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押井守監督が贈る不気味な青春群像劇!『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』

押井守監督が贈る不気味な青春群像劇!『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』」

この作品、以前から観よう観ようと思っていたものの、結局観れておらず。
まあ、そんな作品は山ほどあるわけですが、ついにアマプラにきたということで鑑賞しました。

ポスター画像


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高橋留美子の同名コミックを原作とする人気テレビアニメ「うる星やつら」の劇場版第2作。

テレビ版のチーフディレクターである押井守が前作に続いて監督を務め、本作では脚本も担当。

謎のタイムループに囚われた諸星あたるやラムたちの運命を描き、押井監督の初期の代表作となった。学園祭を翌日に控え、準備に大忙しの友引高校。あたるたちも学校に泊まり込んで作業に追われていた。

そんな中、あたるたちの担任・温泉マークと養護教員のサクラは、学園祭の前日が延々と繰り返されていることに気付き、全員に帰宅を命じる。しかし、友引町はすでに異常事態に陥っていた。

本作は押井守監督というところで観たかったんですが、それはそうとこのポスタービジュアル、完璧じゃないですか。

ラムちゃんの配置の仕方だったりカラーリングだったり。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー : 作品情報 - 映画.com

とまあきっかけは何であれ、名作と言われていることもあり、とにかく気になっていたんですよね。

そんな感じで見始めた本作ですが、1984年制作ながら全く古さを感じないんですよ。根本的な機材や技術的な部分によるところは別としてですが。

とにかく映像自体のクオリティだったり、作品自体のクオリティが高い。

なぜこれが名作と言われるかがわかりますよね。

押井監督って今でこそ作品作りというより、批評だとかそういったところが多いのかもしれませんが、やっぱり作品を観ると、批評よりも作品が観たいなと思ってしまうわけですよ。

では何が凄いのかというはなしですが、何といっても「全体に漂う不穏感とそのバランス」ですよ。

これに尽きると言っても良いくらいこの作品には不穏感が満ちている。なのに全く辛辣ではないというバランス。

押井監督と言えば、独特な嫌さとでも言いますか、ギミックの奇妙さ、物語の変態さがあると思うんですよ。攻殻機動隊然り、パトレイバー然り。

それを「うる星やつら」という極めてポップで明るい作品を題材にしながらダークファンタジーのような世界観とマッシュアップさせる手腕ですよ。なんなら剛腕と言っても良いくらいにその作家性が前面に出ている。なので好き嫌いは分かれる作品かと思いますが。

差し込まれる演出であったり、カットの奇妙さ、この辺がある種独特なんですよね。ちょっとした間なんかも不可思議さを誘いますし。

セリフの言い回しだったり、表現もそうですよね。

時間の概念に対するセリフは特に印象的で、無邪気が言う「時間の認知って人間がただ決めたものであって、全員がタイムスリップしたら誰がその事に気付くのか」的なことを言うんですが、まさにその感覚。

こうした概念的な問いもまた面白いんですよ。深いというか。

そしてそれを画作りで実際に見せてきますからね。

画作りとして「ぎょっ」とさせられる部分も多いですよね。飛行機に乗って、住んでいる街を見下ろすシーンであったり、突如現れるクローズアップであったり。

驚きなのか恐怖なのかわからないんですが、とにかくハッとさせられる。

構図によるところもあると思うんですよ。変な角度や変な視点からのカットだったり。

その辺のバランス感覚が優れているんでしょう。奇妙に見せるという意味において。

それらに加えて色使いもあるのかなと。

特に黒の見せ方が際立っている気がして、映像を反転させるような黒を使用した世界の変化だったりがそう。これにより表の世界と裏の世界を行き来しているような奇妙な感覚が刷り込まれるような気がするんですよ。

無音の使い方も同様で、それにより不気味さが一層際立ち、より映像的な不穏感がブーストするとでもいいましょうか。

なんでああいう見せ方が出来るのか。

他の作品もそうなんですが、ホント独特の作家性があるなと。

その中でも本作の面白さはそのポップさとダークさのバランス感覚で、なんか軽妙な部分が面白くもあり、不気味なのにちょっと笑えて、絶望的でもあるのに、なぜか気軽に観れてしまう。

