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異色の芥川賞作!『コンビニ人間』が現代社会に問いかける「生きる意味」

芥川賞というと難解なイメージだったんですが、近年はそういった作品ばかりでもなくなってきているんでしょうね。

コンビニ人間

「普通」とは何か?

現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。
日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、
「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。

「いらっしゃいませー!!」
お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。

ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。

累計170万部突破&40カ国語に翻訳(2024年5月現在)。
米国〈ニューヨーカー〉誌のベストブック2018に選ばれるなど、
世界各国で読まれている話題作。

まずもっての感想が薄くて、読み易い。

口語的表現に加えて、心情描写、情景描写が実にテンポ良くサクサク読める。

文体にしても五感の表現がダイレクトに入ってくるような感覚がありますし、シーンごとの切り替わり、会話のキャッチボールもスムーズに入ってくる。

コンビニという普段利用している場所だからなのか、光景も目に浮かび易く、描かれている日常も現代風景そのもの。

コンビニという場所を舞台にしている意味がそこかしこにある気もして、この文章のテンポもコンビニのような手軽さで手に取りやすく実にキャッチーですし、オートメーション化された思考設計の誘導もコンビニ的。無感覚という主人公の概念そのものもコンビニという無味乾燥としたベルトコンベア的消費からも顕著ですし、何より社会構造としてのコンビニ化というさらに上位概念との接点もシュールに捉えている気がします。

それでいて登場する人物の、いわゆる切り取られている人物像についてはありふれているようでありふれてないところが面白い。

あくまでも一般的にはという前提があっての言い方ですが、多くの人にとってはこの作中の主人公、恵子の感覚や気持ちというのは理解不能なんじゃないでしょうか。

私自身は非常に共感めいたものすら感じましたし、なぜ同調というものに人が吸い寄せられ、刈り取られていくのか。

理由としては単に楽だとか、安心感だとか言えることは山ほどあると思うんですよ。

でも、自分が他者と同じでないといけないはずは無いですし、そうじゃないことだって実際は理解しているわけじゃないですか。

昨今では多様性だのなんだな言われてますが、それだって見せかけの多様性であって、同調圧力や世相の流れから単にそう感じてきているだけのものかもしれない。あくまでも出されたから食べる的な食事のスタイルでは到底本質を捉えられるわけが無いんですよ。

と思ってしまっているのも自分自身なわけですが、それもまた込みで、世界との接点を探ってしまっている。

主人公、恵子という人間が非常に人間味が無いというか、自身でも”ロボットのような”という認識がありますが、それくらい極端に合理的かつ現実的なんですよ。

なのである意味で自分と近いものを感じてしまうからこそ理解ができる。それでも彼女ほどの合理性は持ち合わせていないというのもまた事実なんですけどね。

さすがに自分があの立場でも白羽と同棲は出来ない。

ともあれ、事実とあればそれ以上でも以下でもないわけで、その事柄に対してなぜ主観を持ち込んでしまうのか。

別に考察や議論であればそれもまた一興だと思いますが、怒ってみたり、否定してみたり、喜んでみたりと、内から出るそれでなく、無意味なそれらに操作されていると思うとモヤモヤした気持ち悪さが募ってくる。

皆本当に自分の思うように考え、行動し、話しているのかと。

輪を乱さないとか調和を取るといったような社会的生活を行いたいならばそうした行いを考えるというのも全然わかります。

でも、必要以上にそこの部分だけが誇張され、目的化していくような人生は私には歩めないなと思ってしまう。

生かされているのか、生きているのか。

SF的な主題として従来捉えられてきたものが、むしろ現代の間近にまで迫ってきている感すらある本作、本当に生きるということに主体性を持たないといけないような世の中はやってきているということでしょうね。

そんな協調性、共感覚に貧しい主人公が社会というものの接点をどう考えていくのか。非常に面白い視点と描かれ方でした。

個人的には絶対こういう感覚の人って身近なところに隠れていると思いますけどね。自分も含めてですが。

では。