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ゼンデイヤ主演『チャレンジャーズ』:テニス×恋愛が織りなす情熱のドラマ

『チャレンジャーズ』ポスター画像


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君の名前で僕を呼んで」「ボーンズ アンド オール」のルカ・グァダニーノ監督が「DUNE デューン 砂の惑星」「スパイダーマン」シリーズのゼンデイヤを主演に迎え、2人の男を同時に愛するテニス界の元スター選手と、彼女の虜になった親友同士のテニス選手の10年以上にわたる愛の物語を描いたラブストーリー。

テニス選手のタシ・ダンカンは確かな実力と華やかな容姿でトッププレイヤーとして活躍していたが、試合中の怪我により選手生命を絶たれてしまう。選手としての未来を突然失ってしまったタシは、自分に好意を寄せる親友同士の若き男子テニス選手、パトリックとアートを同時に愛することに新たな生きがいを見いだしていく。そして、その“愛”は、彼女にとって新たな“ゲーム”の始まりだった。

「ゴッズ・オウン・カントリー」のジョシュ・オコナーがパトリック、「ウエスト・サイド・ストーリー」のマイク・ファイストがアートを演じた。

終始アッパーが過ぎる。

予告からして想像通りではあったんですが、この作品は絶対に映画館で観たかったんですよね。公開されると意外にも上映館数が少なくて、これは早めに行かないとより上映数がいっそう減りそうだなと思い、早速。

そんな感じで観てきたんですが、やはり映画館で観るのがベストだなと。

それにしても海外との温度差というか、これだけ面白い作品がこういう扱いというのが疑問しか無いんですよね。

4月26日~28日の北米週末興行収入ランキングで、『チャレンジャーズ』は初登場No.1を記録。

3477館で1501万ドルというオープニング成績はグァダニーノ監督史上最高であり、ゼンデイヤにとってもオリジナル脚本の実写映画では最高記録だ。週半ばには『君の名前で僕を呼んで』の1809万ドルを抜き、グァダニーノ作品として過去最高の北米興収となる見込み

これが今の日本の現状なのかと。

話は逸れましたが、体感として似ていたのが自信のマイベスト級映画「セッション」に一番近い高揚感を感じました。

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まず音楽を担当したのがトレント・レズナーアッティカス・ロス。ドライブ感あるテクノサウンドがとにかく癖になるんですよ。

特に表題曲のこれが癖になるし、気持ちアガるしで。

今までも彼らが手掛けてきたサウンドはソリッドでノイジーなものが多かった気がするんですが、今回は特に映像とのリンクが半端ない。

ナインインチ自体のサウンドを踏襲しつつ、バンドサウンドでも聴いたことないアッパーなテクノがやたら心地良い。こんなサウンドも作れるんだなというのがまずもって驚きでしたが完成度の高さが異常でしょと思わずにいられない。

それに呼応する形でのカメラワークもエゲつなかった。

サヨムプー・ムックディプロームというかたが撮影だったようなんですが、ホント斬新なショットが多く、単純に観ていて気持ち良いなと。スポーツの爽快感を良く表現するようなテンポ感が見事でしたね。

それから脚本も良かった。

ジャスティン・クリツケスという方が手掛けており、このテーマ、この見せ方でこの脚本を落とし込むのが凄いなと。どうやらこの片、「パスト・ライブス」で監督を務めたセリーヌ・ソンのパートナーなんですね。タイミング上映画館で観れなかった作品ではあったんですが、これまた気になっていた作品だったのでより、気になるという。しかもテーマが同じような三角関係っていうのも実に興味深い。

これも何かのタイミングで観たいですね。

これだけアッパーな作品だと脚本以上に、作品のドライブ感重視で構成されそうな気もするんですが、そういったスピード感は維持しつつ、深みのある、展開の面白い脚本が書けるという手腕に驚き。本作が脚本で映画初クレジットされたというのも意外でした。

いずれにせよそれらをまとめ上げるルカ・グァダニーノ監督の手腕が恐ろしい。

今までもそうでしたが、グァダニーノ監督って”身体性”や”愛”といったものを描くのが上手いと思うんですよ。

それを今回はこんな溌溂とした形で観ることができるとは。

本作では”テニス”という枠組みと”恋愛”というものをニアリーイコールで繋いで見せるというのが実に手の込んだ面白いギミックだなと。

確かに観ていて思いましたが共通項が多いんですよね。意外と。

相手に1ポイントも与えずに奪ったゲームのことをテニスではラブゲームと呼ぶっていうのもそうですし、作中でゼンデイヤ演じるタシが言う「テニスは対戦相手との関係性のこと」というのもまさにそう。

そう考えるだけでも似てますよね。

ただ、そういった抽象的な認識で終わることなく、それらを映像として表現しているというのがポイントで、テニスの躍動感や恋愛の情熱性や官能性、そういったものが見事に描かれているんですよ。

ラリー自体も最初は機械的だったものが、次第に息詰まる、手に汗握るものになっていく、と同時に恋愛ではラリーするかのように言葉を交わしあう。それにより両者とも気持ちが高まり・・・という近似感が演出されている。

そうなるとボールっていうのがなんなのかなと思っていて、これも序盤では客観的なショットで捉えられ、徐々に主観、最後にはボール視点のPOVみたいな感じになるじゃないですか。これって考えると言葉であったり感情であったりなのかなと。ようは相手に渡し、渡されるもの。それらのやり取りにより関係性が深まっていくっていう。

球を打つ時の音もそうですよね。印象的なほどの抜けの良い打音。これもまたテニスと恋愛の”熱量”交換だと考えると自然と音が鮮明になるわけですよ。相互にとって重要なものですから。

