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【圧巻】ウーデが神懸かり!今季ベストパフォーマンス披露!『アーセナルvsチェルシー』

やっぱ、サッカーって同じチームを追っていると、熱のある試合って、入りからわかるんですよね。

なんなのかわからないんですけど、画面越しでも伝わってくる熱量の感覚。

このロンドンダービーもまさにそれ。

4分、ライスの溜めるドリブルからのサーモンの完璧なシュートよ

12分、今日トーマスのポジショニング良いかもな

14分、ウーデのクロスの精度

19分、サーモンの落としの判断痺れるわ

20分、サカの崩しヤバっ。これみるとやっぱ前節疲れてたな

22分、冨安のインターセプトも切れ味が

27分、ちょっと今日のサカのキレはエグいぞ

31分、ウーデの空間認知能力の高さ

40分、ラヤ、ドンピシャやな

 

48分、ライスこういう突き方上手いなあ

50分、ウーデのスルーなんじゃこりゃ

56分、ウーデからのハヴァさんのベストゴール級な完璧さ

59分、サーモンのトラップ上手っ

59分からの冨安またまたインターセプト

61分、ラヤよく耐えた

68分、ウーデのプレス回避上手し

69分、ウーデの浮き玉スルーのクオリティ

69分、ホワイトの阿吽の呼吸感ヤバない

82分、ジェズスのヒール痺れた

 

ヒート見てもそうですけど、後半の序盤の勢いヤバくないですか。

前半もそうですけど、入りのテンション高いですよね。

とまあ、序盤から面白くなりそうなにおいを感じさせるスタートだったわけですが、その口火を切ったのはトロサールの目の覚める一発から。

あのタイミングで、あのコース(ニアロー)に蹴れるってのはさすがの一言。

いつ見ても思うんですけど、トロサールってボール受けた時の準備が常に出来てますよね。それくらいファーストタッチからの流れが常にスムーズ。

このシュート数もエグくないですか。

怒涛のシュートラッシュで、前半こそ、なんでこんなに決まらないのかと思っていたほどで、でも結果的にそれは後半に払拭されたわけですが。

sofascoreでこのレートも初めて見ましたよ。

特にウーデのスタッツが凄まじい。

実際試合を観ていてもその脅威を感じたわけですが、これを最後までやりきるっていうキャプテンのいつも通りのヤバさは健在でした。

キーパス8って。

おそらく今シーズンベストパフォーマンスですよね。攻撃、守備、全ての精度に関して完璧過ぎましたし、質も強度も申し分ない仕上がりで。

これなんかを見てもほぼ全てのスタッツトップクラスですし。むしろ受けての部分はしょうがない(出し手だから)と考えるとまあパーフェクトですよ。

そーいえば後半感じたのが、ライスとの関係性の良さですね。

核が二つあるような感覚を抱き、それらが相互に影響しあいながら適度な関係性で調和している感じ。

デュアルコアですよ。これはもうサッカーのデュアルコアシステム。

ライス加入当初は共存できるのか的なことも言われていたことを考えると、今はその考えすら杞憂ですし、むしろ共存した方が互いの能力を高められすらするっていう。

その意味で言うとハヴァさんとホワイトもそうですよね。

単独でというより、共存することで良さがより引き出されるようなキャラクター。二人とも器用なんですよね。

あっ、これはハヴァさんとホワイトの関係性ってよりも各々の他選手との連動性っていう意味ですよ。

ホワイトのタイミングの取り方であったり、痒いところに手が届く対応なんて最たるものですし。

この試合でのドンピシャ感は色々と素晴らしい限り。

ハヴァさんもワントップとしての強引さにはまだまだ欠けるものの、立ち回りや運動量、ポジショニングなんかに関してはもう完全にワントップのそれですから。

欲を言えばもうちょっとボックス内での強引さが付いてくれば最高なんですけど、別にずっとこのポジションをやってきた人間では無いので。

受けてる本数なんかは上記のスタッツ見ても問題無しなわけですし。

アクションの半分をシュートが占めているというのも凄いですよ。単純に。

直近での右に流れて、左にライスが上がるっていう連動性も好調ですよね。以前だと左寄りに流れてという印象があった気がするんですが、最近はなんかバランスが取れだしたといいますか。右への顔出しも意識的に増えている印象で。

