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ディナー・イン・アメリカ

パンクな食事を召し上がれ。

『ディナー・イン・アメリカ

ポスター画像


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パンクロック好きの孤独な少女が、敬愛するパンクバンドの覆面リーダーを匿ったことから巻き起こる騒動を描いた異色ラブストーリー。

過保護に育てられた臆病な少女パティは、孤独で単調な毎日を送っていた。そんな彼女にとって、パンクロックを聴くことだけが、平凡な人生から逃避できる唯一の楽しみだった。

ある日、パティはひょんなことから、警察に追われる男サイモンを家に匿う。なんと彼の正体は、パティが大好きなバンド「サイオプス」の覆面リーダーであるジョンQだった。

パティを「ミスエデュケーション」のエミリー・スケッグス、サイモンをリメイク版「エルム街の悪夢」のカイル・ガルナーが演じた。

共演に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズのリー・トンプソン、「24 TWENTY FOUR」シリーズのメアリー・リン・ライスカブ。俳優ベン・スティラーがプロデューサーに名を連ね、「バニーゲーム」のアダム・レーマイヤーが監督を務めた。

エゲつない作品を観てしまいました。

これ完全に良い意味なんですが、観る人は確実に選びそうな作品。

冒頭のサントラと出演者を出すグラフィカルな感じ、ポップアートにも似た雰囲気と相反するシチュエーション、あのテンションから最高で、音、タイミング全てが不穏で不吉で不潔すぎる。

映っているシーン自体も不愉快極まりなく、それが観ていて心地良いのなんのって。

わかる人にしかわからない感覚だとは思うんですが、とにかくパンクとはこういうものでしょと言わんばかりの冒頭展開。しかも良いのがノスタルジックにパンクを回顧するのかと思いきや、それは全くしないという作り。

現代的であって、それなのに完全にパンクしているというところがカッコいいじゃないですか。今の時代コンプライアンスだなんだって言われますし、少しでも変わったことをしようものならソーシャルの場で袋叩き、ここに出てくる面々はそうした環境とは全然違う尺度で生き、生々しく生を感じさせるところが堪らない。

構図でツボだったのが引きで出てくる固定ショット。風景だったら人だったりを撮っているだけなんだけど、間抜けに見えたり、シュールに見えたり、そのポツンとした感じが作品内の休符のように作用し抜群に機能している、気がする。

音楽にも独特の中毒性がある。低音の効いたなんとも言えないビートループがちょいちょい出てくるんですが、これまたマザー2のような独特な世界観を感じさせ、コミカルでフワフワした印象を受ける。

さらに本作の作りで面白いのがパンクと食事の関わりを描いているところ。どんな食事をするのか、誰と食事をするのか、何を話しながら食べるのかといった『食』にまつわる事って実際その人となりを知れると言いますか、食は人を作ると言うくらいで、そこの見せ方が面白い。

本作の主人公は冒頭から一貫して食べてる様が汚らしいし、決して美味しそうに食べない。今の空気感にありがちな風潮が食事のシーンに現れ、馴れ合いの縮図として機能した上っ面の食事に対して一切媚びない。

美味しいものを食べるのが食事なのか、マナーを守ることが食事なのか、否、好きな人と、好きに食べるのが食事なんだと言わんばかりの興味の無さに、アメリカの食事、ひいては社会の縮図を感じた。

そしてそれらに反旗を翻すような作りになっていると思うし、その生き様はそれ自体がパンクスピリット、媚びず、諂わず、好きに振る舞う。

ヤられたらやり返すし、合理的になんて動かない、でもある意味素直で通じ合った人は裏切らないし、表面上で人を見下したりもしない。それってどっちが罪ですかと問われたら、多くの人は本作の主人公みたいな人が悪だというだろうけど、本当にそうなのか、取り繕って、上手く世渡りしていく人生なんてまっぴら御免だ。自分はそうやって一蹴するスタイルが好きだったんだと、改めて自分の原点を観た気がする。

楽曲制作の部分もそうだし、それで出来上がる曲もすこぶる良い。やっぱりこういう曲が好きだわ、沁みる、などと思いつつもう一度観たい、いや、もう一度2人に会いたくなってしまう映画体験でした。