さらにそれらの上位概念としての”人生”というものも重ね合わせることで、より重層的で複雑なプロットにも見えてくる。

人生≒テニス≒恋愛

タシにとってはテニスが初恋であって、最も情熱を注ぎ、頼りにしていたものなわけだし、アスリートとしての選手生命は限りがあり、それもまた人生と酷似している。

ラストシーンがなぜあそこまで多幸感や興奮に満ちていたのかということを考えた時にふとそういう考えが頭をよぎったんですよね。

恋愛の時間的メーターが一番変動し、■■■

アスリートのメーターも次いで変動する。■■■■

そして最後に人生という限りあるメーターが加わり■■■■■

これらの■が三辺で三角形を構成する。

これが人物たちの三角形にも言えることで、タシを中心にパトリックとアートが二辺を成し三角形を構成されているじゃないですか。

そう考えると面白い構造だよなと。

構造で言うと時間軸をシャッフルしたプロットとの相性も良いなと。

話の本筋は直線的に進むんですが、構成としては蛇行して進む感じ。それにより一筋縄ではいかない人生、テニス、恋愛、といった全てを象徴し、登場人物たちの心情表現の揺らぎさえも感じるような複雑性を加味していく。そういった細かい部分も意図したにせよ、しないにせよ、とにかく興味深い細部が多いなと思うわけです。

そういったことを踏まえなぜあのラストがあんなにアガったのか。

人生にも恋愛にもテニスにも終わりがあってその過程で様々な呪縛もある。だけど本質的に必要で重要なのはその物事への”熱意”という一点に収束するんじゃないかと考えると、その熱意を取り戻したのがラストだったのかなと。

映画のスコアが鼓動のようなビートを示したように、心拍数が最高潮の時を身を持って体感させるラスト。

結局そういう単純な部分をシンプルな形で見せ、感じさせ、共感させる。

これこそが全ての原動力の源です。以上。みたいな感じでバスっと終わらせてくれるというのも実に気持ちが良いところでした。

主要人物3人も良かったですよね。

関係性、存在感、キャラクター。映画『チャレンジャーズ』公式サイト|絶賛上映中

特にキャラクターの部分での表現の仕方がバチッとハマった配役だなと思ってみていましたし、誰に感情移入するかの変遷も面白い。

見方によって色々と視点も変わってきますからね。

プロデューサーとしてゼンデイヤが関わっているとのことですが、彼女27歳にして才能爆発し過ぎですよ。

最近だとDUNEもそうですし。タシとゼンデイヤに重なるところがあるというのも観ていて面白いところではありました。

兎にも角にもアッパーでバキバキ感のあるサウンドとテンポ感、カメラワークの面白さや映像としての興奮そのものを楽しめばいい。そんな映画になっているのも映画ならではの部分じゃないでしょうか。

では。

9年ぶりの新作『マッドマックス フュリオサ』戦士の誕生と壮絶な戦い

『マッドマックス フュリオサ』


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2015年に公開され、日本でも熱狂的なファンを生んだジョージ・ミラー監督のノンストップカーアクション「マッドマックス 怒りのデス・ロード」。同作に登場した女戦士フュリオサの若き日の物語を描く。

世界の崩壊から45年。暴君ディメンタス将軍の率いるバイカー軍団の手に落ち、故郷や家族、すべてを奪われたフュリオサは、ディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが土地の覇権を争う、狂気に満ちた世界と対峙することになる。狂ったものだけが生き残れる過酷な世界で、フュリオサは復讐のため、そして故郷に帰るため、人生を懸けて修羅の道を歩む。

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」ではシャーリーズ・セロンが演じ、強烈な存在感とカリスマ性で人気を博した女戦士フュリオサを、今作では「クイーンズ・ギャンビット」「ラストナイト・イン・ソーホー」などで人気のアニヤ・テイラー=ジョイが新たに演じた。ディメンタス将軍役で「アベンジャーズ」「タイラー・レイク」シリーズのクリス・ヘムズワースが共演。1979年公開の第1作「マッドマックス」から「マッドマックス 怒りのデス・ロード」まで一貫してメガホンをとっている、シリーズの生みの親であるジョージ・ミラーが、今作でも監督・脚本を務めた。

これまた9年振りということだったんですが、逆にそこまで経っていたのかというくらいの感覚。

期待しかない状態で観に行ってきたんですが、さすがジョージ・ミラーといったぶっ飛び要素は健在でした。79歳でこの作品の暴力性はそれこそ狂気ですよ。

正直なところ、前作を期待して観に行くとそこまでの盛り上がりは無いんです。でも、2回目の鑑賞時、これはこれで成り立っているなと。

あくまでも前作の前日章としてのフュリオサですし、物語の見せ方にしてもマッドマックスシリーズだって全て違ってるじゃないですか。芯の部分の”狂気性”というところは同じですが、その描き方は異なって当然なんですよね。全て同じじゃそれこそ楽しめないわけですし。

そういったことを踏まえて観ると見える景色も変わってくるわけじゃないですか。とりあえずそんな前日譚としてのお話。

でもあくまでも”狂気”の部分は健在ですよ。

初見の時に容赦ない展開と描写に度肝を抜かれました。スプラッター描写とかは全然平気な方なんですが、そんな自分でも若干怯む部分があったくらい。これも物語上の見せ方だったり流れだったりからそう思うところも大きいと思いますが、その描き方の切れ味が相変わらず鋭すぎるんですよね。

そんな本作は5章に分かれたチャプター形式になっており、神話的な伝承性を感じさせます。冒頭の果実を取る描写に始まり、終盤での第5の戦士のくだりも然り。

神話って口頭や記述で伝承されていくものなわけで、その曖昧さや神秘性がより物語に深みと余白を持たせているんですよね。

オープニングからの流れからフュリオサの母親による追走劇が始まるんですが、チャーリー・フレイザー演じるメリージャバサがカッコ良過ぎませんか。

COLOR of CINEMA on X: "『マッドマックス : #フュリオサ』 強烈な印象を残したチャーリー・フレイザー 。あとで気がついたけどデビュー作が『恋するプリテンダー』マーガレット役(ベンの元カノ。こちらのパンフレットではシャーリー・フレイザー表記)  https://t.co ...