パーティもここ数試合の中では一番良かったんじゃないでしょうか。

一度自陣で迷いが生じてたシーンはありましたが、前半なんかはポジショニングも悪くなかったですし。全体的に悪くないかと。

なんかライスと一緒にプレーしているのを見てて思ったんですが、ライスがアグレッシブに守備を行うのに対して、パーティはパッシブに守る感じなのかなと。あくまでも比較するとということではありますが。

それでも調子は取り戻しつつあるなと思ったわけです。

冨安も良かったですよね。何度かちぎられてた時もありましたけど、全体的にはマジでタフに対応してましたし、インターセプトが光りましたよね。特に。

チェンコよりもやはり守備強度も上がりますし、攻撃時の連動性も良いなと。

とにかく今季ベストマッチの可能性もあるくらい全選手の躍動感が半端ない一戦。これを終盤にやれるようになったとは。感慨深いです。

では。

【文豪ボストン・テラン】春休みに読んだ『神は銃弾』がヤバすぎる! 心抉るダークノワールの世界へようこそ

春休み、以前から気になり買っていたけど手をつけられていなかった小説を読もうと思い、手にしたのがこちら。

まさかこんなに食らうとは思いもしませんでした。

本にしろ映画にしろ音楽にしろ、出会った瞬間に何か予感めいたものがあるモノってあると思うんですよ。

この本も自分にとってはそんな作品で、何かの書評を読んで作者が妙に気になり、中でもこのタイトルが目を引いたんですよね。

神は銃弾ですよ。痺れますよ。タイトルからして。

それからわりと年月も経ち、でも、ずっと頭の中にはあったような、そんな出会いのある作品でした。

この作品、まずもってヘビーです。

本のカバーに書かれているあらすじだけでもゾッとするような内容はわかるんですが、それ以上に文体から滲み出る力強さ、ワードセンス、表現の豊かさ、それら全てから濃厚に搾り出されたような言葉の弾丸が突き刺さってくる。

言い回しや表現の難しさもあり、スラスラと読める感じではないですが、それでも惹かれてしまうほど魅力的で、腹に響いてくる物語。

風景であったり、感情であったりの表現がいちいち詩的で美しいんですよ。情緒もあって、深みもあり、その世界観にずっと埋没していたいと思うほどダークなのに重く響いてくる。

小説のていとしてはノワール、もしくはクライムものになるのかな。

でも、読み進めていくと、それもありつつ、ヒューマン的、純文学的な深みがそこかしこにあって、だからこそ描かれる世界の豊かさが半端ないんですよね。

特に色にまつわる表現は恐ろしくソリッドで生々しい。言葉尻だけでもイメージを肥大化させるようなワードセンス。

翻訳でその印象なので、原文はさらに複雑で難解なのかもしれないですが、その感覚は十分に堪能できてしまう。

物語自体はほんとシンプルな構成なんですよ。

カルト集団に娘を連れて行かれた父親がそのメンバーだったジャンキー女性と娘を取り返しに行くっていう。

それだけなのになぜか重厚さがクセにさらなるこの感覚。思い出されるのは濃密な会話劇と、人生への問い。

出てくる人物もそこまで多くないんですが、ボブとケイスのやりとりは見所しか無いんですよ。

考え方も人物像も確実に異なる人生を歩んできたような二人。でも、旅路を共にする中で確実にわかり合ってくるわけですよ。なんならかけがえない存在と言えるかもしれないくらい。