ある意味でラムちゃん効果なんでしょうか。

キャラクターの存在も大きいと思っていて、それにより、ちょっとひねくれた青春群像劇にも見えてしまうほど。

細部を話し出すとキリが無いので、この何とも言えない映像の不可思議さを是非観て体験してほしいところです。

いつまでプライムで観れるかわからないですからね。

では。

記憶を追憶する物語!ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』

「記憶を追憶する物語!ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』」

ポスター画像


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ミツバチのささやき」などで知られるスペインの巨匠ビクトル・エリセが31年ぶりに長編映画のメガホンをとり、元映画監督と失踪した人気俳優の記憶をめぐって繰り広げられる物語を描いたヒューマンミステリー。

映画監督ミゲルがメガホンをとる映画「別れのまなざし」の撮影中に、主演俳優フリオ・アレナスが突然の失踪を遂げた。それから22年が過ぎたある日、ミゲルのもとに、かつての人気俳優失踪事件の謎を追うテレビ番組から出演依頼が舞い込む。取材への協力を決めたミゲルは、親友でもあったフリオと過ごした青春時代や自らの半生を追想していく。そして番組終了後、フリオに似た男が海辺の施設にいるとの情報が寄せられ……。

コンペティション」のマノロ・ソロが映画監督ミゲル、「ロスト・ボディ」のホセ・コロナドが失踪した俳優フリオを演じ、「ミツバチのささやき」で当時5歳にして主演を務めたアナ・トレントがフリオの娘アナ役で出演。

30年ぶりの作品ということだったんですけど、この監督は人の記憶を呼び起こす表現が実に素晴らしいなと。

具体的にどこがというより、映画全体として漂う空気感、そうしたものが見ているものの記憶を呼び覚ますとでも言いますか。

部分的な狙いとしてそういった効果を出せる監督というのは間々いるかと思うんですが、全体感として表現し、語りかけてくるというのは非常に稀有な監督だなと思うわけです。

体験として浴びさせるといいますか。

私自身、エリセ監督を知ったのが昨年の「午前10時の映画祭」でして「ミツバチのささやき」を観るまで、この監督自体を知らなかったんですよね。

blcrackreverse.hatenablog.com

それが「ミツバチのささやき」を見た時、本作で感じた”記憶を呼び起こす”という感覚と同じことを思ったんですよ。つまり映画全体として語りかけてくるような体験を。

なので新作が公開されると分かった時、「あっ、もう絶対に見に行こう」と決めておりました。

予告の印象からドキュメンタリーテイストな作品なのかと思ったんですが、観てみるとそれ以上の複雑さを併せ持った作品に仕上がっているなと。

映画そのものとして自分の中に内包してる何かを想起させてくれる感覚があり、これがあまりに独特な感覚だったんですよ。

劇中劇のような形でインサートされた映画も出てくるんですけど、その辺の見せ方なんかも非常に上手く、どことなくミステリータッチなんですよね。

観ていると実際はそうでもなくて、それよりもっとヒューマンな部分にフォーカスしたような、人の心だとか人の繋がりだとか、そういった人間の本質的な部分に関する話だ気づかされるわけです。

そう考えるとこの映画の構造自体がビクトル・エリセ監督だから出来たというようなところもあると思うんです。

色々な仕掛けというか含みみたいなものは多分にあるんですけど、それに気付けなきゃ楽しくないのかと言うと全然そんなこともなくて、じゃあ具体的にどこが楽しかったのって言われるとそれを説明できるわけでもなくて、本当に感覚的なものなんですよね。

ただ映画ってそういう部分があってもいいのかなと思っていて、ピンポイントでここが楽しかったとかそういう部分がある映画ってのもまあもちろん大切だと思うんです。でも、それ以上に映画然とした映画そのものの力ですよね。

そういったものを食らってみるっていう感覚がこの監督にはやっぱりあって、その一助となってるのは映像の美しさであったり音楽の繊細さ、この辺はまあ欠かせないなと思っていて。