スナイパーとしての腕が一流過ぎるし、精神性も素晴らしい。

バイクを乗り換える時の的確な判断もそうですけど、その手際も良過ぎません。鉄馬の女という呼び名も納得しかなく、佇まいからオーラしか感じないんですよね。そりゃ、フュリオサからしても最高に憧れる母親になるわけですよ。

それと序盤から中盤までの流れが何故かスターウォーズ味を帯びているなというのもあって、砂漠、幼少期を丁寧に描く、チェイス、神話性、レジスタンス、メカニックのDIY感、セリフ。他のマッドマックスシリーズは思ったこと無いんですが、本作だけはなぜか妙にその辺を感じてしまって。

ちなみに画作りとしては「ローグ・ワン」的だなと。終わり方や物語の展開なんかも含め。

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特にあの「星とともにあれ」なんて「フォースと共に」とリンクしてますし。ウォータンク製造過程とか、フュリオサの義手制作とか、短時間ながらもそのDIY精神にもなぜかSWがよぎってしまう。

神話性を纏った反骨精神ってグッとくるものがあるんですかね。

あと不覚にもイモータン・ジョー初回登場時はなぜか「おぉ!」となってしまいました。

ディメンタス達との格の違いを感じたというか、圧倒的存在感。

悪の存在と思いつつも、抗えなさを感じてしまうような圧倒さ。この見せ方も上手かったですね。対比することでこの世界独特の人物像やパワーバランスなんかを良く表現されている気がして、とにかく色々と納得してしまうようなバランス感。

今回は常時ブチ上がりというよりは要所要所でブチ上がる感じだったんですが、その要所はやはりアガりました。

逆に言うと分断されてしまっているので、沸点の最大値はどうしても下がってしまうんですが、それでも紛れも無くマッドマックス。期待は裏切らない。

そういったどのシーンも新しい驚きと興奮を与えてくれるっていうのが凄いんですよ。絶対に新発見がありますから。

一番痺れたのは終盤でディメンタスを追い詰める時のチェイスシーンですかね。

ディメンタスの格好をさせられた相手を追い詰める時のあの角度からあのスピードで突っ込んでくるかと思うようなスリリングさ。エンジン音の高ぶりとと共にフュリオサの怒りまで沸々と伝わってくる緊張感。そこから追い込みをかけるまでの流れ含め、ホント痺れました。

カメラワークもそうで、遠景から音だけが鳴り響き、そこから急接近して接写に変わる。この臨場感が実写ならではの迫力。

他のシーンもそうですけど、こういった迫力と臨場感を煽るようなカメラワークっていうのも相変わらずボルテージの上がる作りで、痺れる作りでした。

相変わらずキャラクターもメチャクチャ良かったですね。

ディメンタスの描き方も良い塩梅なんですよ。リーダー感ありそうなんだけど、ジョー様と比べるみたいな。その仲間たちの小物感も絶妙でしたし。

砦での対面シーンなんかも立ち位置からして上と下、ディメンタス集団が自分たちを誇張するのに対して、それを存在感だけで示すジョー様集団。その圧倒的な余裕さを醸し出す登場シーンは面構えの違いを感じて痺れましたよ。

ジャックも良かったですよね。

偽マックス的ないで立ちながらも徐々にその人柄だったり存在感に魅了されてくるんですよ。それでいてあの幕引きというところがいかにもジョージ・ミラーらしいなと思える潔さで、そういう呆気なさもあの世界ではそりゃそうだよなという変な説得力があるといいますか。

狂気的な世界では当然生温い展開なんてあり得ないんですよ。それを少しも見せないし描かないのが良いんですよね。

それでもシリーズに通底する”MADな中にある少しの希望”みたいなものは本作でも感じますし、それが自分自身の人生にも希望として見えてくるから不思議なわけで、その意味でのラストの終わり方も意志は継がれる的な感じでたまらんのですよね。

配役もさすがだなと思うのが、アニャ・テイラー=ジョイ。

目で語ることが重要な作品において、やはり目力が強い。

子役からの流れも見事で、アリーラ・ブラウンとアニャの地続き感も半端無かったですよね。

そこからのシャーリーズ・セロンっていうのもある意味納得感ありますし。

とにかくアニャの目だけで語る力っていうのはちょっと群を抜いていた気がします。

ディメンタス演じたクリス・ヘムズワースも見事な雑魚感でしたけどね。まあ丁度良いあのクズっぷりを表現できるっていうのも素晴らしいもんですよ。

とまあ、前作ほどのスーパーハイテンションでは無いものの、マッドマックスらしいMADさ全開、容赦ない画作りは健在なわけで、まず映画館で観るというのがマストでしょう。

ちなみに本作鑑賞後は絶対に前作を観たくなること間違いないです。

では。

ALL TIME BEST級!体験する映画の究極系『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

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荒廃した近未来を舞台に妻子を殺された男マックスの復讐劇を描いた「マッドマックス」(1979)のシリーズ第4作。

