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実体の無さはすべてに存在していることなのかも『ある男』

どうしても原作から読みたい作品ってあると思うんですよ。それは漫画でも小説でも。その意味で平野さんの作品は全てそういうところがあるなと。

この作品もあらすじからして興味深く、目の付け所というか、思考の巡らせ方がとにかく好み。

愛したはずの夫は、まったくの別人であった――。

「マチネの終わりに」の平野啓一郎による、傑作長編。

弁護士の城戸は、かつての依頼者である里枝から、「ある男」についての奇妙な相談を受ける。

宮崎に住んでいる里枝には、2歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、新しく生まれた女の子と4人で幸せな家庭を築いていた。

ところがある日突然、「大祐」は、事故で命を落とす。悲しみにうちひしがれた一家に、「大祐」が全くの別人だという衝撃の事実がもたらされる……。

愛にとって過去とは何か? 幼少期に深い傷を負っても、人は愛にたどりつけるのか?

「ある男」を探るうちに、過去を変えて生きる男たちの姿が浮かびあがる。

第70回読売文学賞受賞作。キノベス!2019第2位。

考えてみると”他人”を認識する時ってどうやって認識してるんでしょうね。

固有名詞や、人となり、喋り方や、過去の経歴、家族、容姿、学歴、挙げればきりが無いくらいには出てくるものですが、いざその人を明確に捉えている点を挙げろと言われるとひどく不確かだなと思ってくるわけです。

なんなら自分という人間だってそうですよね。自分が思う自分と人が思う自分は全く異なるかも知れないわけで。

その辺の要素を物語的にもミステリアスに描いており、日常レベルの話に上手いこと落とし込んでいる感じ。

少しづつ謎解きをして確信に迫っている感覚があるものの、むしろ確信から遠ざかっている気もしてくるという変な感覚も同居している構成。

これには読んでいるものの想像から生まれてくる構造的なミスリードというより、感覚的ミスリードに依存することろが大きい気がしています。

結局なんでもそうですけど、全ての事柄って”実体が無い”んですよね。

全てが想像や思惑で形成され、多くの人にとっての既成事実に成り代わっていく。

よく会話にも出てきたり、自分でも言ってしまう「普通さぁ」という言葉もまさにそうで、誰から見た普通なのか、対象は誰なのか。そうしたことが当たり前のように抜け落ちてしまい、そこに疑問は無くなってしまう。

こんな世の中に沢山溢れた認識の誤謬みたいなものがわかりやすい形で興味深く綴られていく物語。

まず、根幹にある物語の掴みが素晴らしいですよね。「好きになった人が全くの別人だったとしたら」って。

そんな掴みの良いフックがありつつ、それだけのコンセプトに埋没していない。これほど興味深く読めてしまうというのは間違いなく平野さんの文体や言葉選びの部分にあると思うんですよ。

クラシカルな純文学的でありつつ、どこか近未来的な装いもある澄んだ言葉選び。なんか頭に残るところがあり、ハッとさせられるんですよね。文字を読んだ時にそのイメージが圧縮されて弾けるような。

人の感情というか認識の確信はどこにあるのか、もしくはそれすらまやかしなのか。

良きお話でした。

映画化もされ、評判も良いのでそちらも観てみたいところではあります。

では。

19この世界と自分との留め金

53愛にとって過去とは

100子供は成長が早過ぎて

118若い頃は、愛することと

130端的に言って、彼は

131自分とは何か

156みんな、この世界の評価

171話は虚実が複雑に

200人はなるほど

205広告表現の芸術性

263若い頃には想像だに

282事務所では、城戸さんの

294誰も、他人の本当の

314僕たちは誰かを好きになる

319消せないなら

336この人生を誰かから

361瓦礫からいつの間にか

厳しい戦いの果てに導かれた勝利!アーセナルの魂の戦い『アーセナルvsウルヴス』

中二日でこれだけの運動量、しかも、CL明けでこの結果は上々じゃないでしょうか。

1分、ハヴァさん空中戦やはり強いしポジショニングも今日良いかもな
13分、キヴィの早めのクロスは中々良かったな、後は精度
18分、ライス受けたとこちょっと悪いかなと思ったけど、あそこまで運べちゃう個の力
26分、ホワイトはサカとの関係性ホントわかってるな
44分、ハヴァさんのこういうパス初めて見たな。からのジェズスの良トラップ、サーモンの決定力