そうしたものが推進力となり、物語の表層上じゃなく、深部をぼんやりと描き出していく感じですかね、この辺がやっぱり良いんですよ。

正直、”完璧な映画を観たな”という感覚ではないんです。それよりはむしろ”良い体験をしたな”っていう風に思える、そんな映画体験。

映像的な部分として、暗がりの中から人を浮かび上がらせるような、そういう見せ方も実に匠ですよね。

浮かび上がってくるのは映像上では人なんですけど、それ以上に、その人が考えている思いであったり、その積み重ねてきたものみたいなものさえも、暗闇の中から浮かび上がらせてくるっていう。

その映像的な部分だけじゃなく、内包した深部っていうのを表面に描ききるっていう所が非常に素晴らしく、映像として単純に綺麗なんですよ。

そんな表情だったり、浮かび上がってくる姿なんかから、色々と考えさせられるなと。

この作品自体、1人の映画俳優をフォーカスし、その人物にまつわる話を解明しながら色々と解きほぐしていくっていう物語になってるんですけど、その中で色々と身に染みるような場面もあるんです。

例えば「1本の映画よりも1人の人生なのか」とか、「その人を構成してるのは名前ではなくてその人そのものなんだ」といったようなことを言っているシーン。

そういった部分っていうのはやっぱり観ていて思うところがありますし、実際にそれってどういうことなんだろうなと。

映画から人生に影響を受けたとか、事実は小説より奇なりといったことって良くあることだと思うんですが、それを踏まえた上で映画と人生、どっちが本当とか、どっちが真実とか、そういった単純なことでも無いんだと思うんですよ。

要するにどっちも重層的で複雑な物語の集積で形成されていく。だからどっちがどっちっていうのは明確に言えなくて、でも、その重なりだったり、豊かさみたいなものがあるからこそ、映画にしろ人生にしろ、面白く、深みみたいなものを認識することが出来るんじゃないでしょうか。

結局は背景に横たわる人生であるとか、人なんですよ。

物語や人生とは何なんだろう、という風に思う時、こういう映画というのはそのちょっとした助けになってくれる気づきが溢れているなと。

ビクトル・エリセ監督のそういう描き方の部分っていうのは素晴らしいなと改めて思わされたそんな作品でした。

それでは。

ゴールへの意識が高まる!攻撃の厚みと決定力がチームを強化『アーセナルvsバーンリー』

またしても大勝。

「ゴールへの意識が高まる!攻撃の厚みと決定力がチームを強化『アーセナルvsバーンリー』」

Arsenal Scores, Stats and Highlights - ESPN

前半

3分、ライスの持ち上がりがあればこそのゴール
9分、マガリャンの負けない強さ
21分、ホワイトの奪い方上手っ
23分、ホワイトのキーパーブロックうざくて良いね
31分、ウーデのしたたかさ
33、34分、ウーデのスルーの感覚ちょっとレベチだな
35分、サリバのフォファナへの対応よ
47分、あそこでいけるライスさすが

後半

46分、ニアハイを利き足じゃなくて狙うとは
51分、ライスの背後ケアしつつあの持ち運びは凄い
63分、マルティやっぱ早いな
77分、ハヴァさん落ち着いてたな

 