85年の「マッドマックス サンダードーム」以来30年ぶりの新作となり、監督・脚本は過去3作同様にジョージ・ミラーが担当。

過去3作でメル・ギブソンが扮した主人公マックスを、新たに「ダークナイト ライジング」「インセプション」のトム・ハーディが演じた。

資源が枯渇し、法も秩序も崩壊した世界。愛する者を奪われ、荒野をさまようマックスは、砂漠を支配する凶悪なイモータン・ジョーの軍団に捕らえられる。そこへジョー配下の女戦士フュリオサらが現れ、マックスはジョーへの反乱を計画する彼らと力をあわせ、自由への逃走を開始する。

フュリオサ役でシャーリーズ・セロンが共演。第88回アカデミー賞では作品賞、監督賞ほか10部門でノミネートを受け、編集、美術、衣装デザイン、音響編集、録音、メイクアップ&ヘアスタイリングの合計6部門で受賞を果たし、同年度では受賞数最多作品となった。

今までなぜ本作について書かなかったのか。

公開当時、これほどまでに強い衝撃と影響を受けるとは思わず、今なお自分の血肉となっていると気付かされたのは新作公開を経て、再鑑賞した今だった。

あの時色々あったんですよね。プライベートで。

自分自身が怒りのデスロードだったと言っても過言では無く、映画館で観た回数も5回と群を抜いて多かったのはこういうことだったのかと、今だから思える。

もう周知のことだと思うんですが、本作のプロットはいたってシンプル”行って帰って来る”ただそれだけ。

それなのになぜこんなにも魅了されてしまうのか。

久々に観て改めて思ったのがまず、映画自体が何もないように見えて、骨格がしっかりあるということ。

上っ面を見れば、単なるアクション映画の心地良さを楽しんでいたようであり、それでも十分楽しいわけでですが、よくよく観るとメチャクチャ良くできてる。

細部の作り込みだったり、語りの丁寧さだったり、感情の起伏の掬い取り方だったり、タイミングだったり、サウンド表現だったり、構図だったり。

細かいディティールに気付けば気付くほど、良く練られているなと感心するわけです。

このシンプルに見えて執拗に練られているというのは実はすごく難しいところだと思っていて、料理なんかでもシンプルな料理こそ難しいって言うじゃないですか。それに近い極限の難しさがあるはず。

終始クライマックスと言われているのも観れば納得で、冒頭のマックスがバシッと映るオープニングに始まり、観てるこっちも「始まるな!」と気合が入るわけですし。

それを裏切らない勢いのオープニングもさすがですよ。あのトカゲみたいなのがマックスのもとに寄っていき、踏まれるところなんて、サウンドメイクの際立ちが半端ないですし。

そこからの脱出劇もドライブ感が凄まじい。コマ落としの効果も相まって序盤とは思えない疾走感ですからね。

既にここで脳内ドーピングは完成。

そこからも緩急ある映像ながら、確実にテンションは高めだし、間の部分が良い緩衝材になっており、心地良いライブを見ているような高揚感が続いていくんですよね。

先に書いたプロットの無さを補完しているのがプロット以上の物語性だと思っていて、これも映画の特性を存分に生かしたもの。

プロットがシンプルでも内包されている個別の物語って絶対にあるわけだし、それをどう関連付け、表現するかだと思うんですよ。

それがかなり高次元で成されていて、それが映像の緩急とリンクしてくる作り。

続編にも繋がるところではあるんですが、本作からは”目で語る”というのが非常に重要なファクターとして機能してきますよね。

マックス自体、口数が少なく、元々会話が少ないシリーズだとは思うんですが、このフューリーロードからは目で語ることの重要性が一層増していると思うんです。

それは演者全員に言えることではあるんですが、その情報量も多くて、全員が素晴らしい目の演技をしている。

特に痺れたのは終盤でのカーチェイスシーン。フュリオサが刺され、もう駄目かもとなり、マックスと視線が合うところ。

ここなんて何も語らないのに感情がバシバシと伝わってくるんですよ。何度観てもグッときますよね。

ただそんなシーンがざらにあるのが本作。

エモーショナルな訴えかけの多さとその自然さも魅力的なんですよね。

過剰な演出にならず、あくまでも自然に映し出されている感じ。ブルースリーよろしくな”Don't think! Feel.”。

映像のドライブ感が物語のドライブ感とリンクし、相乗効果で怒涛のエモさを置き去りにしていく。

感じているのを実感する暇もなく、気付いたら感じていたみたいなそんな感じですかね。

このスピード感っていうのも肝なんですよね。全てが高速に展開していくのが妙に心地良くて。没入感を得られるのもこういった色々なファクターがミックスされてこそなのかと。

それにより唯一無二の映像的多幸感が満ち満ちている。

画作りの部分もそうですよね。

会話でなく、画で説明されている情報量が多いのなんのって。

構図などからもその意図を感じますし、メッセージ性を感じさせるショットも多い。

時折出てくるロングショットで全体の状況を感じさせ、クローズでディティールや臨場感を語るなんていうのもそういったメッセージ性を感じさせますよね。

あとは徹底してこだわった編集に、色のトーンへのこだわり。CGを使いつつもベースは生身にこだわるという半端ない作り込み。

確かCGが使用されているのは嵐のシーンだけだったんじゃないでしょうか。それくらい実写にこだわり、リアリティが徹底されている。

正直この迫力は”生”じゃないと出せないですよ。というかやっぱり伝わってきちゃうんでしょうね。感覚的に。

こちらの映像なんかを見てもその辺の感覚は尋常じゃない。


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生身のリアリティって映像だけじゃなくて物語を語る上でもそうで、生活していても実体験から語られる物語と伝聞や机上でのそれって全然違うじゃないですか。

