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窓辺にて

今泉監督はやっぱり物語を語るのが上手いですよね。

『窓辺にて』

ポスター画像


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「愛がなんだ」の今泉力哉監督が稲垣吾郎を主演に迎え、オリジナル脚本で撮りあげたラブストーリー。

フリーライターの市川茂巳は、編集者である妻・紗衣が担当している人気若手作家と浮気していることに気づいていたが、それを妻に言い出すことができずにいた。その一方で、茂巳は浮気を知った時に自身の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。そんなある日、文学賞の授賞式で高校生作家・久保留亜に出会った市川は、彼女の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれ、その小説にモデルがいるのなら会わせてほしいと話す。

市川の妻・紗衣を中村ゆり、高校生作家・久保を玉城ティナ、市川の友人・有坂正嗣を若葉竜也、有坂の妻・ゆきのを志田未来、紗衣の浮気相手・荒川円を佐々木詩音が演じる。第35回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、観客賞を受賞した。

絶妙なテーマだったり、誰しもがなんとなく感じているようなことを、まるでパズルでも組み立てるかのように描いてしまう。この感じが実に心地良いと言いますか、なんというか。

今回もそうですが、ドロドロしたストーリーになりがちなテーマですら、程良い安堵感があり、心地良く観れてしまう。なんせ今作もまた不倫モノですからね。

役者選びも相当にセンスあるなと毎回思いますが、今回も玉城ティナさんや主演の稲垣吾郎、他の配役も含め、見事にハマっているんじゃないでしょうか。

そんな主人公である茂巳に一番共感するわけですが、なんなんでしょう、中年になると増えてくると感じる曖昧なものの数々。

本作で取り扱われるような結婚、恋愛、愛情といったものもまさにそうですし、他にも色々と曖昧なものが輪郭をもって迫ってくる気がする。

実際若い頃のように、なんでも突っ走れなくなってきているなと感じますし、経験や考えが色々と邪魔をして身軽に進めないというのも事実。そんな葛藤がよく描かれているなと思うのが本作。

正直に生きることが正しいはずとは、誰もが薄々感じていることだと思いますが、現実は正直なだけでは渡れないとも感じているはず。

ただ、それを貫いて生きている人もいるわけで、それこそが本作の主人公、茂巳。この茂巳のキャラが自分なんじゃ無いかと思うほど、思い当たる節があるあるなわけですが、そんな人間にすら、その人なりの理解し難い悩みが存在しているんですよ。

好きって結局どういうことなんだろうか、結婚ってどういうものなんだろうか、一見すると非常に分かりやすいように思える感情、それでさえ、裏側から見れば、違った見え方が浮き上がってくるんですよね。

そんな茂巳と、ある種似たような感覚の持ち主として登場してくるのが玉城ティナ演じる留亜というキャラ。

彼女はとある文学賞を受賞した高校生という設定なんですが、ちょっと変わっているというか、考え方に芯があるというか。とにかく視点が面白いんですよね。

彼女とのやり取りで最初に感じた、『感情を言葉にすることの難しさ』、これって本当にそうだよなと思うんですが、言葉にできるような感情もありとは思うんですが、真に感じている表現しがたい感情っていうのもあるわけで、(むしろそっちの感情の方が多いと思うんですが)それを伝えるとういのはかなり難しいことだと思うんですよ。なんなら不可能なんじゃ無いかと思うほど、複雑で、多面的。

そんな彼女が受賞の会見で記者たちとやり取りをするんですが、大体の記者は表面上の有体な質問であったり、その質問して答えが返ってくると思っているのと思ってしまうような極めて表層的なやり取りそのもの。

そのチープなやり取りをする他の記者とのやり取りは観ていて滑稽ですらあった。

その場に茂巳もいるんですが、茂巳とのやり取りに感しては、生き生きしたものを感じたし、正直だからこその率直な視点。

自分もこういうソリッドで本質的な会話こそしたいんだよなと思いつつ、序盤から変わらずの今泉テイストにグイグイ引き込まれた。

相変わらず、話の途中で出てくる、一見するとどうでも良いようなシーンの連続が最後には全て繋がる作りなんて、天才的だなと思ってしまいますし、ミスリードの数々も綺麗に畳まれてくる。

ホントただ会話しているだけなのにこうも面白く、引き込まれるかと思えるところが魅力であって、唯一無二なんですよね。

本作も伏線を回収しつつ、残る澱のようなものはそのまま熟成されていく。その自分の中での熟成を楽しみつつ、噛めば噛むほど味が出てくる監督だと思うので、これもまた何回も観て楽しみたいと思います。

それで思い出しましたが、留亜の叔父さんが言っていた、『コンテンツの肥大化と考える間も無くただ進んでいく時間の経過』というのもまさに愛の劣化と似ている気が。

横への広がりばかりに気を取られ、縦への配慮と目配りが出来なくなった時、豊かさとしての何かが失われていくのかもしれませんね。

ただ過ごすということの無感覚化は中毒に似た現代の情報過多による弊害なんだろうなと。

では。