静かな衝撃でした。
「感情の隙間に迫る!『ほつれる』が描く、人間関係の複雑な真実」
演劇界で注目を集める演出家・劇作家の加藤拓也が、映画監督デビュー作「わたし達はおとな」に続いてオリジナル脚本で撮りあげた長編第2作。「あのこは貴族」「愛の渦」の門脇麦を主演に迎え、ひとりの女性がある出来事をきっかけに周囲の人々や自分自身と向きあっていく姿を描く。
夫・文則との関係がすっかり冷え切っている綿子は、友人の紹介で知りあった男性・木村と頻繁に会うようになる。ある日、綿子と木村の関係を揺るがす決定的な出来事が起こり、日常の歯車は徐々に狂い出していく。
作品自体のテーマ性はそこまで突飛なものでないのに、なぜここまで辛辣に迫ってくるのか。
映像自体にもその予兆は漂っており、どことなくアンダーなトーンとしっとりとした色調。
環境音が妙に大きく、それ以外が静寂に包まれているというのが妙に不気味で、不穏な気持ちを掻き立てられる。
作品の時間も84分と短く、あっという間の展開ながら、受ける印象は重厚さそのもの。
個人的にこの映画で表現される、”人の無機質さ”が際立っているなと思っていて、喜怒哀楽といった、感情を出したり、表現したりということが当たり前の生活において、それ以外の無機質な部分にフォーカスを当てた表現が見事であり、怖さでもあり。
人って誰しもが個としての側面と誰かしらとの関係性の側面を持ってるじゃないですか。
その個としての側面って、抱えている大きさや深さを知る由も無いですし、本当のところなんて、本人以外にはわからないと思うんです。
作中ではそうしたアンタッチャブルな部分に触れた感じがするとでもいいますか、なんかギリギリのところを見せられている感覚。
不倫自体は世間的にはアンノーマルなわけですが本人たちにしてみればそれはノーマルなことなのかもしれない。
単純に普通の恋愛が不倫だっただけかもしれないし、好きな人が二人いただけかもしれない。もしかしたら、隣の芝は・・・といったように甘い蜜を吸いたいだけかもしれないという場合も考えられますが。
いずれにせよそれは誰にも分らないことだし、理解も出来ないこと。
本人たちでさえ、不倫というフィルターを外して見た時、実際にどう見え、どう感じるかなどわからないかもしれない。
結局真実なんてどこにもなく、主観的な感覚と、客観的な批評によって成り立っているだけのことなのかなと。
そう思うと人間関係ってホント難しいよなと思えてくる。
本作を見ていると、そうした無機質さがある種の分断により表出し、タイトルの文字通りほつれていく感覚を抱かせる。
誰もが思うことを思うように言え、振舞えたら楽だろうに、そんなことは大人になるにつれ、到底できなくなるというやるせなさに直面させられる。
この映画の良さは演者にもあると思っていて、まず主演の門脇麦さんが素晴らしい。
綿子の無機質感であったり、何を考えているのかのわからなさであったりが良く伝わってくる。
葛藤の部分が表情であったり、言動であったりといった些細なところから伝わってくるところが綿子を知らないのに、綿子っぽいなと思ってしまうほど。
木村役の染谷将太もそれほど出番はないながらもかなり効果的で、ひょうひょうとした中に潜む複雑さ。この絶妙なバランスを見事に演じているなと。
文則の本音を隠し淡々と話すんだけど、その背後に潜む嫌な感じ。これって本人には別にそんな意図は無く、でもそれが伝わってしまうところなんかがよく伝わってくる。
英梨の無関心な感じも、本心が別のところにありそうな雰囲気を感じるいやらしさがある気がしますし。
そんな感じで、主要な人物たちから漏れ出る本音を隠した振る舞いや挙動。その辺の表現がすごくいいなと。
カットに関しても静的で無機質さを感じさせるものが多く、フィックスで置き去りにされたような視点のショットが印象的でした。
ラストを見た時、もやもやは払拭できなかったものの、人生ってそういうものだよなと思うと同時に、車でどこかに走っていくというのはやっぱりどの映画を観ても人生と似通った部分を感じて無条件に好きだなと思ってしまう、そんな良き映画でした。
では