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恐怖の等価交換!ヨルゴス・ランティモス監督による病的なストーリー『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』

「恐怖の等価交換!ヨルゴス・ランティモス監督による病的なストーリー『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』」

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「ロブスター」「籠の中の乙女」のギリシャの鬼才ヨルゴス・ランティモス監督が、幸せな家庭が1人の少年を迎え入れたことで崩壊していく様子を描き、第70回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞したサスペンススリラー。郊外の豪邸で暮らす心臓外科医スティーブンは、美しい妻や可愛い子どもたちに囲まれ順風満帆な人生を歩んでいるように見えた。しかし謎の少年マーティンを自宅に招き入れたことをきっかけに、子どもたちが突然歩けなくなったり目から血を流したりと、奇妙な出来事が続発する。やがてスティーブンは、容赦ない選択を迫られ……。ある理由から少年に追い詰められていく主人公スティーブンを「ロブスター」でもランティモス監督と組んだコリン・ファレル、スティーブンの妻を「めぐりあう時間たち」のニコール・キッドマン、謎の少年マーティンを「ダンケルク」のバリー・コーガンがそれぞれ演じる。

あまりにも「哀れなるものたち」が良かったので、ちょっとヨルゴス・ランティモス監督作品を観返しているのですが、やはり難解でヘンテコな映画。

なんせこの映画、ずっと不穏なんです。

音楽の効果が大きいと思うんですが、無音で不吉なサウンドのハーモニーが。

好んで日常的に聴きたいものではないですが、映像との相性は抜群で、とことん謎めいて沈みたい時にピッタリ。まあそんな時はそうあるものではないと思いますが。

映像的にもドリー撮影であったり、ぬるっとしたフォーカスであったり、なんか不穏で嫌な感じが続いていく感じ。

特に病院の不気味さと言ったらないですよ。どことなくラース・フォン・トリアーのキングダムっぽさを感じるような気も。

別に綺麗な病院で最新の設備があるであろう内観なんですが、やたらと白が際立ち、無機質な印象を受ける。そこにあるEXITのサインとの対比で余計不気味なんですよね。

妙に寒々とした印象を受けるというか。日常と切り離されたような感覚を植え付けられるというか。

他のシーンでも温度低めのショットが多く、とにかく全てが寒々しく映る。家族のだんらんシーンにしろ散歩するシーンにしろ。

全然そういうシーンじゃなくてもそう見えるってことが逆に怖い。

構図の捉え方や構成なんかにちょっとキューブリックらしさが出ている気もするんですよね。

これが意図的になのか、気質なのかはわからないが、いずれにせよ独特の冷めたトーンを感じるのは間違いないわけです。

ストーリーは相変わらず設定が良くわからず、徐々にそれが明かされていくんですが、それでも最後まで色々とわからないことだらけ。

彼の作品って毎回思うんですが”どうやったらそのストーリー思いつくの”っていうくらいのぶっ飛んだ設定が多い。

これにしたってあらすじ読んで意味わかります?絶対にわからないですよね。想像の斜め上行き過ぎて。

ラストなんてどういうことよ、そう思わずにいられないのは私だけじゃないはずです。

まあわからないなりにも観ていて思うところはあるわけで、個人的にこの映画を観ての印象は「人生における等価交換の無慈悲さ」なのかなと。

はっきり言って何もわかってないですよ。この映画に関して。それでも観ている間ずっと、それぞれの因果をメチャクチャ過剰でダイレクトに押し付けられている感じ。

誰しもが何かしらの因果を抱えている中で、それをらをホントストレートに突きつけてくる様子が描かれているような。

その時に重要になるのは何をしたかではなく、何をするか。

そうした決断は勇気がいるものもあるだろうし、間違った判断を下すかもしれない。それでも判断しないという選択は絶対にないわけで、判断しないという決断自体が判断したことにもなってしまう。

時間は止められないですし、物事も進み続けますからね。

これのどこが怖いって、それに伴うパワーバランスの転化じゃないかと。どんな交換をするにしてもそれは無慈悲に同等なもの。でも何を交換するかで交換の質や重要度は変化していく。

最初は物々交換(時計と手土産)、レモネード、それから肉体(噛み付いたものは自分の腕を噛み切ることで)、最後は精神(キムのマーティンへの思いが一番顕著)となり。

考えてみると冒頭の心臓手術も外科医として内蔵を交換することもあるはずなわけで、それが人工だろうと他人のだろうと交換が前提。本人の手術自体も交換せずとも体を切ることで縫合出来るわけだし。

こうした一連を等価交換の初期、”物々交換”という”モノ同士の無機質な交換”によって始まったという無機質なトーンに落とし込んでいると考えてみると一層この映画が面白く見えてくる気がしませんか。

そしてその一点のみ凝縮し、ここまで嫌み全開で見せられる不快さ。もう、この映画を観るという判断自体も各々に委ねられた決断なんじゃないかと思えるほど、それくらい惨いシーンや出来事の連続なんですよ。

相変わらずそこまで好きになれる作品では無いですが、それでもヨルゴス・ランティモス監督らしさはなんか癖になります。

では。