これこそが圧倒的なリアルの差なんですよ。

それを感じさせてくれるという意味でもこの映画は最高なわけですよ。

リアルというところで言うと、出てくる美術にもこだわりしか感じないんですよね。

これもこの世界に存在しているリアルそのもの。カッコいいし、この世界の人物たちを存在させるのに必然性を感じる、ディティールの魅力があるなと。

車や武器、衣装や小物なんかもそう。全てに至るまで練られに練られている。これに関してはどれが素晴らしいとかですら無く、どれも素晴らしいんですよ。

スターウォーズなんかもそうですしDUNEもそうだと思うんですが、設定や背景、出てくる物のディティールが気になる映画っていうのはその時点で名作確定なわけです。あくまでも個人的にですけどね。

その世界を知りたい、堪能したいって思わされるって、それだけ世界観の構築が緻密に行われている証拠だと思うし、魅力があるからだと思うんですよね。

マッドマックスなんて、狂気しか無い、絶望的な世界なのになぜこんなに惹かれるのか。それこそ世界観がこれだけしっかりしているからでしょう。

そーいえばネーミングセンスも抜群ですよね。

人名にしろ場所の名前にしろ、固有名詞が抜群にカッコイイ。面白いのがそれでいて別に小難しい名前を使ってないところが最高。

ネーミング通りというか、別に狙った感じがしないのになんでここまでカッコ良く、キャッチーなネーミングを付けられるのかも不思議ですよね。こういった部分は全ての作品に共通するので、確実にジョージ・ミラー監督のセンスなんでしょうけど。これも作品全体のスパイスとして良く機能している気がします。

キャラクターの造形や設定なんかもそうですよ。

漫画やアニメ的なのに実写でこそ見たいと思えるような作り込み。これもキャッチーで愛くるしいキャラが多いのなんのって。

作品内ではニュークスが一番お気に入りですかね。入れ込み度で言うとマックスの方がそうなんですけど、キャラ的な好き要素としてはニュークスの方が上でして。

あの間抜けでピュアで気概もあるっていう謎なバランス感。愛くるしさも含めて、最高にクソ。

ジョー様にピストルもらって、ウォータンク飛び乗ってからの展開とかマジ何度観ても笑いますし、そこからの展開もニュークスならでは。そして最後の散り方ですよね。今まではジョー様の為に命を捧げ、「俺を見ろ」と言っていたウォーボーイズが最後にはケイパブルに対して同じセリフを言うっていう胸アツ展開。

言っていることは同じでも意味合いは全く違う。この作品通してそうだと思うんですけど、人って誰かを思う時こそ強い動機になり得るんだなということを痛感させられる名シーンでした。

そして個人的になぜこの映画がドハマりしたのか。それがようやくわかりましたよ。

作中でマックスが言う、「希望は持たぬことだ。心が壊れたら、残るのは狂気(MAD)だけだ」というセリフ。

まさに自分がこの状態だったんですよ。

じゃあそこに共感しただけなのかといえばそれも少し違って、そう言っているマックス自身が作中で希望を少なからず抱いていたからだと思うんですよね。

序盤で脱出しようとした時も、車に括りつけられていた時も、フュリオサから車を奪った時も、逃走している時も。

そして終盤での引き返すことを勧めるシーンで希望を与えたところから最後の輸血まで。希望は繋がれ、紡ぐことが出来るんだと思った時、自分の中のMADな感情も昇華されて気がしたんですよ。

いや、逆ですかね。MADでも何でもいい。とりあえず自分に正直に、難しいことは考えずシンプルに信念に従うだけでいい。ここに偽善や忖度も必要無いし、人の目を気にする必要も無い。

誰が正しいとか正しくないとかそんなことすら関係無く、狂気に染まりつつも抗う。

その先にある僅かなものこそが必要なものなんだと。

結局人は希望を完全に諦めることも出来ないし、そうすべきでは無いと思うんですよ。それをああいう画で、体験で見せられたら、そりゃ特別な経験になりますよ。

とまあこんな感じで9年ぶりに新作が公開されたのでいい機会でした。

ちなみにですけど、この作品も初回の鑑賞が非常に重要な作品だと思いますので、出来るだけ良い環境で見ることをオススメします。

では。

死の先に見たもの『イントゥ・ザ・ワイルド』の深いメッセージ

イントゥ・ザ・ワイルド

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インディアン・ランナー」「クロッシング・ガード」のショーン・ペン監督が実話に基づくジョン・クラカワーのノンフィクション「荒野へ」を映画化。

恵まれた環境で育ちながらも、人生に不満を抱えていた青年がアメリカを横断。その果てにたどり着いたアラスカの荒野で死ぬまでの心の軌跡を描く。

主演は「ロード・オブ・ドッグタウン」「スピード・レーサー」のエミール・ハーシュ。共演にマーシャ・ゲイ・ハーデンウィリアム・ハートキャサリン・キーナー、ビンス・ボーンら。

ショーン・ペンって監督としても俳優としても本当に素晴らしいなと思うわけですけど、本作イントゥ・ザ・ワイルドも改めて素晴らしかった。

そもそもがノンフィクション作品の映画化というわけなんですが、原作自体の物語性が非常に豊かなんですよね。

当然と言えば当然なんですが、アメリカ横断の末、アラスカという荒野を目指した若者が亡くなるまでを描くって、そりゃ壮大にもなりますよ。

その目的自体、若者ならではの部分もありつつ、なんなら永遠のテーマと言っても良いくらいの難題なわけじゃないですか。

言い換えると”結局人生ってなんなのか”ということですし。

これって人生に向き合えば向き合うほど、何かを追求すればするほど募る考えだと思っていて。ようするに目先に見えている目的のその向こう側にあるはずの最終的な目的地はどこなのかということだと思うんですよ。