51分、サカのワンタッチええやん
78分、ラヤの対応クールだな
91分、この時間でライスここまで抉れるとは
92分、あのショートコーナーおもろかったな
94分、ウーデのシュートコース選びヤバっ

 

それくらい、キツさが伝わってきていた試合だったにも関わらず、この結果を残したのは大きいですよ。

それにしてもこの試合、アーセナルのシュート数ヤバくないですか。24本て。

それでこの得点差で終わったのは、正直アーセナルの疲れによる精度の低下が原因だったのは明白でしょう。

いつもと異なり、際の部分での判断や感覚がズレているように感じたのは、間違いなく疲労が溜まっていることを暗示していたのかと。

それでも、それを承知で、やれるだけのことを各選手がやっていたのもわかりましたし、だからこそこの結果を得られたのかと思うと、メンタリティが向上したなと感慨深いところではあります。

そんな中、疲労も溜まっているであろうに、ハヴァさんの相変わらずの空中戦の強さ、際立ってましたよね。

攻撃時にも、守備時にも、ハイボールの処理と、フィジカルの強さから大抵収めてしまう懐の深さ。なんかこの淡々とした感じも好きなんですよね。

あとウーデもヤバくないですか。

バイエルン戦でもあれだけ動き回って、この試合でもどんだけ動くんだよという働きっぷり。

そりゃ疲れが見える部分も多々有りましたし、いつものウーデならと思う場面もありました。

でも、それを鑑みてもこの強度とクオリティは異常ですよ。それを物語るのが2点目の得点シーン。

あの時間であのコースに蹴れないですから。普通。

トロサールも、彼だから決めれるような良きゴールでしたよ。

最近だと厳しいときに助けてくれるのは決まって彼。それくらいハイパーなオールラウンダーですよ。マジで来てくれて有り難うと言いたい。

そしてライス。

彼も厳しい時こそ効いてきますよね。キーパス5本に、タックル4て。

攻守にわたり、獅子奮迅の働き。それ以外にもタメを作ったり、キャリーしたりと、欲しい時に欲しいアクションを取り、さらに期待以上のクオリティでそれをこなしてしまうっていう何なんですか、怪物ですよ。それくらいの存在感ありましたから。

とにかく全員よくやり抜きましたよ。

途中からターンオーバーを図ってくるかと思いきや、以外にもそこまでの交代もなく、サカもホワイトもかなりヘトヘトになりながらよくやり切りましたよ。

ホント素晴らしい。

この先も厳しい戦いが続きますが、とりあえずの現状首位、CL無き今、リーグでの優勝を是非お願いしたい。

では。

CLベスト8敗退も、未来への希望が生まれた一戦『アーセナルvsバイエルン』~CLベスト8 2nd leg編~

残念ではあったけど、正直悔いは無い・・・とも思う。

Daily Schmankerl: The aftermath of Bayern Munich vs. Arsenal in the  Champions League; Kim Min-jae headed back to Napoli?; João Felix wants  permanent move to FC Barcelona; Liverpool wants Jeremie Frimpong; Chelsea

27分、ジョルジこういう位置からのパスの方が良い気が

39分、サリバあの場面であのプレーするかね

44分、サカトラップ上手いわ

 

51分、トミーのダブルタッチええな

60分、サリバのあの一歩がデカいわけよ

 

ついにCLの舞台に戻り、14シーズンぶりのベスト8。ここまで良い夢見させてもらいましたし、ここまでこれたことも感慨深いわけですよ。

でも、やはりCL。この辺まで来るとちょっと調子が良いとか、勢いでいけるとか、そんなことが通らない、痺れる試合が続くわけです。

他のベスト8の試合もハイライトで全部見ていたんですが、どれもが劇的で、熱量に満ちた凄まじい攻防でした。

正直なところ、この2ndレグに関して言えば、アーセナルのこの試合が一番の塩試合だったことは否めず、それこそが、CLの舞台なんだなと。

別に試合全体を通して悪かったわけでは無いですし、全然良い部分もありました。

でも、トータルで観た時の”色々な足りなさ”というのはあったわけで、これが現時点においての限界値なのかなとも思ってしまうわけです。

悲観的に聞こえるかもしれませんが、ここ数年でよくここまで作り上げたなと思いますよ。数年前を思うとCLの舞台に戻れる気すらしてなかったですから。そう思うと、これからのアーセナルには期待しかないわけですよ。チームの年齢的にもまだまだ発展途上なわけですから。

