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今泉監督作品ドラマ『1122 いいふうふ』で学ぶ本当の思いやりとは?

『1122 いいふうふ』

1122 いいふうふ | ガジェット通信 GetNews


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今泉監督のドラマは初めて見たんですが、ドラマだからこその表現。やはりというか、できる幅も時間も広がり、非常に良き作品でした。

正直、予告を見て気になっていた作品だったこともあり、今泉監督作品ということは全く知らず。なんなら知ったのは観終わってからでしたから。

にもかかわらず観ている最中、ずっと良い監督と脚本だなと思っていたんですよ。それがまさかの今泉監督だとは。

渡辺ペコさんの『1122』という漫画が原作なんですね。そちらは未読だったんですが単純にドラマとしても素晴らしいお話でして。

主要人物以外にほとんどフォーカスが当たらないという構成も素晴らしく、これが原作通りなのか、監督の意向なのかわかりませんが、この切り取り方が非常に良く機能していました。それにより一人一人への没入度が高まっていますし、心情描写も丁寧に描かれ、関係性の透明度も高まって見えてくる。

ちなみにあらすじは

妻・ウェブデザイナーの相原一子(高畑充希)。夫・文具メーカー勤務の相原二也(岡田将生)。友達のようになんでも話せて仲の良い夫婦。

セックスレスで子供がいなくても、ふたりの仲は問題ない・・・だけど。
ふたりには“秘密”があるー。

それは、毎月第3木曜日の夜、夫が恋人と過ごすこと。結婚7年目の二人が選択したのは夫婦仲を円満に保つための「婚外恋愛許可制」。二也には、一子も公認の“恋人”美月がいる。

7年目の結婚記念日をむかえ、旅行にやって来たふたり。その夜のベッドで一子は久しぶりに二也を誘うが拒まれてしまう。ショックを隠しきれない一子に「俺に好きな人がいるの、知ってるよね?」となだめる二也。一子の性欲は長らく「凪」状態で、二也を拒んだことからふたりはセックスレスになり、一子もそれを公認している……はずだったー。

一子から事情を聞いた友達の恵(中田クルミ)は、一子にも婚外恋愛をする権利があると仄めかすー。

物語自体は”夫婦の形について”と言ってしまえばそれまでなんですが、そんな単純な話でも無く、それぞれの人生や考え方、社会的背景といった、あらゆる事象の積み上げの結果から成り立っている。

だからこそ一筋縄ではいかないもやもやした気分を抱くわけで、それが展開を読めない方向へ、そして気持ちの複雑性を良く表現しているなと。

とにかく最後までゴールがわからないんですよ。

なんとなくこんな感じなんじゃないかと思ってもすぐに裏切られ、かと思えば思っている方向に戻ってみたり。

複雑性こそが人生であり結婚であり、夫婦なんだということを身をもって考えさせられる。

良き物語が含む、画一的でない思考の曖昧さを、程よく刺激してくる感じ。

今泉作品ってこういう”人の複雑さ”を描くのが本当に上手いんですよね。それをドラマという枠組みで描くことで、より深みが出るというか、話自体の重層感が増すんですよ。その意味でもこういうお話をドラマで描くというのは相性が良いのかなと。

キャストも良いんですよ。

主要4人の程よくいそうな感じであったり、仕草や表情、振る舞いなど。こうした人物たちの表現も一面的な人物像に留まらず、あくまでも人は多面的であり、変化や複雑さを内包しているということを表現できるような役者の顔ぶれ。

特に高畑充希さんと岡田将生さんが演じていた人物たちの表現が素晴らしいなと。

さり気ない部分からも感じ取れる演技力は何よりですし、実際に血肉が通っている生々しさもあるからこその存在感。演技上手すぎです。

映像として印象深かったのが、暗転の仕方と間の取り方。

暗転する時の観ているこちら側の余韻であったり、フェードしていく気持ちだったりが凄くシンクロして心地よかったですし、間の取り方も実に余白を加味したテンポ感で情緒を助長してくる。

作品で描かれる全てがかけがえのない時間なんですよ。それは物語的にもでしょうし、鑑賞側の視点としてもそう。

なんかこの物語を見ていて、最後まで結末がわからないと書きましたが、そこが何よりも響いたポイントなんじゃないかと。

物語、演者、映像、音楽、全てが曖昧さに拍車をかけ、ふわっとした空間を漂うような感覚に満ちている。それなのにそれらは真実であり、実際の生活感に寄り添うからこそ感慨深い。物語上で二転三転する会話劇であったりも、視聴者の実体験と重ね合わせ、追体験できるような構成になっていと考えることで見え方も変わってきますし。

自分には何が大切で、どうあるべきなのか。

答えは人それぞれだし、自分自身の答えすらもままならないけど、気付くべき気付きが詰まっているなと思うわけです。

ちなみに個人的には”タイミング”と”思いやり”、これが良い人間関係には必要な気がしました。

タイミングの部分に関しては、それこそ、作中で何度も微妙なすれ違いが起こるじゃないですか。物語には直接的に響かないようなちょっとしたすれ違い。これらを見ているとこういう微妙なズレや積み重ねが良い方にも悪い方にも進むものだなと。

でも、それこそが人間関係であって、やるせない気持ちになりつつ、そういったタイミングのズレをどうやって埋め合わせていくのか。この絶妙な表現と整合性がリアルに拍車をかけるわけです。よくあるじゃないですか。思っていることや結果は同じでも過程や程度が違うって。その辺はタイミングのズレからくるものだと思うんですが、決して無くすことは不可能なんだと知っているわけです。だからこそ後悔するし、反省するし。嬉しいし悲しいし。

それから思いやり。

これも相手を思うことは大事なわけですが、持ちすぎること、持たなすぎることがどう影響するのか。多くても少なくてもいけないバランス感で、丁度良さはひとそれぞれ。状況によっても関係性によっても、その深度は変わってくるわけで、だからこそこれまた難しい。でも、思いやるという行為自体に良いも悪いも無く、自然と思いやれるということが出来て初めて”思いやり”と言えるじゃないでしょうか。本当の思いやりってようするにそういうことなんだろうなと。結局は始発が終着点なんですよ。友情にしろ愛情にしろ関係当初の気遣いがあればそれが思いやりに繋がってくる。忘れてしまいそうな感覚だけど、一番重要なことってそういうことななんだろうなと。

そういったことがらも踏まえ、ラストのあの結末を見た時、「そうだよな、重要なのは形じゃなくてどう形作るか」なんだよなと思えた時、何とも言えない感情に包まれたわけです。

重要なことは1つじゃないし不確かかもしれない。でもそれでいいじゃないってね。

そして毎回良い曲だなと思っていたスピッツのi-O(修理のうた)が流れてきた時のカタルシス。半端無かったです。

修理と人間関係が螺旋のように交わり、歌詞の深さとメロディの余韻にやられました。

この歌詞も鑑賞後に改めて観ると見え方が変わってくるかもしれません。

open.spotify.com

アマプラで配信中なので観れる方は多いはず。

それでは。