生きている中で生じる些細な問題や、ちょっとした疑問、目的意識や達成感、幸福感、閉塞感、希望や絶望、人生の過程においては色々な事柄に溢れているわけです。

でも突き詰めてか考えていくと、それらは最終的に何の目的に向かっているのか。

その究極系が”人生について”だと思うんです。

最終的に死ぬとき、何を思えたら「幸せだった」、「後悔無い人生だった」といえるんでしょうね。

ある意味でその答えの一端を示してくれている気もしますし、そこから別の何かが見える気もする。そんな鑑賞後にも色々と考えさせられる作品でした。

映画自体の構成も心情を揺さぶるものになっていて、特にカットバックが効果的に機能しているんなという印象でした。

死ぬ前の数十日と旅の始まりからのカットバック。

辛辣さとそれまでの経験が折り重なることで、より重層的でエモーショナルな演出になっている。

壮大な風景も見ものですよね。

雄大な地においてそれこそ人間がどれだけちっぽけな生き物なのかということを知らされますし、クリス自体もどんどんそれに気付いていく演出が豊富に仕掛けられている。

風景を見ているだけでも映画自体の物語性とリンクし、抽象的に色々と示唆してくれている要素を感じてきます。

中でも本作の興味深いところがノンフィクションであるということ。

それをどう切り取り見せるかの部分においての調整が絶妙なんですよ。

物語自体の興味深さを損なうことなく、矛盾ともいえるような真実味を切り取らず表現する。

一番感じるのがクリスが抱いている感覚と起きている現実の矛盾だと思うんですよ。

序盤の方でソローの名言「愛よりも、カネよりも、名声よりも、われに真実を与えよ。」というものが出てきており、クリスもそういった思想を基に旅に出たんだと思うんです。

でも、実際にその道中で見せられる経験というのはそういった机上の空論でなく、人間味を持った”関係性”の部分が多いという事実。

人って誰しもが理想を掲げ、幻想を抱くものだと思いますが、実人生においての重要なことってもっとシンプルなことなのかなと思えてくるんです。

色々な人と関り、良いことも悪いことも経験し共有する。それ自体が生きるということでそれ以上でも以下でもない。

結局クリス自身も文明社会を非難し、真理を追究しようとしたものの、生きるためにお金も稼がなければいけないし、移動の為に電車や車という文明の利器にも頼らないといけない。自力で生きていくことを望みながらも鉄砲という人工的な道具に頼り、破棄されていたとはいえバスという構造物の中で生活する。

他にも色々なものに頼りながら、結局のところ自力だけで出来ていることなんて本当にごくわずかなんですよ。

その対比としての人々との関わりを丁寧に描くことで、そこにこそ幸せであったり人生であったりの意味を感じてしまう無意識の導線が引かれている構成。

ショーン・ペン恐るべし。

道中での人の助けだったり、道具の助けだったりを得なければもはや生きていくことすらままならないということを、チャプターのような雰囲気で切り取り、積み重ねていく。

クリスも終盤では”alone”と日記に書き記していたように、孤独を感じ、後悔していたのかなと思わされますよ。

孤独も選択できる状態でのそれがいいわけであって、孤独しかない状態でのそれは虚しさしか残らないと思うんです。

最後にクリスの書き記した内容っていうのは震えましたね。

「幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合った時だ」っていう。

関係性無くして、人は成り立たないんですよ、極論として。

そんな人生においての気付きを、ノンフィクションだからこそ強烈に、それでいてバランスの選択を間違わなかったショーン・ペン監督の手腕があったからこそなのかなと。

あと主演のエミール・ハーシュも良かったですね。

ロード・オブ・ドッグタウン」以来好きな俳優さんなんですが、ホントに好き。

演技にリアリティがあるというか、セリフや振る舞いに嘘を感じないんですよね。

これって当たり前かもしれないんですが、役柄によっては意外に難しいと思っていて、それを自然と、そこにいるような存在感を持って演じるって素晴らしいよなと。

楽曲のエディ・ヴェダーも良かったですよね。

パールジャムとはまた違うカントリーテイストの残る雄大な風景と相性の良いサウンド

初めて観た時にこの映画でこのサントラ借りたななんてことも思い出しつつ、改めて良い声だなと。

とにかく人生に悩んだ時や迷った時、折に触れて観返したい作品だなと改めて思いましたね。

そういえば持っていながら未読だった原作もあるので、折をみて読んでみようかなと思ったので、そちらも気になる方は是非。

ちなみに本作は何故かサブスクには無いのでレンタルもしくは購入しと観るしかないので悪しからず。

では。

Into the Wild

匂いがとにかく良いもので『KUNDAL ネイチャーシャンプー』で至福のひととき

『KUNDAL ネイチャーシャンプー』

最近ハマっているシャンプー&コンディショナーがありまして、それがこちら。

・KUNDAL ネイチャーシャンプーについて

KUNDAL ネイチャーシャンプーは、韓国のヘアケアブランドKUNDALから発売されているシャンプーです。自然由来成分98%配合で、頭皮と髪に優しく、しっとりとした洗い心地が特徴です。

 