この攻撃力の増加はなんなんでしょう。まあ前線の連動性向上と各人の攻撃意識がフィニッシュまで結びついていることが要因でしょう。

それにしてもウーデのスルー技術が日に日に向上している気がして、これはちょっと凄いですよ。

相変わらずチームトップのキーパス。特にこの試合でのチャンスクリエイトは決定機に繋がらずとも素晴らしいものがありました。

1点目のシュートもかなりいいシュートでしたし。

ビルドアップに関して言えばCB二人のパス成功率っていうのも重要ですよね。

最終ラインからの押し上げがスムーズなのもこの二人の攻撃貢献あってこそ。これまたチーム1,2。

あとサカもちょっと異次元になってきているんですよ。

ゴール期待値0.9に対して2ゴール。しかも決めたゴールの凄さよ。

ニアハイを逆足でぶち抜くって。コントロール、パワー、申し分ない精度で。

となるとマルティネッリも。

彼は守備時の献身性とトランジションの早さが異常ですよ。

それを最後までやりきるスタミナもですが。

ハヴァさんも久々ゴール出ましたね。

日に日にフィットしてきてますし、何よりデュエル数はわりと毎回上位なんですよ。特に空中戦が多く、勝率も大したもの。

これにより前線への起点が作りやすくなっているっていうのも攻撃時のバリエーションに影響しているでしょうね。

トロサーモンもかなり良いんですよね。

このヒートマップとか、「なに、ワープしてんの」って思うくらい点在している。

守備も献身的なんですが、ボックス内やその付近での攻撃参加時の意識が極めて高いですよね。

加えてその辺での細かいタッチや、キック精度の高さから、決定力にも結びつくって。

マジで前線どこでもやれて恐ろしいですわ。

いずれにせよ攻撃の厚み、決定力の向上というのはチームで見た時に確実に嵩上げされてきている部分なので、見ているこっちも楽しいのなんの。

このままの勢いでCLベスト16もお願いします。

では。

価値観の地殻変動を描く!ドラマファン必見の作品

今クール(2024冬)のドラマって観てるドラマが何故か似ている。

不適切にもほどがある!』第2話 阿部サダヲ、正論vs極論の言い合いに「刺さりまくり」の声続出! | TRILL【トリル】

というのも今観ているのが「不適切にもほどがある!」と「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」なんですが、どちらも”現代の価値観”にフォーカスしているんですよね。

裏を返せば以前の価値観との比較ということにもなるかもしれないんですが、とにかく両者ともその辺の表現があからさまで、自分自身も感じてきている部分が地味に刺さる。

その辺の比較対象となる年代が1980年代くらいというのを考えると、そこからまだ50年も経っていない。

なのに世界はこんなにも変わったのか。

~ハラが蔓延し、世界は気にすることばかりで溢れ、人の目を伺い、スマホは登場し、物に溢れ、人とのコミュニケーションは減り、慌ただしい毎日を過ごす。

この変化の速さって凄くないですか。

高度経済成長のようなものとも違う、なんか異常なスピードで物事が倍速的に進んでいく感じ。

単に成長ってだけでなく、膨張というか肥大というか。なんか色々と人間のフィジカルが追いついていないような部分を感じるんですよね。

と考えると、ここから先の50年というのも劇的な変化を遂げながら、価値観を揺るがす変革を成していくのかと思うと。

人の進化って、それこそ過去を見ると~億年っていう果てしない歳月を費やして徐々に変わってきたわけじゃないですか。それが今の状況を考えると、どうなっていくのか。肉体や精神、環境なんかは追いついていけるのか。

いやぁ、考えれば考えるほど未知ですよね。

とまあ、話は逸れましたが、今クール観ているドラマはその辺に面白いアプローチで表現されており、好き嫌いはあれど、間違い無く面白いドラマかと思います。

ちなみに「不適切にもほどがある!」に関しては、宮藤官九郎脚本によるドラマで、当時のクドカンを思い起こさせる、遠慮の無い脚本。

www.tbs.co.jp

展開の混迷としたところや、歯に衣着せぬ言い回しやぶっ飛んだ設定なんかも健在で、これぞクドカンなんだよなと久々に思わされましたね。

途中に入ってくるミュージカル調の演出なんかも面白く、奇想天外、とにかく今後の展開が全く読めない。(現段階でも全く読めない舵取りですが)

そのミュージカル演出の部分、これをしてるのは単にちょっとした強弱をつける演出程度に思っていたんですが、よくよく見ると、これってあまりに表現が過激になり過ぎている事柄を中和させるためにこういった演出にしてるんじゃないかと思ったわけです。

