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A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー

絶体変なのに愛おしさしかない。

『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』


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マンチェスター・バイ・ザ・シー」のケイシー・アフレックと「キャロル」のルーニー・マーラの共演で、幽霊となった男が残された妻を見守る切ない姿を描いたファンタジードラマ。

田舎町の一軒家で若い夫婦が幸せに暮らしてたが、ある日夫が交通事故に遭い、突然の死を迎える。

病院で夫の死体を確認した妻は、遺体にシーツを被せて病院をあとにする。しかし、死んだはずの夫はシーツを被った状態の幽霊となり、妻が待つ自宅へと戻ってきてしまう。

アフレックがシーツ姿の幽霊となってさまよい続ける夫役を、マーラがその妻役を演じる。デビッド・ロウリー監督がメガホンを取り、「セインツ 約束の果て」の監督&主演コンビが再結集した。

冒頭からそうなんですが、とにかく異色過ぎる。

それでいて観なかったことを後悔するような完成度の高さ。なんか全てが刺さり過ぎて、なんというか。

死に向き合うということはそういうことなのか、五感に訴えてくる痛切な感覚は言葉無しでも語れてしまうほど、映像、音像的フォルムが素晴らしい作品。

SF的ともとれるような作品なんですが、スピリチュアルともとれるような、それでいて哲学的な問いもあるような部分もあって、とにかく体験した人にしかわからないような作品であることは間違い無い。

そんな本作に一貫してあるのは『静かなる眼差し』。

カメラワークやショットから感じられるのは主人公でもある幽霊の視点そのもの。まるで幽霊としてその場にいるような錯覚を起こしてしまうような生生しい視点の数々。目しか出ていないのにそれだけで感情を表現できているちょっとした変化も素晴らしいなと。

移動するさまや情景の変化は常に静かに行われていき、とにかく静かな画作りも印象的。

場面転換も、まるで瞬きでもしているかのようなスムーズさと自然さ。あくまでも幽霊視点での眼差しを感じさせるつつ、それだけに依らない絶妙さのさじ加減たるや。

そうかと思えば、あっ、と驚くような仕掛けもあるわけですが、その緩急も見事で、スパイス的バランスにハッとさせられる。

作りそのものにも面白い仕掛けがあるわけで、ループ的な展開と、物語的な展開、死についての考察的見解といった多重ループ構造の様な視点を持って観ると、全てが本当に綺麗に繋がって見えてくる。

それを顕著に表しているのが終盤のパーティーにおける駄話。

ちょっとインテリっぽい男が語る内容が、意外に的を得ているなと思っていて、ベートーヴェンがなぜ第九を作ったのかの話に始まり、人の消滅の話へと繋がっていく。その中で「人は遺産を残そうとする」という話が出るんですが、それ自体に目的は無くて、本能的にそういう行動を取ってしまうんだというもの。

この映画を観ながら、これを聞いた時、なるほどと思いました。

考えれば何かをしていることや、何かを残そうとしていることって、突き詰めれば、それが残る保証は無くて、全部が消滅したとして、何が残るんだろうと。誰のために、何のために何かをするんだろう。

作品自体の本筋はあらすじのとおりなんですが、要するに恋人が突然死んでさあどうする、というもの。

中盤で、幽霊になったケイシー・アフレックルーニー・マーラーが過ごした家も取り壊されることになるんですが、それ自体が先に書いた「人は遺産を残そうとする」という話と物語的な話がリンクしてきて、本質に迫ってくるといいますか。

一緒に過ごした家からルーニー・マーラーが出ていき、その家も取り壊され、そこに新たな高層ビルが立ち並ぶ。

じゃあそこでのことは二人にとって無かったことになるのかと言えば、それはNoなわけで、だとするなら人は『結果の為に何かをする』ように見えて、『過程の為に何かをしている』んじゃないか。

そう考えると、出来ない理由や、出来ない何かを考えるんじゃなく、あるもの、ある中で最善を尽くし、今を生きることこそ人生に重要なファクターなんじゃないか。

そこで作中の音楽も生きてくるわけですよ。

ケイシー・アフレックはおそらく音楽関係の仕事をしているんですが、彼女を想い、作った楽曲が出てくる。

その曲がちょいちょいカットバックされて出てくるんですが、終盤でそれが流れる頃には歌詞と共に、全てに意味があったことを肯定してくれるようになっていて、ホント沁みるんですよ。

それで十分だ、あの時間は間違っていなかった。喧嘩もしたし、セックスもした、楽しかった時間も辛かった時間も、全部無駄じゃなかったんだと。

先に出てきたインテリ男はこうも言っていて、「いずれは全て無に帰す、歴史は繰り返し、指で穴をあけ、柵を建てることと女とヤルことは同じこと」こんな感じの言い回しがあるんですが、それも聞いた時とニュアンスが違って聞こえてくる。頭で論理的に考える結果は一緒かもしれないけれど、その過程は絶対に違うんじゃないかと。

この柵を建てるというくだりも、過去の営みとしてある家族を描くことで表現されるわけですが、それによる結果との対比も含めてお見事。

冒頭の不穏な音や、手紙のくだり、隣の家にいた幽霊なんかも含め、全ての歴史は繰り返されるかもしれないし、ただ形を変えただけなのかもしれない。

それでも自分と誰かが築いた関係性や物語だけは絶対に繰り返すことが出来ないんじゃないかと思った時、ただただ泣けてくるわけですよ。

脚本上の構成、映像の音楽のフォルム、映画である必要を感じさせる説得力と問いかけの畳み方。

良い年末を過ごせそうです。

では。