それがLOVEなのかLIKEなのか。はたまたそれ以外の感情なのかも含め、容易な展開には絶対に転がさない。

良い意味で全てにおいての安易さがないんですよね。

実際、人生もそうで、唐突に全てが起きる以外はあり得ないじゃないですか。本当のところ。

物語だからって必ずしも分かりやすい展開に持っていく必要もないと思うし、それって、逆に見るものを単純化して捉えてる気もしますし。

なので、起きる事柄も想像の遥か上をいくし、容赦も無い。

そこをサバイブしていくボブとケイスの関係性がとにかく魅力的に浮き出てくるんですよ。

本当は相対すら存在だったわけだし、境遇もそう。でも、本質的に世界の輪郭を捉えるという意味においては正しさだけでは生きていけない。

賢さとずる賢さの狭間で、誰もが聖人ヅラしているという皮肉めいた視点で描かれる物語には妙な説得力納得感があるんですよね。

救われないからこその視点というか、だからこそ説得力のある描写や言動というか。

作者自身も順風満帆に過ごしてきていないことを感じさせる部分が多く、それも物語上の要因だと感じさせられる気がします。

最後に個人的に一番感動し、心揺さぶられたフレーズを。

「自分のしたことをちゃんと自分で支えられる勇気を持った男だ」

これはケイスが自分自身を責めるボブに対して言ったセリフなんですが、それまでの二人の旅路を考えるとあまりにも自分自身にも響いてしまって。

ボブ自身、行われた行為は常に善だったとは思っていないはずなんです。

だとしてもそれらを肯定し、ただ、肯定するだけでなく、勇気という行動と意思を尊重するところにあまりに深く、さりげない中にどれだけのリスペクト、気遣があるのかということを感じさせるセリフに、マジで脳天直撃したような衝撃と感情の波が襲ってきたわけです。

何が正しいとか間違ってるとか。偽善や忖度で無く、本当のそれらを見ることの大切さを改めて強く感じた作品でした。

ボストン・テラン、遅ばせながら素晴らしい才能です。

では。

実体の無さはすべてに存在していることなのかも『ある男』

どうしても原作から読みたい作品ってあると思うんですよ。それは漫画でも小説でも。その意味で平野さんの作品は全てそういうところがあるなと。

この作品もあらすじからして興味深く、目の付け所というか、思考の巡らせ方がとにかく好み。

愛したはずの夫は、まったくの別人であった――。

「マチネの終わりに」の平野啓一郎による、傑作長編。

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。

宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ところがある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に、「大祐」が全くの別人だという衝撃の事実がもたらされる……。

愛にとって過去とは何か? 幼少期に深い傷を負っても、人は愛にたどりつけるのか?

「ある男」を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

第70回読売文学賞受賞作。キノベス!2019第2位。

考えてみると”他人”を認識する時ってどうやって認識してるんでしょうね。

固有名詞や、人となり、喋り方や、過去の経歴、家族、容姿、学歴、挙げればきりが無いくらいには出てくるものですが、いざその人を明確に捉えている点を挙げろと言われるとひどく不確かだなと思ってくるわけです。

なんなら自分という人間だってそうですよね。自分が思う自分と人が思う自分は全く異なるかも知れないわけで。

その辺の要素を物語的にもミステリアスに描いており、日常レベルの話に上手いこと落とし込んでいる感じ。

少しづつ謎解きをして確信に迫っている感覚があるものの、むしろ確信から遠ざかっている気もしてくるという変な感覚も同居している構成。

これには読んでいるものの想像から生まれてくる構造的なミスリードというより、感覚的ミスリードに依存することろが大きい気がしています。

結局なんでもそうですけど、全ての事柄って”実体が無い”んですよね。

全てが想像や思惑で形成され、多くの人にとっての既成事実に成り代わっていく。

よく会話にも出てきたり、自分でも言ってしまう「普通さぁ」という言葉もまさにそうで、誰から見た普通なのか、対象は誰なのか。そうしたことが当たり前のように抜け落ちてしまい、そこに疑問は無くなってしまう。

こんな世の中に沢山溢れた認識の誤謬みたいなものがわかりやすい形で興味深く綴られていく物語。

まず、根幹にある物語の掴みが素晴らしいですよね。「好きになった人が全くの別人だったとしたら」って。

そんな掴みの良いフックがありつつ、それだけのコンセプトに埋没していない。これほど興味深く読めてしまうというのは間違いなく平野さんの文体や言葉選びの部分にあると思うんですよ。

クラシカルな純文学的でありつつ、どこか近未来的な装いもある澄んだ言葉選び。なんか頭に残るところがあり、ハッとさせられるんですよね。文字を読んだ時にそのイメージが圧縮されて弾けるような。