・主な特徴

自然由来成分98%配合:頭皮や髪に負担をかけやすい合成成分を最小限に抑え、植物由来の洗浄成分を使用しています。

豊富なラインナップ:ダメージヘア、乾燥ヘア、くせ毛など、髪質や悩みに合わせて選べる豊富なラインナップが魅力です。

心地よい香り:種類によって異なる天然由来の香りが、バスタイムをリラックスさせてくれます。

EWGグリーンレベル認証:全種類EWGグリーンレベルの認証を取得しており、安全性が高いことが証明されています。

インスタか何かで紹介されていて、気になっていたんですよね。

匂いがとにかく良いということで。

サーフィンをしていることもあって、やっぱり海で髪が痛みがちなんですよね。それもあってか髪の纏まりだったり保湿だったりが欲しくて。

あとは何といっても匂いですよね。

髪って女性にしろ男性にしろ、すれ違いざまにいい匂いだといいじゃないですか。

特に髪が長ければ長いほどそれは感じるわけで、自分もちょっと前までは肩上くらいまであったから、その辺も結構感じていたんですよ。

で、このKUNDALはめちゃくちゃ匂いが良いんですよ。

香りに関しても色々とありまして、私が使っているのはアンバーバニラ。

これもサーフィン始めてから割とバニラだったりココナッツだったりといった甘めの匂いが堪らないんですよ。

不思議なもので、若い頃はそういった匂いはむしろ嫌いだったんですが、趣味やカルチャーから出てくる匂いというのにはそれ相応の良さを感じるとでもいいましょうか。

それがシャンプーするのが楽しみになるくらい良い匂いなんですよ。

洗髪時はわりと匂いもするんですが、翌日になれば意外に落ち着くっていうところも高評価ですね。

あまり強過ぎるのもあれですし。

とはいえ匂いだけがいいわけでも無くって、使用感もかなり良いんです。

一番わかりやすいのが纏まりの部分で、重くならずにしっかりと纏まる。

ベタっとなって纏まる感じだと嫌じゃないですか。

これにはそれが全くないんです。なのに纏まりだけはあって髪の毛1本1本が落ち着いている感じ。

なので翌朝もスタイリングしやすくて。

美容師さんなんかと話していても意外にもヘアケアで一番重要なのってシャンプーらしいんですよ。

確かに洗浄がしっかりできていなければその後にどんなケアしても限界があるのかと。

その意味でも自然由来成分が使われていますし、こういった成分表示等の情報以上に使ってみた感覚的な体感の方が絶対大事だよなと思うわけです。

なんやかんや書きましたが、個人的には匂いの良さ。

これだけの種類があれば誰でも好きな匂いに出会えることでしょう。

毎日のシャンプーライフも楽しみになるのでオススメです。

では。

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カンヌ受賞作『関心領域』:音に注目!関心の領域と加減の話

『関心領域』ポスター画像


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「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの小説を原案に手がけた作品で、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。

ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至らしめたアウシュビッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営みを描く。

タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉で、映画の中では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長とその家族の暮らしを描いていく。

カンヌ国際映画祭ではパルムドールに次ぐグランプリに輝き、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞した。出演は「白いリボン」「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のクリスティアン・フリーデル、主演作「落下の解剖学」が本作と同じ年のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したサンドラ・ヒュラー。

マジで異様な体験だったですね。

今年公開されている作品って変な作品が多いなとは思っていたんですが、へたしたらこれが一番変かもしれない。

まず、冒頭から暗転が続き、なんの説明もないまま一家団欒のピクニック的な不可思議映像を見せられる。

そこからも説明なんて一切無いですよ、でも、徐々に雰囲気や会話などから伝わってくる何とも言えない予感が現実とリンクしてくる。

この奇妙さこそが本作の肝なんじゃないかとすら思えてくるような気もする。

そしてそれに拍車をかけているのが”音”ですよ。

まさに”音”というのがふさわしいような環境音や効果音。時折流れてくる不況なサウンドも作品同様、酩酊状態に陥らされる劇薬として機能してきますし、聞けば聞くほど色々な気づきが得られる作りになっている。

とにかく”音”を聴いて欲しい。

日常でもそうですけど、意外に耳を傾けると実人生での環境音っていうのにも色々な音が混じっているわけで、それを認識するのかしないのか。つまり、人生も一つの関心領域なわけ。

坂本龍一さんもなにかで言っていたんですが、日常では音楽を聴かず、生活の中での自然音を聴いているらしいんですよ。ようするにそれくらい奥深く”聴く”かどうか。

無感情とか無関心とか、とにかく無が付いた状況ってポジティブな状況もあるかとは思うんですが、ネガティブな意味においてはとかく怖いなという印象。

それにすら気付かない状況ってのもあると思うんですが、それを映像化したのがまさに本作。

正直この作品に物語というお話は特段ないんですよ。

あくまでも当時の日常を一面的に切り取って、そこのみにフォーカスして描かれる日常系映画ともいえる。

そんなまったりとしてほのぼのしたようなものでは無いにしろ、実際描かれているのは表面的にはそんな日常、にあくまでも見えている。

人って面白いですよね。

ことの重要性よりも本人の当事者性により視点が歪む。

自分にもそういう部分が絶対にあるのかと思うとヘドが出る一方で、それこそが人間のサガなのかと思うと、うんざりもしてくる。

ラストショットの時、サウンドと相まって、自分自身でも酩酊したような、目眩がするようなズンとした感覚があったくらいですしね。

この映画の興味深かったのが、タイトルにもある関心の領域について。

観ていた中で関心の程度が3種類あるなと思っていて、1つがルドルフの関心を持っていたのに狂行に及んでいた人物、2つめがその奥さん、ヘートヴィヒの自分自身にしか関心が無く、狂行には無関心だった人物、3つめがヘートヴィヒの母親のような無関心から関心を持ってしまった人物、そして4つめが子供たちのように全くの無関心な人物たち。

タイトルと予告を観た際の個人的な印象として一番恐ろしいのが4番目のような無関心な人物たちだと思っていたんですよ。

でも、観ていくと実際に怖いのはどのような人物なのか、考えが迷走してくる。

本当のところルドルフのように関心を持っており、悪いこととわかってもなお、止められなかった人たちが一番多いような気がしますし、だからこそ、その多数派が一番良くないんじゃないかなとも思ってくる。

