「押井守監督が贈る不気味な青春群像劇!『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』」
この作品、以前から観よう観ようと思っていたものの、結局観れておらず。
まあ、そんな作品は山ほどあるわけですが、ついにアマプラにきたということで鑑賞しました。
高橋留美子の同名コミックを原作とする人気テレビアニメ「うる星やつら」の劇場版第2作。
テレビ版のチーフディレクターである押井守が前作に続いて監督を務め、本作では脚本も担当。
謎のタイムループに囚われた諸星あたるやラムたちの運命を描き、押井監督の初期の代表作となった。学園祭を翌日に控え、準備に大忙しの友引高校。あたるたちも学校に泊まり込んで作業に追われていた。
そんな中、あたるたちの担任・温泉マークと養護教員のサクラは、学園祭の前日が延々と繰り返されていることに気付き、全員に帰宅を命じる。しかし、友引町はすでに異常事態に陥っていた。
本作は押井守監督というところで観たかったんですが、それはそうとこのポスタービジュアル、完璧じゃないですか。
ラムちゃんの配置の仕方だったりカラーリングだったり。
とまあきっかけは何であれ、名作と言われていることもあり、とにかく気になっていたんですよね。
そんな感じで見始めた本作ですが、1984年制作ながら全く古さを感じないんですよ。根本的な機材や技術的な部分によるところは別としてですが。
とにかく映像自体のクオリティだったり、作品自体のクオリティが高い。
なぜこれが名作と言われるかがわかりますよね。
押井監督って今でこそ作品作りというより、批評だとかそういったところが多いのかもしれませんが、やっぱり作品を観ると、批評よりも作品が観たいなと思ってしまうわけですよ。
では何が凄いのかというはなしですが、何といっても「全体に漂う不穏感とそのバランス」ですよ。
これに尽きると言っても良いくらいこの作品には不穏感が満ちている。なのに全く辛辣ではないというバランス。
押井監督と言えば、独特な嫌さとでも言いますか、ギミックの奇妙さ、物語の変態さがあると思うんですよ。攻殻機動隊然り、パトレイバー然り。
それを「うる星やつら」という極めてポップで明るい作品を題材にしながらダークファンタジーのような世界観とマッシュアップさせる手腕ですよ。なんなら剛腕と言っても良いくらいにその作家性が前面に出ている。なので好き嫌いは分かれる作品かと思いますが。
差し込まれる演出であったり、カットの奇妙さ、この辺がある種独特なんですよね。ちょっとした間なんかも不可思議さを誘いますし。
セリフの言い回しだったり、表現もそうですよね。
時間の概念に対するセリフは特に印象的で、無邪気が言う「時間の認知って人間がただ決めたものであって、全員がタイムスリップしたら誰がその事に気付くのか」的なことを言うんですが、まさにその感覚。
こうした概念的な問いもまた面白いんですよ。深いというか。
そしてそれを画作りで実際に見せてきますからね。
画作りとして「ぎょっ」とさせられる部分も多いですよね。飛行機に乗って、住んでいる街を見下ろすシーンであったり、突如現れるクローズアップであったり。
驚きなのか恐怖なのかわからないんですが、とにかくハッとさせられる。
構図によるところもあると思うんですよ。変な角度や変な視点からのカットだったり。
その辺のバランス感覚が優れているんでしょう。奇妙に見せるという意味において。
それらに加えて色使いもあるのかなと。
特に黒の見せ方が際立っている気がして、映像を反転させるような黒を使用した世界の変化だったりがそう。これにより表の世界と裏の世界を行き来しているような奇妙な感覚が刷り込まれるような気がするんですよ。
無音の使い方も同様で、それにより不気味さが一層際立ち、より映像的な不穏感がブーストするとでもいいましょうか。
なんでああいう見せ方が出来るのか。
他の作品もそうなんですが、ホント独特の作家性があるなと。
その中でも本作の面白さはそのポップさとダークさのバランス感覚で、なんか軽妙な部分が面白くもあり、不気味なのにちょっと笑えて、絶望的でもあるのに、なぜか気軽に観れてしまう。
ある意味でラムちゃん効果なんでしょうか。
キャラクターの存在も大きいと思っていて、それにより、ちょっとひねくれた青春群像劇にも見えてしまうほど。
細部を話し出すとキリが無いので、この何とも言えない映像の不可思議さを是非観て体験してほしいところです。
いつまでプライムで観れるかわからないですからね。
では。