そんな感じで終わってしまったわけですが、この試合、前半は静かな戦いでした。

アリアンツということもあり、前半は様子見な感じなのかなと思うほど、いつものようなプレスもかけず、攻撃時も遅行目な印象でした。

1stレグのことを考えると、前半はあまり過剰に攻めず、手堅いプレーの方が自分自身も良いのかなとは思っていたんです。

早い時間に得点して、変にスタジアムの空気を一変させたり、チームを目覚めさせてもあれなので。

そんな、バイエルン側もそこまでガツガツ来るわけでも無く、結局静かに進んでいったのが前半でした。

からの、後半ですよ。

思ったよりギアも入らず、若干攻めに転じる場面もありましたが、そこまで。なんならシュート数も後半激減してしまい、2本ですからね。

ボールの繋ぎに関しても中々ファイナルサードまでいけず、エリア内に侵入してもスペースが無過ぎて展開できずで、とにかくチャンスメイクが出来なかった。

こじ開けられないんですよね。組織では崩せても、個でちぎれないというか。中盤でボールを回している状況が下のスタッツでも良くわかりますからね。

ただあのキミッヒのゴールに関しては単純にエグ過ぎましたね。これが勝者のメンタリティなのかと思い知らされましたよ。

やっぱり勝ち切れる力が備わり、どんな局面でもやれるという経験が必要なのかなと。

兎にも角にも現時点での限界点、それを知ることになり、これが次への糧となることを信じて応援したいと思います。

お疲れでした。

では。

言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅

本日紹介する映画はベルギーの監督作品。

「言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅」

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世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

この作品自体、知らなかったんですけど、いつも行ってるミニシアターにチラシというか広告が出てまして、そこでこの監督と作品に興味を持ったんですよね。

そんな感じで見てきたんですけど、この作品、単純に物語というか、プロットを追ってこうと思うとすごい難しい作品だなと。

一方で物語とかをたどってく映画でもないのかなっていうのが鑑賞後の率直な感想でしたね。

この作品って画角が1対1なんですよ、常に。それも途中で変わったりするのかなと思って見てたんですけど、変わることなく、ずっと1対1のまんま、いわゆる正方形ですね。

じゃあなんで正方形なんだというところもあるんですけれども、そこはちょっとひとまず置いいておくとして、とにかく冒頭から1対1の正方形の画角から始まって、何気ない写真のようなカットが繋がれてくるんですよ、3カット4カットぐらい。

その間、会話もないですし、聞こえてくるのは環境音だけ。

そういうカットがいくつか続いていくんですけども、それを見てるときに、これ何の映画なんだろうなって思いながらずっと見てるわけですよ。

その段階ではそこには何も気づかず、その音量のバランス自体が、他サウンドに比べて大きいなっていう印象は受けながら、見ていくんですよね。その中で、誰が主人公かもよくわからないっていう状況の中物語は進んでいきます。

ポスタービジュアルに女性が映ってたのでさすがにその女性は出てくるんだろうなって思いながら見ていたわけですよ。

それでその女性が出てくる時っていうのも、思ってたより劇的な登場でもないですし、いたって普通に登場するんです。

なんですけど、その後の関わり自体もそんなに濃いものではなくて、物語は進んでいくんです。

ただ、女性が朝目覚めたシーンから始まるエピソードは意外に感慨深いわけでして。起きたら固有名詞を忘れているんですよ。実際にということではなく、描写としてそういう演出が入っているわけです。

なので名前とか状況の説明みたいなものが一切出なくなっているっていう。起きていることはわかるんだけど、それが何なのかがわからないし説明できないようなイメージ。

そういう朝を迎えたっていうことが語られていくんですけど、そのときに私の中で、この冒頭と繋がるんですよ。冒頭の風景だったりを見せられた時の、わからなさであったり、表現の出来なさ。こういうのって、結局日常でも結構溢れてることだなと思って。