結局多数派が少数派を凌駕し、愚行だろうがなんだろうが淘汰してしまうわけですよ。

それって今の現代でも当然ある問題だろうし、絶対に無くならない部分でもあるんだろうなと。

なんかそう思うと愚かだな、人間ってと思ってしまうわけですよ。

他にも色々と気付く部分が多い作品なので、つぶさに細部を観察、知覚し、色々と考えながら観るというのが良いんですかね。

まあ体験としても相当奇妙な作品ではありますが。

そういえば撮影のライティングや構図も面白かったんですよね。

あくまでも自然ではあるんですが、建物内の少し神々しいような自然光の取り入れ方が素晴らしく、外でのパキッとした画作りと対比され、ハイソな暮らしをしているゴージャス感が画作りからも伝わってくるような、良い室内のライティングだったなと。

一方の構図に関してはフィックスのカメラで撮られており、どことなく鑑賞している印象が強いなと思っていたんですよ。文字通り展示などを鑑賞しているような。

これも終盤で実際のアウシュヴィッツ収容所の映像が出てきた時に、あぁこれか、と思ったんですが、展示されているショーケースを観ている感覚なんですよね。

言い換えるとショーケースという展示を観ているような感覚もありつつ、同時に箱庭を観察しているような構図に近いなと。

あくまでも傍観者として、その鑑賞から何を得るかはその人次第。

その時、関心の領域って非常に難しいなとも思わされたわけですよ。

というのも世界で起こっている全ての悪事、惨事に関心を持つのはとかく不可能なわけで、興味を持ったそれらにだけ言及するというのも当然偽善や偏りが出てしまう。

だとしたらどこまで、どのように関心を持つことが最適なのか。

まだまだ全然答えは出なそうですが、ちょっと興味を持って色々と考えていこうかなと思っております。

変な映画で、面白い視点を持った作品だったのは間違い無く、とりわけ”環境音”が重要な作品であることは確かなので、他の音に邪魔されない環境で観ることをオススメします。

余談ですが監督のジョナサン・グレイザーはMV上がりの監督なようで、ギネスのCMや、レディオヘッドジャミロクワイのMVの監督を手掛けていたとのこと。

これ驚きました。しかも自分も何度も観たMVだったのでなおさら。

映画を観てからMVを観るとなんか違った見え方して面白い発見もあるかもしれませんね。

では。

人生は将棋に近い!羽生善治の考える決断する力を感じる一冊『決断力』

最近はなんとなく将棋がアツい。

小学生~中学生くらいだったですかね。当時、なぜか将棋に興味があって、将棋教室なんかにも通っていたんですよ。

でもそこからはめっきりやっておらず。でも、漫画などはちょいちょい見ていて、その流れからまた興味が出てきたっていう感じですか。

当時の記憶だとまず頭に浮かぶのが羽生さんの衝撃っていうのはあって、いまだにその凄さみたいな部分は強く印象に残っているんですよ。

そんな中、定例のディグをしていた時に購入し、読んでみた1冊。思いのほか色々と気付きがあり、納得というか、なるほどな部分も多かったんですよね。

そもそも決断する力って何なんですかね。

将棋だと特にその”決断力”っていうのは謎で、目先の手だけでなく、はるか先を見て決断しなければならないわけじゃないですか。

その決断は一手ごとに変化していくものだし、相手があるからこその想定外が絶対に存在している。そう考えると決断の連続が永遠に続くって、凄いエネルギーを消費しそうですよね。

展開されているお話としても、人工知能との対局がどうなるのかといった現代に通じるところにまで及んでおり、今見ても興味深い視点があり、羽生さんが将棋や人生に対峙する際の決断に纏わる諸々も面白く、興味深かったですね。

結局のところ決断っていうのは一瞬のことなんですが、実は色々なことの積み上げの結果なんですよね。

当たり前と言ったらそれまでかもしれませんが、人生全てからアンサーを出していくようなところだと思うと考えさせられる部分がありますよね。

先に書いたAiの決断と人間の決断の異なる部分もそうで、当然、Aiに軍配があがる局面もあるのは確かですが、一方で人間にしか下せない決断もあるわけですよ。

いずれにせよ一朝一夕で身に付くわけもなく、人間としての経験、成長、それらをひっくるめて色々な局面に立たされてこそ身に付くものなんだなと。

この”局面”ということと将棋での”対局”っていうのが字を同じくしているというのもなんだか興味深いところではありますよね。まあこれは完全な私的な思いですが。

終盤で書かれていたことがとりわけ印象的で、日本と海外の違いみたいなものを書かれているんですよ。

そこでの「将棋にも省略の文化がある。日本人は、物事を省略し、新しく創造し直す才能に恵まれているのではないだろうか」という箇所はなるほどなと思わされました。

土地の風土や慣習なんかから人の感性が形成されるっていう、切っても切り離せない何かがそこにはあるのかと思うと、それは生かしていかないといけないなと思ったりもするわけです。

では。

9人間は本当に追い詰められた

17論理的な思考ばかり

24物事を簡単に、単純に考える

27知識は単に得れば

62ぎりぎりの勝負で力を

65趣向には思想がなければ

71決断とリスクはワンセット

91深い集中力を得られるか

94集中力は、人に教えてもらったり

102プレッシャーはその人の持っている

118その欲が考えを鈍く

122将棋を指す楽しみの一つ

129山ほどある情報から

137自分の得意な形に持っていくと

156自ら努力せずに効率よく

165たとえコンピュータが

171報われないかもしれないところで

184個人のアイデアは限られて

195どの世界においても

200日本人は、物事を省略し