終盤のとんでも展開はさすがの黒沢清。
『回路』
一人暮しの平凡なOLだったミチ。しかし最近、彼女の周囲では同僚の自殺、勤め先の社長の失踪など無気味な事件が相次いでいた。友達が、恋人が、そして家族までが次々と消えていく。
時を同じくして、大学生亮介の自宅のパソコンには、インターネットにアクセスしてもいないのに「幽霊に会いたいですか」という奇妙なメッセージが浮かび上がり、黒い袋に覆われた異常な人の姿が現れた。次第に廃虚となる町で、ミチと亮介は出会い、迫り来る恐怖に挑むのだが……。
今観ると映像的なチープさは否めないなというのが率直な感想ですが、それでもやはり黒沢清、とにかく映像の見せ方が上手い。正確には映像的な嫌味とでもいうべき、気持ち悪さ、居心地の悪さが秀逸。
ちょいちょい挿まれる、ぬるっとしたカメラワークなんかもそうで、どこかで誰かに見られているかのような気味悪さ。幽霊的な何かに遭遇する時の感じに近いといったところでしょうか、さらに、それが動いている様も気持ち悪いし、心底怖い。
否応なく怖いと感じてしまうのは、人間の根源的なところを捉えられているからだと思いますし、それを映像的に毎回表現できるのは紛れもない黒沢監督の才能。
2001年制作ということで、まだ携帯もスマホでは無いし、パソコンもウィンドウズが普及して少し経った程度と言った感じ。
ビデオテープもそうですけど、やっぱりアナログは怖いというのもあって、別にアナログそのものが怖いわけでは無いんでしょうけど、独特の質感と言うか、あの無機質でノイジーな感じ、あの感じがある種の気味悪さと結び付くと相性が非常に良いんでしょう。
そんなPC普及期に起きるインターネットを通じた異常事態からのおはなし。システムエラーといったデジタル的なトラブルというよりもむしろ、心霊的なそれ。
デジタルな回路を通じて浸食してくる生への問いというのも視点が面白い。
あまり考えたことは無かったんですが、人は死んだあとどうなるんでしょうね。漠然と死んだら全て終わりだと思っていたんですが、本作で問われるような死後の世界の捉え方もあるんだろうなと思ってしまう。
小雪演じるハルエの考える、死んでも今のまま幽霊になるだけ、だから苦しみからも解放されないし、ずっと一人ぼっちというもの。
一方加藤晴彦演じるリョウスケは、そんなことは考えないで今は一緒に居るじゃないかという現実的な考え。
どっちが良いとか悪いとかじゃないですけど、どのように考えても不思議じゃないだろうなというところもあって。まあ実際には誰もわからないわけですからね。
そういったことへの問いとして、突如PCスクリーンに映る謎の映像、個人的にこれが幽霊とかではなく、実際に生きている人間というところが妙に怖いというか気持ち悪いというか。
生きているのに死んでいるような。はっきりいってそんな生き方をしている人は山ほどいるだろうし、自分自身もそんな日を過ごしている日もある気がするんです。
それをあんな感じで見せられると、ホント終わっている人生だなと思ってしまう。夢も希望もありゃしないし、何のために生きているのか、ただ死んでいないだけなんてよく言ったもので、正に何も考えず、外にも出ずに過ごす日々は死んでいるのと同じなのか。死ねないから生きているだけといったところ。
当時のインターネット黎明期にPCを使って、ここまで今に通ずるであろう問いを投げかけたのはホント驚きです。
はっきり言って終盤のとんでも展開はいらなかったなと思ってしまいますし、あれが生への誇張した解釈であり、行く末だと捉えれば、理解できないわけでは無いですが、それでもあれはぶっ飛び過ぎ。
まあ黒沢作品の初期にはそういったとんでも演出があるのも事実なわけで、そう考えるとそこまでの驚きも無いとも言えるんですが、それがいるのかいらないかと言われると・・・。
とはいえ映像的に面白い、映画というフォーマットだからこそ出来る何かを見せてくれる監督作品はやっぱり面白いですね。
では。