人の感情というか認識の確信はどこにあるのか、もしくはそれすらまやかしなのか。

良きお話でした。

映画化もされ、評判も良いのでそちらも観てみたいところではあります。

では。

19この世界と自分との留め金

53愛にとって過去とは

100子供は成長が早過ぎて

118若い頃は、愛することと

130端的に言って、彼は

131自分とは何か

156みんな、この世界の評価

171話は虚実が複雑に

200人はなるほど

205広告表現の芸術性

263若い頃には想像だに

282事務所では、城戸さんの

294誰も、他人の本当の

314僕たちは誰かを好きになる

319消せないなら

336この人生を誰かから

361瓦礫からいつの間にか

厳しい戦いの果てに導かれた勝利!アーセナルの魂の戦い『アーセナルvsウルヴス』

中二日でこれだけの運動量、しかも、CL明けでこの結果は上々じゃないでしょうか。

1分、ハヴァさん空中戦やはり強いしポジショニングも今日良いかもな
13分、キヴィの早めのクロスは中々良かったな、後は精度
18分、ライス受けたとこちょっと悪いかなと思ったけど、あそこまで運べちゃう個の力
26分、ホワイトはサカとの関係性ホントわかってるな
44分、ハヴァさんのこういうパス初めて見たな。からのジェズスの良トラップ、サーモンの決定力

51分、サカのワンタッチええやん
78分、ラヤの対応クールだな
91分、この時間でライスここまで抉れるとは
92分、あのショートコーナーおもろかったな
94分、ウーデのシュートコース選びヤバっ

 

それくらい、キツさが伝わってきていた試合だったにも関わらず、この結果を残したのは大きいですよ。

それにしてもこの試合、アーセナルのシュート数ヤバくないですか。24本て。

それでこの得点差で終わったのは、正直アーセナルの疲れによる精度の低下が原因だったのは明白でしょう。

いつもと異なり、際の部分での判断や感覚がズレているように感じたのは、間違いなく疲労が溜まっていることを暗示していたのかと。

それでも、それを承知で、やれるだけのことを各選手がやっていたのもわかりましたし、だからこそこの結果を得られたのかと思うと、メンタリティが向上したなと感慨深いところではあります。

そんな中、疲労も溜まっているであろうに、ハヴァさんの相変わらずの空中戦の強さ、際立ってましたよね。

攻撃時にも、守備時にも、ハイボールの処理と、フィジカルの強さから大抵収めてしまう懐の深さ。なんかこの淡々とした感じも好きなんですよね。

あとウーデもヤバくないですか。

バイエルン戦でもあれだけ動き回って、この試合でもどんだけ動くんだよという働きっぷり。

そりゃ疲れが見える部分も多々有りましたし、いつものウーデならと思う場面もありました。

でも、それを鑑みてもこの強度とクオリティは異常ですよ。それを物語るのが2点目の得点シーン。

あの時間であのコースに蹴れないですから。普通。

トロサールも、彼だから決めれるような良きゴールでしたよ。

最近だと厳しいときに助けてくれるのは決まって彼。それくらいハイパーなオールラウンダーですよ。マジで来てくれて有り難うと言いたい。

そしてライス。

彼も厳しい時こそ効いてきますよね。キーパス5本に、タックル4て。

攻守にわたり、獅子奮迅の働き。それ以外にもタメを作ったり、キャリーしたりと、欲しい時に欲しいアクションを取り、さらに期待以上のクオリティでそれをこなしてしまうっていう何なんですか、怪物ですよ。それくらいの存在感ありましたから。

とにかく全員よくやり抜きましたよ。

途中からターンオーバーを図ってくるかと思いきや、以外にもそこまでの交代もなく、サカもホワイトもかなりヘトヘトになりながらよくやり切りましたよ。

ホント素晴らしい。

この先も厳しい戦いが続きますが、とりあえずの現状首位、CL無き今、リーグでの優勝を是非お願いしたい。

では。

CLベスト8敗退も、未来への希望が生まれた一戦『アーセナルvsバイエルン』~CLベスト8 2nd leg編~

残念ではあったけど、正直悔いは無い・・・とも思う。

Daily Schmankerl: The aftermath of Bayern Munich vs. Arsenal in the  Champions League; Kim Min-jae headed back to Napoli?; João Felix wants  permanent move to FC Barcelona; Liverpool wants Jeremie Frimpong; Chelsea

27分、ジョルジこういう位置からのパスの方が良い気が

39分、サリバあの場面であのプレーするかね

44分、サカトラップ上手いわ

 

