春休み、以前から気になり買っていたけど手をつけられていなかった小説を読もうと思い、手にしたのがこちら。
まさかこんなに食らうとは思いもしませんでした。
本にしろ映画にしろ音楽にしろ、出会った瞬間に何か予感めいたものがあるモノってあると思うんですよ。
この本も自分にとってはそんな作品で、何かの書評を読んで作者が妙に気になり、中でもこのタイトルが目を引いたんですよね。
神は銃弾ですよ。痺れますよ。タイトルからして。
それからわりと年月も経ち、でも、ずっと頭の中にはあったような、そんな出会いのある作品でした。
この作品、まずもってヘビーです。
本のカバーに書かれているあらすじだけでもゾッとするような内容はわかるんですが、それ以上に文体から滲み出る力強さ、ワードセンス、表現の豊かさ、それら全てから濃厚に搾り出されたような言葉の弾丸が突き刺さってくる。
言い回しや表現の難しさもあり、スラスラと読める感じではないですが、それでも惹かれてしまうほど魅力的で、腹に響いてくる物語。
風景であったり、感情であったりの表現がいちいち詩的で美しいんですよ。情緒もあって、深みもあり、その世界観にずっと埋没していたいと思うほどダークなのに重く響いてくる。
小説のていとしてはノワール、もしくはクライムものになるのかな。
でも、読み進めていくと、それもありつつ、ヒューマン的、純文学的な深みがそこかしこにあって、だからこそ描かれる世界の豊かさが半端ないんですよね。
特に色にまつわる表現は恐ろしくソリッドで生々しい。言葉尻だけでもイメージを肥大化させるようなワードセンス。
翻訳でその印象なので、原文はさらに複雑で難解なのかもしれないですが、その感覚は十分に堪能できてしまう。
物語自体はほんとシンプルな構成なんですよ。
カルト集団に娘を連れて行かれた父親がそのメンバーだったジャンキー女性と娘を取り返しに行くっていう。
それだけなのになぜか重厚さがクセにさらなるこの感覚。思い出されるのは濃密な会話劇と、人生への問い。
出てくる人物もそこまで多くないんですが、ボブとケイスのやりとりは見所しか無いんですよ。
考え方も人物像も確実に異なる人生を歩んできたような二人。でも、旅路を共にする中で確実にわかり合ってくるわけですよ。なんならかけがえない存在と言えるかもしれないくらい。
それがLOVEなのかLIKEなのか。はたまたそれ以外の感情なのかも含め、容易な展開には絶対に転がさない。
良い意味で全てにおいての安易さがないんですよね。
実際、人生もそうで、唐突に全てが起きる以外はあり得ないじゃないですか。本当のところ。
物語だからって必ずしも分かりやすい展開に持っていく必要もないと思うし、それって、逆に見るものを単純化して捉えてる気もしますし。
なので、起きる事柄も想像の遥か上をいくし、容赦も無い。
そこをサバイブしていくボブとケイスの関係性がとにかく魅力的に浮き出てくるんですよ。
本当は相対すら存在だったわけだし、境遇もそう。でも、本質的に世界の輪郭を捉えるという意味においては正しさだけでは生きていけない。
賢さとずる賢さの狭間で、誰もが聖人ヅラしているという皮肉めいた視点で描かれる物語には妙な説得力納得感があるんですよね。
救われないからこその視点というか、だからこそ説得力のある描写や言動というか。
作者自身も順風満帆に過ごしてきていないことを感じさせる部分が多く、それも物語上の要因だと感じさせられる気がします。
最後に個人的に一番感動し、心揺さぶられたフレーズを。
「自分のしたことをちゃんと自分で支えられる勇気を持った男だ」
これはケイスが自分自身を責めるボブに対して言ったセリフなんですが、それまでの二人の旅路を考えるとあまりにも自分自身にも響いてしまって。
ボブ自身、行われた行為は常に善だったとは思っていないはずなんです。
だとしてもそれらを肯定し、ただ、肯定するだけでなく、勇気という行動と意思を尊重するところにあまりに深く、さりげない中にどれだけのリスペクト、気遣があるのかということを感じさせるセリフに、マジで脳天直撃したような衝撃と感情の波が襲ってきたわけです。
何が正しいとか間違ってるとか。偽善や忖度で無く、本当のそれらを見ることの大切さを改めて強く感じた作品でした。
ボストン・テラン、遅ばせながら素晴らしい才能です。
では。