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カンヌ受賞作『関心領域』:音に注目!関心の領域と加減の話

『関心領域』ポスター画像


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「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のジョナサン・グレイザー監督がイギリスの作家マーティン・エイミスの小説を原案に手がけた作品で、2023年・第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリ、第96回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。

ホロコーストや強制労働によりユダヤ人を中心に多くの人びとを死に至らしめたアウシュビッツ強制収容所の隣で平和な生活を送る一家の日々の営みを描く。

タイトルの「The Zone of Interest(関心領域)」は、第2次世界大戦中、ナチス親衛隊がポーランドオシフィエンチム郊外にあるアウシュビッツ強制収容所群を取り囲む40平方キロメートルの地域を表現するために使った言葉で、映画の中では強制収容所と壁一枚隔てた屋敷に住む収容所の所長とその家族の暮らしを描いていく。

カンヌ国際映画祭ではパルムドールに次ぐグランプリに輝き、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞した。出演は「白いリボン」「ヒトラー暗殺、13分の誤算」のクリスティアン・フリーデル、主演作「落下の解剖学」が本作と同じ年のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したサンドラ・ヒュラー。

マジで異様な体験だったですね。

今年公開されている作品って変な作品が多いなとは思っていたんですが、へたしたらこれが一番変かもしれない。

まず、冒頭から暗転が続き、なんの説明もないまま一家団欒のピクニック的な不可思議映像を見せられる。

そこからも説明なんて一切無いですよ、でも、徐々に雰囲気や会話などから伝わってくる何とも言えない予感が現実とリンクしてくる。

この奇妙さこそが本作の肝なんじゃないかとすら思えてくるような気もする。

そしてそれに拍車をかけているのが”音”ですよ。

まさに”音”というのがふさわしいような環境音や効果音。時折流れてくる不況なサウンドも作品同様、酩酊状態に陥らされる劇薬として機能してきますし、聞けば聞くほど色々な気づきが得られる作りになっている。

とにかく”音”を聴いて欲しい。

日常でもそうですけど、意外に耳を傾けると実人生での環境音っていうのにも色々な音が混じっているわけで、それを認識するのかしないのか。つまり、人生も一つの関心領域なわけ。

坂本龍一さんもなにかで言っていたんですが、日常では音楽を聴かず、生活の中での自然音を聴いているらしいんですよ。ようするにそれくらい奥深く”聴く”かどうか。

無感情とか無関心とか、とにかく無が付いた状況ってポジティブな状況もあるかとは思うんですが、ネガティブな意味においてはとかく怖いなという印象。

それにすら気付かない状況ってのもあると思うんですが、それを映像化したのがまさに本作。

正直この作品に物語というお話は特段ないんですよ。

あくまでも当時の日常を一面的に切り取って、そこのみにフォーカスして描かれる日常系映画ともいえる。

そんなまったりとしてほのぼのしたようなものでは無いにしろ、実際描かれているのは表面的にはそんな日常、にあくまでも見えている。

人って面白いですよね。

ことの重要性よりも本人の当事者性により視点が歪む。

自分にもそういう部分が絶対にあるのかと思うとヘドが出る一方で、それこそが人間のサガなのかと思うと、うんざりもしてくる。

ラストショットの時、サウンドと相まって、自分自身でも酩酊したような、目眩がするようなズンとした感覚があったくらいですしね。

この映画の興味深かったのが、タイトルにもある関心の領域について。

観ていた中で関心の程度が3種類あるなと思っていて、1つがルドルフの関心を持っていたのに狂行に及んでいた人物、2つめがその奥さん、ヘートヴィヒの自分自身にしか関心が無く、狂行には無関心だった人物、3つめがヘートヴィヒの母親のような無関心から関心を持ってしまった人物、そして4つめが子供たちのように全くの無関心な人物たち。

タイトルと予告を観た際の個人的な印象として一番恐ろしいのが4番目のような無関心な人物たちだと思っていたんですよ。

でも、観ていくと実際に怖いのはどのような人物なのか、考えが迷走してくる。

本当のところルドルフのように関心を持っており、悪いこととわかってもなお、止められなかった人たちが一番多いような気がしますし、だからこそ、その多数派が一番良くないんじゃないかなとも思ってくる。

結局多数派が少数派を凌駕し、愚行だろうがなんだろうが淘汰してしまうわけですよ。

それって今の現代でも当然ある問題だろうし、絶対に無くならない部分でもあるんだろうなと。

なんかそう思うと愚かだな、人間ってと思ってしまうわけですよ。

他にも色々と気付く部分が多い作品なので、つぶさに細部を観察、知覚し、色々と考えながら観るというのが良いんですかね。

まあ体験としても相当奇妙な作品ではありますが。

そういえば撮影のライティングや構図も面白かったんですよね。

あくまでも自然ではあるんですが、建物内の少し神々しいような自然光の取り入れ方が素晴らしく、外でのパキッとした画作りと対比され、ハイソな暮らしをしているゴージャス感が画作りからも伝わってくるような、良い室内のライティングだったなと。

一方の構図に関してはフィックスのカメラで撮られており、どことなく鑑賞している印象が強いなと思っていたんですよ。文字通り展示などを鑑賞しているような。

これも終盤で実際のアウシュヴィッツ収容所の映像が出てきた時に、あぁこれか、と思ったんですが、展示されているショーケースを観ている感覚なんですよね。

言い換えるとショーケースという展示を観ているような感覚もありつつ、同時に箱庭を観察しているような構図に近いなと。

あくまでも傍観者として、その鑑賞から何を得るかはその人次第。

その時、関心の領域って非常に難しいなとも思わされたわけですよ。

というのも世界で起こっている全ての悪事、惨事に関心を持つのはとかく不可能なわけで、興味を持ったそれらにだけ言及するというのも当然偽善や偏りが出てしまう。

だとしたらどこまで、どのように関心を持つことが最適なのか。

まだまだ全然答えは出なそうですが、ちょっと興味を持って色々と考えていこうかなと思っております。

変な映画で、面白い視点を持った作品だったのは間違い無く、とりわけ”環境音”が重要な作品であることは確かなので、他の音に邪魔されない環境で観ることをオススメします。

余談ですが監督のジョナサン・グレイザーはMV上がりの監督なようで、ギネスのCMや、レディオヘッドジャミロクワイのMVの監督を手掛けていたとのこと。

これ驚きました。しかも自分も何度も観たMVだったのでなおさら。

映画を観てからMVを観るとなんか違った見え方して面白い発見もあるかもしれませんね。

では。