51分、トミーのダブルタッチええな

60分、サリバのあの一歩がデカいわけよ

 

ついにCLの舞台に戻り、14シーズンぶりのベスト8。ここまで良い夢見させてもらいましたし、ここまでこれたことも感慨深いわけですよ。

でも、やはりCL。この辺まで来るとちょっと調子が良いとか、勢いでいけるとか、そんなことが通らない、痺れる試合が続くわけです。

他のベスト8の試合もハイライトで全部見ていたんですが、どれもが劇的で、熱量に満ちた凄まじい攻防でした。

正直なところ、この2ndレグに関して言えば、アーセナルのこの試合が一番の塩試合だったことは否めず、それこそが、CLの舞台なんだなと。

別に試合全体を通して悪かったわけでは無いですし、全然良い部分もありました。

でも、トータルで観た時の”色々な足りなさ”というのはあったわけで、これが現時点においての限界値なのかなとも思ってしまうわけです。

悲観的に聞こえるかもしれませんが、ここ数年でよくここまで作り上げたなと思いますよ。数年前を思うとCLの舞台に戻れる気すらしてなかったですから。そう思うと、これからのアーセナルには期待しかないわけですよ。チームの年齢的にもまだまだ発展途上なわけですから。

そんな感じで終わってしまったわけですが、この試合、前半は静かな戦いでした。

アリアンツということもあり、前半は様子見な感じなのかなと思うほど、いつものようなプレスもかけず、攻撃時も遅行目な印象でした。

1stレグのことを考えると、前半はあまり過剰に攻めず、手堅いプレーの方が自分自身も良いのかなとは思っていたんです。

早い時間に得点して、変にスタジアムの空気を一変させたり、チームを目覚めさせてもあれなので。

そんな、バイエルン側もそこまでガツガツ来るわけでも無く、結局静かに進んでいったのが前半でした。

からの、後半ですよ。

思ったよりギアも入らず、若干攻めに転じる場面もありましたが、そこまで。なんならシュート数も後半激減してしまい、2本ですからね。

ボールの繋ぎに関しても中々ファイナルサードまでいけず、エリア内に侵入してもスペースが無過ぎて展開できずで、とにかくチャンスメイクが出来なかった。

こじ開けられないんですよね。組織では崩せても、個でちぎれないというか。中盤でボールを回している状況が下のスタッツでも良くわかりますからね。

ただあのキミッヒのゴールに関しては単純にエグ過ぎましたね。これが勝者のメンタリティなのかと思い知らされましたよ。

やっぱり勝ち切れる力が備わり、どんな局面でもやれるという経験が必要なのかなと。

兎にも角にも現時点での限界点、それを知ることになり、これが次への糧となることを信じて応援したいと思います。

お疲れでした。

では。

言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅

本日紹介する映画はベルギーの監督作品。

「言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅」

ポスター画像


www.youtube.com

世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

この作品自体、知らなかったんですけど、いつも行ってるミニシアターにチラシというか広告が出てまして、そこでこの監督と作品に興味を持ったんですよね。

そんな感じで見てきたんですけど、この作品、単純に物語というか、プロットを追ってこうと思うとすごい難しい作品だなと。

一方で物語とかをたどってく映画でもないのかなっていうのが鑑賞後の率直な感想でしたね。

この作品って画角が1対1なんですよ、常に。それも途中で変わったりするのかなと思って見てたんですけど、変わることなく、ずっと1対1のまんま、いわゆる正方形ですね。

じゃあなんで正方形なんだというところもあるんですけれども、そこはちょっとひとまず置いいておくとして、とにかく冒頭から1対1の正方形の画角から始まって、何気ない写真のようなカットが繋がれてくるんですよ、3カット4カットぐらい。

その間、会話もないですし、聞こえてくるのは環境音だけ。

そういうカットがいくつか続いていくんですけども、それを見てるときに、これ何の映画なんだろうなって思いながらずっと見てるわけですよ。

その段階ではそこには何も気づかず、その音量のバランス自体が、他サウンドに比べて大きいなっていう印象は受けながら、見ていくんですよね。その中で、誰が主人公かもよくわからないっていう状況の中物語は進んでいきます。

