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実体の無さはすべてに存在していることなのかも『ある男』

どうしても原作から読みたい作品ってあると思うんですよ。それは漫画でも小説でも。その意味で平野さんの作品は全てそういうところがあるなと。

この作品もあらすじからして興味深く、目の付け所というか、思考の巡らせ方がとにかく好み。

愛したはずの夫は、まったくの別人であった――。

「マチネの終わりに」の平野啓一郎による、傑作長編。

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。

宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ところがある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に、「大祐」が全くの別人だという衝撃の事実がもたらされる……。

愛にとって過去とは何か? 幼少期に深い傷を負っても、人は愛にたどりつけるのか?

「ある男」を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

第70回読売文学賞受賞作。キノベス!2019第2位。

考えてみると”他人”を認識する時ってどうやって認識してるんでしょうね。

固有名詞や、人となり、喋り方や、過去の経歴、家族、容姿、学歴、挙げればきりが無いくらいには出てくるものですが、いざその人を明確に捉えている点を挙げろと言われるとひどく不確かだなと思ってくるわけです。

なんなら自分という人間だってそうですよね。自分が思う自分と人が思う自分は全く異なるかも知れないわけで。

その辺の要素を物語的にもミステリアスに描いており、日常レベルの話に上手いこと落とし込んでいる感じ。

少しづつ謎解きをして確信に迫っている感覚があるものの、むしろ確信から遠ざかっている気もしてくるという変な感覚も同居している構成。

これには読んでいるものの想像から生まれてくる構造的なミスリードというより、感覚的ミスリードに依存することろが大きい気がしています。

結局なんでもそうですけど、全ての事柄って”実体が無い”んですよね。

全てが想像や思惑で形成され、多くの人にとっての既成事実に成り代わっていく。

よく会話にも出てきたり、自分でも言ってしまう「普通さぁ」という言葉もまさにそうで、誰から見た普通なのか、対象は誰なのか。そうしたことが当たり前のように抜け落ちてしまい、そこに疑問は無くなってしまう。

こんな世の中に沢山溢れた認識の誤謬みたいなものがわかりやすい形で興味深く綴られていく物語。

まず、根幹にある物語の掴みが素晴らしいですよね。「好きになった人が全くの別人だったとしたら」って。

そんな掴みの良いフックがありつつ、それだけのコンセプトに埋没していない。これほど興味深く読めてしまうというのは間違いなく平野さんの文体や言葉選びの部分にあると思うんですよ。

クラシカルな純文学的でありつつ、どこか近未来的な装いもある澄んだ言葉選び。なんか頭に残るところがあり、ハッとさせられるんですよね。文字を読んだ時にそのイメージが圧縮されて弾けるような。

人の感情というか認識の確信はどこにあるのか、もしくはそれすらまやかしなのか。

良きお話でした。

映画化もされ、評判も良いのでそちらも観てみたいところではあります。

では。

19この世界と自分との留め金

53愛にとって過去とは

100子供は成長が早過ぎて

118若い頃は、愛することと

130端的に言って、彼は

131自分とは何か

156みんな、この世界の評価

171話は虚実が複雑に

200人はなるほど

205広告表現の芸術性

263若い頃には想像だに

282事務所では、城戸さんの

294誰も、他人の本当の

314僕たちは誰かを好きになる

319消せないなら

336この人生を誰かから

361瓦礫からいつの間にか