不条理過ぎる現実へのカウンター。
『激怒』
アートディレクター、映画ライターの高橋ヨシキが企画・脚本・監督を務めたバイオレンス映画。
激怒すると見境なく暴力を振るってしまう悪癖を持つ刑事・深間は、度重なる不祥事により、海外の医療機関で怒りを抑える治療を受けることに。
数年後、治療半ばで日本に呼び戻された彼は、街の雰囲気が以前とは一変していることに気づく。行きつけだった猥雑な店はなくなり、飲み仲間や面倒を見ていた不良たちの姿もない。
そして町内会の自警団が「安全・安心」のスローガンを掲げて高圧的なパトロールを繰り返していた。やがて、深間の中にずっと眠っていた怒りの感情がよみがえる。
「ローリング」の川瀬陽太が主演を務め、「横須賀奇譚」の小林竜樹、「SR サイタマノラッパー」シリーズの奥野瑛太が共演。
高橋ヨシキさんが脚本、監督作品ということで観てきました。
思えば映画を観るようになり、映画の楽しみ方を知ったのはヨシキさんの著書やラジオを聴いてからだった気がします。
いやぁ、全部乗せでしたね。今まで抱いていた、映画、高橋ヨシキという人物へのカタルシスが見事に消化されており、まさにな作品。
タイトルからしてそうですが、とにかくらしさが溢れている。だって激怒ですよ。激怒。人の根本的な感情の一端であって、あまり公に目にする事がない感情の一部。
一般的な人が過ごす日常の中で、そこまで激怒することってないと思うんですよね。
というのも社会に属している以上、調和を取ったり、それなりに上手くやることって、皆当たり前に、きわめて自然にやっていることだと思うんですよ。
でも、実際にはそれぞれ思うところがあったり、違うだろと腹を立てることもあるわけで、それなのに基本的には穏便に済ませようとしてしまう性があるからこそ表出化してこない。
皆、内に抱えて悩んだり、葛藤したり。そうやってなるべく穏便に自分の感情を押し殺して過ごしていくんだと思うんですよ。
自分自身は、人に流されるということが少なく、自分でおかしいと思うことは一人でも基本主張します。それでもやはり全てを主張するわけでは無いし、当然流されもします。
だからこそですよ。本作のような作品を観て、デトックスをしたいと思ってしまう。胸糞ぶっ潰し作品って観るとやっぱりスカッとするんですよ。映画でしか味わえない感覚だからこそ、何でもありのこういう作品はスッとする。
そりゃそうですよ。実際日常でここまでメチャクチャに抵抗することって無いわけだし、こんな徹底的にやり切ることって絶対に無いじゃないですか。
高橋ヨシキさんが好きな自体へのシンクロも多分にあったと思っていて、以前何かで言っていた「映画は現実で出来ないことをやってくれるから面白い」ということ。
そういった映画へのベクトルは非常に親近感があったので、余計にハマる。
初監督作品ということで、予算的にも、内容的にも難しいところはあったと思います、それでも十分なヨシキ印。
ドアや境界というものを超えたあちら側、それに対してこちら側といった流儀というのは身を持って体感させられるわけですし、逆にそれを超えていく相手というのはそれ相応の代償と立ち位置を築くことが出来る。
要するに何をするにも、覚悟と気概がなければ何も出来ないということですよ。同時に、ぶっ壊してこそだし、守ってこそ。このぶっ壊す側に共感するも良し、守る側に共感するも良し。
その表現として、序盤から示される構図とシチュエーション。
横断歩道を挟んで車も来ない状況で信号を変わるのを待つ町内会自警団と深間の構図なんてホント笑える。
社会の縮図と言うかなんというか。
自警団のあの黄緑のベストに死んだような目つき、集団ならばどんなことでもやれるという腐りきった感じなんか、腹が立つし、現実にあるような光景だしで、恐ろしいやら気持ち悪いやら。
足並み揃えて、良い顔したって所詮はそれだけ。自分の人生は一度と考えれば、最低限以上の足並みなんてクソ喰らえですよ。
冒頭の横断歩道のショットからそういった、正しさや正しく無さ、偽善と正直さ。そういった気持ちの悪い正義感に対しての対比構造を目の当たりにし、これぞ高橋ヨシキだと。
そこからあんなことになっていくとは予想だにしませんでしたが、日常にある鬱屈としたものを消化できるという魅力をダイレクトに感じさせてもらいました。
映像としての魅力も、脚本としての興味深さも、ヨシキさんの映画に対するスタンスを垣間見ていたからこそ。映画そのものに対してここまで親近感を感じた作品も今まで無かった気がします。
要所要所であるべきものがある感じ、理不尽で意味わかんないやつがいたらボコボコに殴る、舐められても歯向かわないけど大事なものを否定されたら半殺し、テリトリーに入ってきたら殺す、勝とうが負けようがお構い無し。
というかそれ以上のことを気にしてられませんから。だって怒りってそういうもんでしょと言わんばかりの気力対気力のぶつかり合い。
サウンド的な煽りだったり、映像的な揺らぎみたいなものも、徐々に高まってくる胸糞感が堪らないし、むしろ過剰過ぎるかもと思ってしまうほどに、煽りが過ぎる。
まぁ全部乗せだと考えればもたれる感じも納得してしまうし、とにかく怒りずらいような日常だからこそ、怒れた男に痺れてしまう。
その怒りも、単なる我儘で片付けられない整合性があるからこそ、社会的な大義に対し、大衆の迎合に対し、大きな力に対してのやったれ感が込み上げてくる。
演出的なチープさや盛り込み過ぎ的な部分はありつつも、確実に熱量を感じる激怒映画ですよ。
別にそこまで重要じゃ無いと感じてしまうような海外撮影のシーンや、ゴア描写、衒い過ぎた画作り含め、逆に必要でしょと思ってしまうほど全部が必要。
今の時代へのアンチテーゼ含め、くだらないところも形にし、オマージュを捧げ、作りたいものを作る。
意外に細かい設定や描写含め楽しめるところも多いと思うので、腹が立ったら観返したい作品になりそうです。
余談ですが武蔵野館で先着で配布していたポストカードの出来が良く、予想以上に満足な手土産も入手できました。さすがに抜かり無いです。
では。