要するに言語化されたことっていうのは、人があくまでも言葉っていうもので装飾したり表現したりっていうことでなされている世界の表現であって、実際のところは物事を言語化なんて出来ないんですよ。

それを思った時、この作品のテーマっていうのは、そういう何か言語とかそういうことじゃなくて、あくまでも、そうではない部分、感覚的な部分で受けた表現、食らった感覚っていうのを受け手としてどう受け取るかっていうところにフォーカスしているのかなって。

当たり前の話ですけど、何かをされたときとか言われたときに、それが言語で例えられなかったとしても、絶対に何かを感じてるわけじゃないですか。

その感じてることを説明することは難しいかもしれないけど、でも間違いなく何かは感じてるわけじゃないですか。

何かを感じる、思う、みたいなところを噛み締めた時に、どういう感覚になれるのかっていうところ。そういったところにフォーカスした映画なんじゃないかなって個人的には思ったんですよね。

そう思った理由がもう一つあって、終盤でのその男性と女性のやり取りの場面。やり取りの中で、女性がちょっと笑顔になるんですよ。

笑顔の意味っていうのも、正直なところはよくわからないですし、具体的に語られるわけでもないんですよ。

ですけど、その笑顔からは何かを受け取る受け取ることができるわけじゃないですか。感覚としてでも情報を受け取ることができるというのは紛れもない真実なわけで、それがその人なりの答えなのかなっていう。

結局誰かの答えで判断してるわけじゃなくて、自分の判断で認識しているわけじゃないですか。

本質というか、そういう深層部分にフォーカスした作品なのかなって思うと、この映画自体の全てが開かれていく感覚があって。

なのでその環境音が、ちょっと大きめに設定されているところなんかも、やっぱりその感覚を研ぎ澄まして、実際その音を感じ取るみたいなところを重視していると感じられるわけですし。

画角が1対1になってるのも、視野を狭くすることで、感覚を研ぎ澄ませる。つまるところ、映画というものを体験、それを通して、感覚を全方位的に高めていくっていう。

物語とかプロットとかそういったことでなく、感覚で受け取るものものに重きを置いてる作品なのかなと。

そう考えると映像的に美しさがあるっていうところも、実風景の美しさ、みたいなところに繋がるなと思うんですよね。

本作ってファンタジー映画とかそういうわけではないので、実世界としての風景が映されているわけじゃないですか。そしてそれを美しいと感じるということは、やっぱり実風景を美しいと感じている感覚を受けているということに繋がるわけで。

もしそれが感じられないのであれば、日常というものを、軽薄にというか、あまりしっかりと見られてない側面もあるのかなっていう。

そういったことにも気づかせてくれる深さがあるんですよね。

映画全体を通して、語りかけてくる、見終わった後に気づきを得られるみたいなところ。そういう発見に至るための映画なのかなっていうふうに私は感じました。

最終的に登場する人物たちの名前であったり、場所であったり、関係性であったり、そういうものの不確かさ、不明瞭さみたいなのがある中、結局は、何かによって定義されるものじゃなくて、自分の感覚そのもの、ただそれだけなんだと思えてくるわけですよ。

人そのもの、それそのもの、そういうことを重視すべきなのかなっていうふうに。

最後のエンドクレジットも面白かったですよね。中々凝った作りになっていて。

部分的に歯抜けになっていて、徐々にそれらが埋まっていくみたいな。そういう感じのクレジットになっているんですけど、結局は、名前であったり、名字であったり、立場であったり、役割であったり、そういう所々が歯抜けになっているんです。

当然の話ですけど、歯抜けになる場所によって、その人の存在というか、その人というもの自体が不確かになりますよね。

実際にそこが埋まっていくことで、その人が何なのかっていうことだとか、その人はどういった役割をこなしていたのかとか、その人の人となりがわかってくるんだと思うんですよ。それって言い換えると本当にその定義されたことが全てですかっていう問いなのかなと思うところだと思うんですよね。