いや、なんかミュージカル演出部分ってとりわけ過激なこと言ってると思うんですよ。ダイレクトに言うと強過ぎるような。

何故か3話を観た時にそれを強く感じたんですよね。演出で緩和されてるって。

戻りまして演者の設定や人選も面白く、やっぱり河合優実さんは演技素晴らしいです。映画などでもかなり気になっていたんですが。

あと磯村勇斗さんも良いですよね。演技のふり幅があって。

とにかく展開が楽しみな作品です。

それから「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」。

www.tokai-tv.com

これLINEマンガに原作があったんですね。

タイトルからして出オチ感満載ですし、面白くなさそうに思っていたんですが、友人の勧めで観てみたらこれが面白かった。

何より原田泰造が素晴らしく、彼が出ると空気感が良いんですよね。設定のコミカルさと、本人の人間性、そこに現代の問題と価値観が重なってくる感じが丁度良く、面白い。

毎話絶対に一度は笑えますからね。

しかもタイトルの意味も3話あたりで回収され、そこかよと思わず突っ込みつつ、納得のタイトル。

それこそが全てを表していると思える作品でしたね。

今の価値観に思うところがある方は是非観てみてほしい2作品でした。

では。

ライトの建築美学: 知的好奇心を刺激する展示『フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築展』

やはり足を運ぶと色々と発見があるものですね。

確か最初に彼の作品を知ったのは何かのドラマか何かに出てきたこちらの照明。

Frank Lloyd Wright Taliesin 2 floor light by Yamagiwa - Retro to Go

変な形で、それなのに構築的。単にモノとして美しいなと思った。というのが最初のきっかけでした。

その後も、気になる建物があったりすると、意外にも彼の手掛けたものだったりして。

そんな感じで、わりと好きな建築家だったので行ってきました。「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築展」

予想以上に盛況で、三連休中日の日曜16時過ぎには当日の整理券が無くなっていましたね。

内容はと言うと、「建築」をメインとした展示構成。

色々と手書きの作図であったり、ラフであったりと中々貴重なものも多かったですかね。

ライト自身の価値観であるとかデザインの嗜好といった、思想的な部分が垣間見えたのが個人的には一番大きかったかと。

幼少期に育った雪景色の中から水平線を見て、その水平線の美しさに気付き、そこから師事した「ルイス・サリヴァン」の手掛けた仕事から、”自然モチーフを装飾に落とし込む”という概念を学んだようですね。

あくまでも抽象的であったりモチーフ的であったりといった感じで取り入れというところが、なるほど生かされているなと。

その後手掛けたものも、「水平」という直線的な建築物が多く、それらがとにかく美しいんですよ。間の取り方であったり、余白の作り方だったり。

これ自宅ですからね。シカゴの

Frank Lloyd Wright's Chicago | Travel Channel

それから螺旋などの構築物も着手していくんですが、これらも決して水平という直線的な概念から外れたわけではなく、「連続的」であったり「有機的」であったりといった、形を変えた一貫性の中での変化を取り入れていく興味深さ。

Frank Lloyd Wright's Final Gift | The New Yorker

これにより、直線と曲線という相反するような概念を有機的に結びつけて表現することができるようになるというのも今にして思えばライトらしいなと。

とはいえかなり初期の段階の建築からこの共存は出来ていたと思っているんですけどね。

特に顕著に出てきたのが後期なのかなと。

こんな感じで、他の文化や概念を上手く取り入れて独自に昇華される美意識みたいなものがヒシヒシと伝わってきたわけですよ。

本やネットなんかで調べれば情報としてはすぐにわかるものですが、やっぱり足を運んでこそ見える部分もあるなと大いにわかるのが展示なわけで。

そういったことを改めて感じつつ、単に彼の建築はやはり好きなんですよね。

3月までやっているようなので気になる方は是非。

では。

完勝の裏にある、素早い修正の冥利『アーセナルvsウエストハム』

こんな快勝するとは思いませんでした。

「完勝の裏にある、素早い修正の冥利『アーセナルvsウエストハム』」

えぐいて」「DFやる気なくしてる」6発快勝のアーセナル、サカの豪快な一撃にファン驚嘆!「決定力バケモンすぎる」(SOCCER DIGEST Web)  - Yahoo!ニュース

