られない。それが良い揺さぶりとして機能していて、夢の様な物語に身を任せられるというのが逆に魅力的。

画面上の効果もそれに一助していて、フレアやハレーションだったり、サイケデリックなカラーノイズなどが入ってくることでファンタジー感も出てくる。

DVDのジャケットにもなっているシーンの様なシルエットと背景のカラーリングを生かしたショットも見事で、そのシーンだけは上に書いたような過激な演出を忘れ、むしろうっとりした感すら漂う。

構図にもこだわりがあるようで、他作品含めて『人の目線』を意識したカットなのも面白い。不自然に右端に寄っていたり、高さが異様だったりと映画作品の定石よりも登場人物により近い視点でで見せるところはさすが。

単純なラブロマンスを観たい人には勧めないけど、何かしら孤独や悩み、コンプレックスを抱えた人にはぜひ勧めたい作品じゃないでしょうか。

ちなみにPTAの全作品を網羅したこちらの本も発売されているようなのでPTA好きな方は是非。個人的にももう一度他の作品を観返してみようかと思います。