そういう意味でも、エンドクレジットの面白さっていうところは本作の内容にも繋がるなという部分があったわけです。

鑑賞中、その人っていうものが、何なのか、その固有名詞っていうものが何なのか、そうした定義についていろいろと考えさせられた映画でした。

見えてるものが、世界なんだけども、見えてるものだけが世界でもないっていう。

別の表現として、コケが使われていたのも面白いところだなと思っていて、そのコケっていうのは、社会の縮図的なもの、要は地球であったり、宇宙であったりを構築していると言われたりもするんですよね。

世界のあらゆる状況だったり物質があるっていう風に言われていて、そういったところもつぶさな視点で見ないと気づかないですけど、見てみると気づける。そんな世界っていうのもあるのかなという部分も感じたりしながら、鑑賞後に色々と繋がってきた作品でした。

映画の物語を追うのではなくて、感じることの重要性、そこから得られる気づき、そういうことに満ちた静かな美しい作品だなという感じでした。

では。

チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』

「チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』」

2分、 ウーデのボールの出し入れ相変わらず上手っ

8分、 サリバのプレスの速さヤバい

10分、 サーモンのスルー、タイミング、強さ完璧過ぎん

12分、 やっぱ今日のサーモン力加減わかってるな

16分、 ライスのライン取り素晴らしい

19分、 ウーデも見えてるな

24分、 ウーデのあの煽るの昂るんだよな。マジアツい男

41分、 あのライスの一歩の広さが頼りになるわ

43分、 これはオフサイだったけど今日のチェンコの縦パスいいわ

 

53分、 ハヴァさんの戻りも効いてるよ

63分、 ラヤのフィードはさすが

80分、 ライスの守備アップで見ると改めてタイトだな

 

想定以上に想定外な展開になってしまいました。

いやぁ、前半は良かったんですけどね。

それこそ決定機もわりとありましたし、ファイナルサードへのボール運びも全く問題なく、いつも通りのサッカーをしていたわけです。

実際にシュート数も14でオンターゲットも3でしたし、見るからに押していたのはアーセナルでした。

それが後半には一転、上のモーメントを見ても明らかな押されっぷりで、全くと言っていいほどゴールに迫れていなかった。

シュート数に関しても激減の4本。実際ボックス内全然入れて無かったですからね。当然の結果と言えばそれまでなんですが。

これは完全にエメリの修正力に軍配があがった格好でした。

シーズンダブルやられたわけですし、皮肉にもエメリのエミレーツ勝率は高いとのこと。

That victory means Unai Emery averages 2.26 points-per-game in the Premier League at the Emirates Stadium.

It is the highest rate of any manager with 10+ games at the stadium.

For reference, Arsene Wenger's record was 2.22 points-per-game while Mikel Arteta's is 2.11.

エメリ2.26、ヴェンゲル2.22、アルテタ2.11ですからね。何とも言えない結果ですよ。ヴェンゲルをも凌ぐとは。

とまあヴィラは後半からの修正として、前半あまり使用していなかったロングボールを使用するようになり、それによりアーセナルのラインが押し下げられ、間延びしたところを見事に崩されるという感じになったわけです。

同時に、アーセナルとしてはビルドアップも低い位置からの押し上げになってしまっていたので、中々運びきれずという展開も増えてましたからね。

交代も機能していたのかと言われると微妙だった気がしますし。正直前半の流れのまま、スミスロウ復活の狼煙が上がるといいなとは思っていたんですが、タイミングが悪く、杞憂に終わりました。

いずれにせよ、これに対しての上手い解決策が無かったアーセナルが撃沈したわけですよ。

とりあえず次のCLバイエルン戦、意地でも勝ってほしいところです。

では。

『灼熱の魂』:衝撃展開が止まらない、二度と観られない衝撃のラスト

これまた衝撃的。

「『灼熱の魂』:衝撃展開が止まらない、二度と観られない衝撃のラスト」

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レバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲をドゥニ・ビルヌーブ監督が映画化し、第83回米アカデミー外国語映画賞にノミネートされたヒューマンミステリー。