16分、キヴィの良い絞り
23分、やっぱサーモンのボールへのフィーリング良いな
37分、これもサーモンからスタート。精度高し
57分、あの体勢でもシュートまで持っていけるサカのボディバランスはさすが
62分、久々にサカらしいサカ
65分、ウーデ、トロ見合いからのライスは痺れます
70分、ウーデのミドルからのプレスからのキープってどゆことよ
91分、やっぱこの時間でもプレス緩めないキャプテン

 

まず、前節好調だったジョルジを外し、トロサールを投入というのが大きな変化ですかね。キヴィも投入されてましたが、これは怪我やらなんやらのようなので。

前半序盤はあまり上手く機能していなかった印象だったんですが、ハムのプレスが高い位置からハメに来ており、ライス一人で裁くのが難しかったんだと思います。

それによりウーデが下りてくるものの、ハヴァさんも前線へ加わりがちだったので、そうなると前線との懸け橋が極端に減るという。

でも、今回はその修正が早かった。

ホワイトを内側に絞らせ、ウーデとライスの負担を軽減させる。

これが功を奏し、そこからはプレス回避、攻撃の形が見えてきていました。

この試合、スーパーな選手が多かったんですが、まずはサカ。

とにかくゴールもそうなんですがボディバランスがエグいですよね。厳しい寄せや局面でも、倒れない。

加えてのこのゴール期待値に対して2ゴールですから。

それからウーデとライスはちょっとレベチですよ。

ライスはクロス数がトップなんですが、あれだけ守備に奔走して、クロス数トップって。

そして何よりあの弾丸ミドルですよ。痺れたのなんのって。

ウーデはテクニックがエグい。

タッチ数がダントツですし、キーパスもトップ。

あれだけパワフルに動いてこれだけの精度も担保するっていうのは彼だからこそ出来る芸当かと。

二人に共通しているのがプレーエリアの広さ。

ハーフライン前後を主戦場として前がウーデ、後ろがライスという重点の置き方は悪くないですね。ジョルジが入ってくるとそのバランスも変わると思いますが。

いずれにせよ二人はちょっと運動量が異常ですよ。

あとは何といってもトロサール。

スタッツ以上にプレーの質が高い。ボール捌きであるとか、ポジショニングであるとか。

中でも際立っていたのはキック精度ですね。

ボックス内外問わず、質が高い。惜しくもアレオラに弾かれたシュートも見事なボレーでしたからね。

その辺のコントロールたるや見ていて惚れ惚れさせられます。

スタメンでも途中出場でもこれだけのクオリティ出せるって、やっぱ凄いですよ。トロサールは。

あとホワイトが地味に効いてるんですよね。

器用というか、気が利くというか、プレー強度も高いですし、サッカーIQが高いんでしょうね。

右サイドでのウーデやサカとの緩衝材になってるのって実はホワイトなわけで、その辺もこの試合ではかなり寄与していた気がします。

とはいえ、なんやかんやでCB二人の安定感があるからこの結果というのも忘れてはいけないんですが、この試合では二人とも得点も決めるという、攻撃時にも存在感が出てきているのは有難きことです。

そーいえば、ヌワネリも出てきて、意外にタッチ数もあり、あれで16歳とは思えないボール捌きと落ち着き、今後に期待です。

ここ数試合、ハム戦を落としていたことを考えるとこの勝利というのは自信にもつながり、良い影響が出るんじゃないでしょうか。

では。

恐怖の等価交換!ヨルゴス・ランティモス監督による病的なストーリー『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』

「恐怖の等価交換!ヨルゴス・ランティモス監督による病的なストーリー『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』」

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「ロブスター」「籠の中の乙女」のギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、幸せな家庭が1人の少年を迎え入れたことで崩壊していく様子を描き、第70回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したサスペンススリラー。郊外の豪邸で暮らす心臓外科医スティーブンは、美しい妻や可愛い子どもたちに囲まれ順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。しかし謎の少年マーティンを自宅に招き入れたことをきっかけに、子どもたちが突然歩けなくなったり目から血を流したりと、奇妙な出来事が続発する。やがてスティーブンは、容赦ない選択を迫られ……。ある理由から少年に追い詰められていく主人公スティーブンを「ロブスター」でもランティモス監督と組んだコリン・ファレル、スティーブンの妻を「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマン、謎の少年マーティンを「ダンケルク」のバリー・コーガンがそれぞれ演じる。