ポスタービジュアルに女性が映ってたのでさすがにその女性は出てくるんだろうなって思いながら見ていたわけですよ。

それでその女性が出てくる時っていうのも、思ってたより劇的な登場でもないですし、いたって普通に登場するんです。

なんですけど、その後の関わり自体もそんなに濃いものではなくて、物語は進んでいくんです。

ただ、女性が朝目覚めたシーンから始まるエピソードは意外に感慨深いわけでして。起きたら固有名詞を忘れているんですよ。実際にということではなく、描写としてそういう演出が入っているわけです。

なので名前とか状況の説明みたいなものが一切出なくなっているっていう。起きていることはわかるんだけど、それが何なのかがわからないし説明できないようなイメージ。

そういう朝を迎えたっていうことが語られていくんですけど、そのときに私の中で、この冒頭と繋がるんですよ。冒頭の風景だったりを見せられた時の、わからなさであったり、表現の出来なさ。こういうのって、結局日常でも結構溢れてることだなと思って。

要するに言語化されたことっていうのは、人があくまでも言葉っていうもので装飾したり表現したりっていうことでなされている世界の表現であって、実際のところは物事を言語化なんて出来ないんですよ。

それを思った時、この作品のテーマっていうのは、そういう何か言語とかそういうことじゃなくて、あくまでも、そうではない部分、感覚的な部分で受けた表現、食らった感覚っていうのを受け手としてどう受け取るかっていうところにフォーカスしているのかなって。

当たり前の話ですけど、何かをされたときとか言われたときに、それが言語で例えられなかったとしても、絶対に何かを感じてるわけじゃないですか。

その感じてることを説明することは難しいかもしれないけど、でも間違いなく何かは感じてるわけじゃないですか。

何かを感じる、思う、みたいなところを噛み締めた時に、どういう感覚になれるのかっていうところ。そういったところにフォーカスした映画なんじゃないかなって個人的には思ったんですよね。

そう思った理由がもう一つあって、終盤でのその男性と女性のやり取りの場面。やり取りの中で、女性がちょっと笑顔になるんですよ。

笑顔の意味っていうのも、正直なところはよくわからないですし、具体的に語られるわけでもないんですよ。

ですけど、その笑顔からは何かを受け取る受け取ることができるわけじゃないですか。感覚としてでも情報を受け取ることができるというのは紛れもない真実なわけで、それがその人なりの答えなのかなっていう。

結局誰かの答えで判断してるわけじゃなくて、自分の判断で認識しているわけじゃないですか。

本質というか、そういう深層部分にフォーカスした作品なのかなって思うと、この映画自体の全てが開かれていく感覚があって。

なのでその環境音が、ちょっと大きめに設定されているところなんかも、やっぱりその感覚を研ぎ澄まして、実際その音を感じ取るみたいなところを重視していると感じられるわけですし。

画角が1対1になってるのも、視野を狭くすることで、感覚を研ぎ澄ませる。つまるところ、映画というものを体験、それを通して、感覚を全方位的に高めていくっていう。

物語とかプロットとかそういったことでなく、感覚で受け取るものものに重きを置いてる作品なのかなと。

そう考えると映像的に美しさがあるっていうところも、実風景の美しさ、みたいなところに繋がるなと思うんですよね。

本作ってファンタジー映画とかそういうわけではないので、実世界としての風景が映されているわけじゃないですか。そしてそれを美しいと感じるということは、やっぱり実風景を美しいと感じている感覚を受けているということに繋がるわけで。

もしそれが感じられないのであれば、日常というものを、軽薄にというか、あまりしっかりと見られてない側面もあるのかなっていう。

そういったことにも気づかせてくれる深さがあるんですよね。

映画全体を通して、語りかけてくる、見終わった後に気づきを得られるみたいなところ。そういう発見に至るための映画なのかなっていうふうに私は感じました。

最終的に登場する人物たちの名前であったり、場所であったり、関係性であったり、そういうものの不確かさ、不明瞭さみたいなのがある中、結局は、何かによって定義されるものじゃなくて、自分の感覚そのもの、ただそれだけなんだと思えてくるわけですよ。

人そのもの、それそのもの、そういうことを重視すべきなのかなっていうふうに。

最後のエンドクレジットも面白かったですよね。中々凝った作りになっていて。

部分的に歯抜けになっていて、徐々にそれらが埋まっていくみたいな。そういう感じのクレジットになっているんですけど、結局は、名前であったり、名字であったり、立場であったり、役割であったり、そういう所々が歯抜けになっているんです。

