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記憶を追憶する物語!ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』

「記憶を追憶する物語!ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』」

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ミツバチのささやき」などで知られるスペインの巨匠ビクトル・エリセが31年ぶりに長編映画のメガホンをとり、元映画監督と失踪した人気俳優の記憶をめぐって繰り広げられる物語を描いたヒューマンミステリー。

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報が寄せられ……。

コンペティション」のマノロ・ソロが映画監督ミゲル、「ロスト・ボディ」のホセ・コロナドが失踪した俳優フリオを演じ、「ミツバチのささやき」で当時5歳にして主演を務めたアナ・トレントがフリオの娘アナ役で出演。

30年ぶりの作品ということだったんですけど、この監督は人の記憶を呼び起こす表現が実に素晴らしいなと。

具体的にどこがというより、映画全体として漂う空気感、そうしたものが見ているものの記憶を呼び覚ますとでも言いますか。

部分的な狙いとしてそういった効果を出せる監督というのは間々いるかと思うんですが、全体感として表現し、語りかけてくるというのは非常に稀有な監督だなと思うわけです。

体験として浴びさせるといいますか。

私自身、エリセ監督を知ったのが昨年の「午前10時の映画祭」でして「ミツバチのささやき」を観るまで、この監督自体を知らなかったんですよね。

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それが「ミツバチのささやき」を見た時、本作で感じた”記憶を呼び起こす”という感覚と同じことを思ったんですよ。つまり映画全体として語りかけてくるような体験を。

なので新作が公開されると分かった時、「あっ、もう絶対に見に行こう」と決めておりました。

予告の印象からドキュメンタリーテイストな作品なのかと思ったんですが、観てみるとそれ以上の複雑さを併せ持った作品に仕上がっているなと。

映画そのものとして自分の中に内包してる何かを想起させてくれる感覚があり、これがあまりに独特な感覚だったんですよ。

劇中劇のような形でインサートされた映画も出てくるんですけど、その辺の見せ方なんかも非常に上手く、どことなくミステリータッチなんですよね。

観ていると実際はそうでもなくて、それよりもっとヒューマンな部分にフォーカスしたような、人の心だとか人の繋がりだとか、そういった人間の本質的な部分に関する話だ気づかされるわけです。

そう考えるとこの映画の構造自体がビクトル・エリセ監督だから出来たというようなところもあると思うんです。

色々な仕掛けというか含みみたいなものは多分にあるんですけど、それに気付けなきゃ楽しくないのかと言うと全然そんなこともなくて、じゃあ具体的にどこが楽しかったのって言われるとそれを説明できるわけでもなくて、本当に感覚的なものなんですよね。

ただ映画ってそういう部分があってもいいのかなと思っていて、ピンポイントでここが楽しかったとかそういう部分がある映画ってのもまあもちろん大切だと思うんです。でも、それ以上に映画然とした映画そのものの力ですよね。

そういったものを食らってみるっていう感覚がこの監督にはやっぱりあって、その一助となってるのは映像の美しさであったり音楽の繊細さ、この辺はまあ欠かせないなと思っていて。

そうしたものが推進力となり、物語の表層上じゃなく、深部をぼんやりと描き出していく感じですかね、この辺がやっぱり良いんですよ。

正直、”完璧な映画を観たな”という感覚ではないんです。それよりはむしろ”良い体験をしたな”っていう風に思える、そんな映画体験。

映像的な部分として、暗がりの中から人を浮かび上がらせるような、そういう見せ方も実に匠ですよね。

浮かび上がってくるのは映像上では人なんですけど、それ以上に、その人が考えている思いであったり、その積み重ねてきたものみたいなものさえも、暗闇の中から浮かび上がらせてくるっていう。

その映像的な部分だけじゃなく、内包した深部っていうのを表面に描ききるっていう所が非常に素晴らしく、映像として単純に綺麗なんですよ。

そんな表情だったり、浮かび上がってくる姿なんかから、色々と考えさせられるなと。

この作品自体、1人の映画俳優をフォーカスし、その人物にまつわる話を解明しながら色々と解きほぐしていくっていう物語になってるんですけど、その中で色々と身に染みるような場面もあるんです。

例えば「1本の映画よりも1人の人生なのか」とか、「その人を構成してるのは名前ではなくてその人そのものなんだ」といったようなことを言っているシーン。

そういった部分っていうのはやっぱり観ていて思うところがありますし、実際にそれってどういうことなんだろうなと。

映画から人生に影響を受けたとか、事実は小説より奇なりといったことって良くあることだと思うんですが、それを踏まえた上で映画と人生、どっちが本当とか、どっちが真実とか、そういった単純なことでも無いんだと思うんですよ。

要するにどっちも重層的で複雑な物語の集積で形成されていく。だからどっちがどっちっていうのは明確に言えなくて、でも、その重なりだったり、豊かさみたいなものがあるからこそ、映画にしろ人生にしろ、面白く、深みみたいなものを認識することが出来るんじゃないでしょうか。

結局は背景に横たわる人生であるとか、人なんですよ。

物語や人生とは何なんだろう、という風に思う時、こういう映画というのはそのちょっとした助けになってくれる気づきが溢れているなと。

ビクトル・エリセ監督のそういう描き方の部分っていうのは素晴らしいなと改めて思わされたそんな作品でした。

それでは。