あまりにも「哀れなるものたち」が良かったので、ちょっとヨルゴス・ランティモス監督作品を観返しているのですが、やはり難解でヘンテコな映画。

なんせこの映画、ずっと不穏なんです。

音楽の効果が大きいと思うんですが、無音で不吉なサウンドのハーモニーが。

好んで日常的に聴きたいものではないですが、映像との相性は抜群で、とことん謎めいて沈みたい時にピッタリ。まあそんな時はそうあるものではないと思いますが。

映像的にもドリー撮影であったり、ぬるっとしたフォーカスであったり、なんか不穏で嫌な感じが続いていく感じ。

特に病院の不気味さと言ったらないですよ。どことなくラース・フォン・トリアーのキングダムっぽさを感じるような気も。

別に綺麗な病院で最新の設備があるであろう内観なんですが、やたらと白が際立ち、無機質な印象を受ける。そこにあるEXITのサインとの対比で余計不気味なんですよね。

妙に寒々とした印象を受けるというか。日常と切り離されたような感覚を植え付けられるというか。

他のシーンでも温度低めのショットが多く、とにかく全てが寒々しく映る。家族のだんらんシーンにしろ散歩するシーンにしろ。

全然そういうシーンじゃなくてもそう見えるってことが逆に怖い。

構図の捉え方や構成なんかにちょっとキューブリックらしさが出ている気もするんですよね。

これが意図的になのか、気質なのかはわからないが、いずれにせよ独特の冷めたトーンを感じるのは間違いないわけです。

ストーリーは相変わらず設定が良くわからず、徐々にそれが明かされていくんですが、それでも最後まで色々とわからないことだらけ。

彼の作品って毎回思うんですが”どうやったらそのストーリー思いつくの”っていうくらいのぶっ飛んだ設定が多い。

これにしたってあらすじ読んで意味わかります?絶対にわからないですよね。想像の斜め上行き過ぎて。

ラストなんてどういうことよ、そう思わずにいられないのは私だけじゃないはずです。

まあわからないなりにも観ていて思うところはあるわけで、個人的にこの映画を観ての印象は「人生における等価交換の無慈悲さ」なのかなと。

はっきり言って何もわかってないですよ。この映画に関して。それでも観ている間ずっと、それぞれの因果をメチャクチャ過剰でダイレクトに押し付けられている感じ。

誰しもが何かしらの因果を抱えている中で、それをらをホントストレートに突きつけてくる様子が描かれているような。

その時に重要になるのは何をしたかではなく、何をするか。

そうした決断は勇気がいるものもあるだろうし、間違った判断を下すかもしれない。それでも判断しないという選択は絶対にないわけで、判断しないという決断自体が判断したことにもなってしまう。

時間は止められないですし、物事も進み続けますからね。

これのどこが怖いって、それに伴うパワーバランスの転化じゃないかと。どんな交換をするにしてもそれは無慈悲に同等なもの。でも何を交換するかで交換の質や重要度は変化していく。

最初は物々交換(時計と手土産)、レモネード、それから肉体(噛み付いたものは自分の腕を噛み切ることで)、最後は精神(キムのマーティンへの思いが一番顕著)となり。

考えてみると冒頭の心臓手術も外科医として内蔵を交換することもあるはずなわけで、それが人工だろうと他人のだろうと交換が前提。本人の手術自体も交換せずとも体を切ることで縫合出来るわけだし。

こうした一連を等価交換の初期、”物々交換”という”モノ同士の無機質な交換”によって始まったという無機質なトーンに落とし込んでいると考えてみると一層この映画が面白く見えてくる気がしませんか。

そしてその一点のみ凝縮し、ここまで嫌み全開で見せられる不快さ。もう、この映画を観るという判断自体も各々に委ねられた決断なんじゃないかと思えるほど、それくらい惨いシーンや出来事の連続なんですよ。

相変わらずそこまで好きになれる作品では無いですが、それでもヨルゴス・ランティモス監督らしさはなんか癖になります。

では。