当然の話ですけど、歯抜けになる場所によって、その人の存在というか、その人というもの自体が不確かになりますよね。

実際にそこが埋まっていくことで、その人が何なのかっていうことだとか、その人はどういった役割をこなしていたのかとか、その人の人となりがわかってくるんだと思うんですよ。それって言い換えると本当にその定義されたことが全てですかっていう問いなのかなと思うところだと思うんですよね。

そういう意味でも、エンドクレジットの面白さっていうところは本作の内容にも繋がるなという部分があったわけです。

鑑賞中、その人っていうものが、何なのか、その固有名詞っていうものが何なのか、そうした定義についていろいろと考えさせられた映画でした。

見えてるものが、世界なんだけども、見えてるものだけが世界でもないっていう。

別の表現として、コケが使われていたのも面白いところだなと思っていて、そのコケっていうのは、社会の縮図的なもの、要は地球であったり、宇宙であったりを構築していると言われたりもするんですよね。

世界のあらゆる状況だったり物質があるっていう風に言われていて、そういったところもつぶさな視点で見ないと気づかないですけど、見てみると気づける。そんな世界っていうのもあるのかなという部分も感じたりしながら、鑑賞後に色々と繋がってきた作品でした。

映画の物語を追うのではなくて、感じることの重要性、そこから得られる気づき、そういうことに満ちた静かな美しい作品だなという感じでした。

では。

チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』

「チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』」

2分、 ウーデのボールの出し入れ相変わらず上手っ

8分、 サリバのプレスの速さヤバい

10分、 サーモンのスルー、タイミング、強さ完璧過ぎん

12分、 やっぱ今日のサーモン力加減わかってるな

16分、 ライスのライン取り素晴らしい

19分、 ウーデも見えてるな

24分、 ウーデのあの煽るの昂るんだよな。マジアツい男

41分、 あのライスの一歩の広さが頼りになるわ

43分、 これはオフサイだったけど今日のチェンコの縦パスいいわ

 

53分、 ハヴァさんの戻りも効いてるよ

63分、 ラヤのフィードはさすが

80分、 ライスの守備アップで見ると改めてタイトだな

 

想定以上に想定外な展開になってしまいました。

いやぁ、前半は良かったんですけどね。

それこそ決定機もわりとありましたし、ファイナルサードへのボール運びも全く問題なく、いつも通りのサッカーをしていたわけです。

実際にシュート数も14でオンターゲットも3でしたし、見るからに押していたのはアーセナルでした。

それが後半には一転、上のモーメントを見ても明らかな押されっぷりで、全くと言っていいほどゴールに迫れていなかった。

シュート数に関しても激減の4本。実際ボックス内全然入れて無かったですからね。当然の結果と言えばそれまでなんですが。

これは完全にエメリの修正力に軍配があがった格好でした。

シーズンダブルやられたわけですし、皮肉にもエメリのエミレーツ勝率は高いとのこと。

That victory means Unai Emery averages 2.26 points-per-game in the Premier League at the Emirates Stadium.

It is the highest rate of any manager with 10+ games at the stadium.

For reference, Arsene Wenger's record was 2.22 points-per-game while Mikel Arteta's is 2.11.

エメリ2.26、ヴェンゲル2.22、アルテタ2.11ですからね。何とも言えない結果ですよ。ヴェンゲルをも凌ぐとは。

とまあヴィラは後半からの修正として、前半あまり使用していなかったロングボールを使用するようになり、それによりアーセナルのラインが押し下げられ、間延びしたところを見事に崩されるという感じになったわけです。

同時に、アーセナルとしてはビルドアップも低い位置からの押し上げになってしまっていたので、中々運びきれずという展開も増えてましたからね。

交代も機能していたのかと言われると微妙だった気がしますし。正直前半の流れのまま、スミスロウ復活の狼煙が上がるといいなとは思っていたんですが、タイミングが悪く、杞憂に終わりました。

いずれにせよ、これに対しての上手い解決策が無かったアーセナルが撃沈したわけですよ。

とりあえず次のCLバイエルン戦、意地でも勝ってほしいところです。

では。