心を閉ざして生きてきた中東系カナダ人女性ナワルは、ある日、実の子で双子のジャンヌとシモンに謎めいた遺言と2通の手紙を残してこの世を去る。手紙はジャンヌとシモンが知らされていなかった兄と父に宛てたもので、まだ見ぬ家族を探すためナワルの母国を訪れたジャンヌとシモンは、母の痛切な過去と向き合うことになる。

後にハリウッドで「メッセージ」「ブレードランナー 2049」「DUNE デューン 砂の惑星」など話題作を次々に手がけ、高い評価を受けるビルヌーブ監督の出世作となった一作。2022年8月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。

まずこれ、戯曲だったんですね。何も知らずに観たんですが、相変わらずドゥニ作品はエグいことをするなと。

映像的なドライさは常にあるのに、かなり手の込んだ脚本。緻密に練られすぎていて、どういった話なのか終盤までまるで全くわからない構成。

冒頭で示されている目的地はわかっているのに、なんかしっくりこない感じ。それによりどこに着地するのかわからないんですよね。

”思っていた世界と違う方向に連れて行かれる”というのはドゥニ作品に共通するところなのかも知れないです。

とまあ、本作は先にも書いた通り、脚本の素晴らしさが際立つわけですが、このお題をここまで映像的に上手く見せれるところが驚きなんですよ。

戯曲が下敷きにあるとはいえ、ここまで完璧なロードマップを描けるもんじゃないですからね。構成も完璧ですし。

同時に、完璧過ぎるが故に初回の衝撃が強く、内容も激重なので、何度も見返そうとは思えないわけですが、完璧なのは間違いないかと。

作中、レディオヘッドの楽曲が使われていたのが印象的ですが、これはなんか狙いすぎている感ありありで、際立ち過ぎていたような気もします。

特に冒頭のそれがそうで。なんか映像的なPVっぽさも相まってなおさら。

それでも精神性というか、映像的なイメージややりたいことはわかるんですけどね。

撮影の部分で言うと、ヌルっとしたような、覗き見るようなショットは何か好きでしたね。

この作品、衝撃的な展開が度々訪れるので、ホントにそれを気にしながら手探りで進んでいくような感じもありで、独特なテンポ感を助長するのに効果的に寄与していたような気はします。

後はとにかく自然音が際立っている。

水の音であったり、風の音、木々がそよぐ音や、鳥のさえずり。

そうした環境音にフォーカスが置かれている気がして、あくまでも日常との地続きの中でああいった世界線があるということを自覚させられるんですよ。

それが絶妙に嫌なフックになっているというか。

とにかくこの結末は知らずに観たほうが楽しめるかと。

タイトルも秀逸で、現代の原題「Incendies」はフランス語で火事、火災、戦火、動乱、 真っ赤に燃える光、激情、激昂、といった意味らしいんですよね。

このどれもが当てはまるほど、言葉にならない抽象的な感情を抱くわけですが、そのどれにも燃えるような静かな炎を感じるような感覚。

ラストでこのタイトル出た時、「まさにそれ!」と思ったのは言うまでもないです。

とまぁ、何も知らずにとりあえず観てみてください。

では。

灼熱の魂 [DVD]

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布でなく画用紙ならいける!質感を生かしたカレンダー作成2024編

「布でなく画用紙へ!質感を生かしたカレンダー作成2024編」

なんとなく何か作ってみたくなるタイミングがあるんですが、今回はカレンダーを作ってみました。もう1/4くらい今年は終わっておりますが。

カレンダーを布にプリントしていたのが気になっており、自分もそれがやりたかったんですが、布地にプリント出来る機材が無く、画用紙的なものに印刷し、質感を出してみることに。

やっぱり布と違ってそこまでの質感が出ないし、画用紙のカラーとプリントのカラーが混ざってしまうため、中々予想通りにいかず。

それならばと頭の中にあるイメージとカラーの調合を感覚的にさじ加減してみました。

ちなみにキャラクターを中央に配置したかったんですが、イラストが描けるわけでも無く、まずは一番好きなバンド、Blink182から拝借させていただきました。

まあ個人使用ですし、誰にあげるわけでも無いので。

これも色の加減が難しかったですね。あと配色のバランスが。

ちょっと毎年作ってもいいかなと思っているわけですが、それを来年も思うか否か。まあ気分次第といきたいところです。

では。