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言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅

本日紹介する映画はベルギーの監督作品。

「言語を超えた表現:ベルギー映画『Here』が描く、感覚の旅」

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世界的に注目を集めるベルギーの新鋭バス・ドゥボスが監督・脚本を手がけ、植物学者の女性と移民労働者の男性が織りなす些細で優しい日常の断片をつづったドラマ。

ベルギーの首都ブリュッセルに住む建設労働者の男性シュテファンは、アパートを引き払って故郷ルーマニアに帰国するか悩んでいる。シュテファンは姉や友人たちへの別れの贈り物として、冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。ある日、森を散歩していた彼は、以前レストランで出会った中国系ベルギー人の女性シュシュと再会し、彼女が苔類の研究者であることを知る。シュテファンはシュシュに促されて足元に広がる多様で親密な世界に触れ、2人の心はゆっくりとつながっていく。

この作品自体、知らなかったんですけど、いつも行ってるミニシアターにチラシというか広告が出てまして、そこでこの監督と作品に興味を持ったんですよね。

そんな感じで見てきたんですけど、この作品、単純に物語というか、プロットを追ってこうと思うとすごい難しい作品だなと。

一方で物語とかをたどってく映画でもないのかなっていうのが鑑賞後の率直な感想でしたね。

この作品って画角が1対1なんですよ、常に。それも途中で変わったりするのかなと思って見てたんですけど、変わることなく、ずっと1対1のまんま、いわゆる正方形ですね。

じゃあなんで正方形なんだというところもあるんですけれども、そこはちょっとひとまず置いいておくとして、とにかく冒頭から1対1の正方形の画角から始まって、何気ない写真のようなカットが繋がれてくるんですよ、3カット4カットぐらい。

その間、会話もないですし、聞こえてくるのは環境音だけ。

そういうカットがいくつか続いていくんですけども、それを見てるときに、これ何の映画なんだろうなって思いながらずっと見てるわけですよ。

その段階ではそこには何も気づかず、その音量のバランス自体が、他サウンドに比べて大きいなっていう印象は受けながら、見ていくんですよね。その中で、誰が主人公かもよくわからないっていう状況の中物語は進んでいきます。

ポスタービジュアルに女性が映ってたのでさすがにその女性は出てくるんだろうなって思いながら見ていたわけですよ。

それでその女性が出てくる時っていうのも、思ってたより劇的な登場でもないですし、いたって普通に登場するんです。

なんですけど、その後の関わり自体もそんなに濃いものではなくて、物語は進んでいくんです。

ただ、女性が朝目覚めたシーンから始まるエピソードは意外に感慨深いわけでして。起きたら固有名詞を忘れているんですよ。実際にということではなく、描写としてそういう演出が入っているわけです。

なので名前とか状況の説明みたいなものが一切出なくなっているっていう。起きていることはわかるんだけど、それが何なのかがわからないし説明できないようなイメージ。

そういう朝を迎えたっていうことが語られていくんですけど、そのときに私の中で、この冒頭と繋がるんですよ。冒頭の風景だったりを見せられた時の、わからなさであったり、表現の出来なさ。こういうのって、結局日常でも結構溢れてることだなと思って。

要するに言語化されたことっていうのは、人があくまでも言葉っていうもので装飾したり表現したりっていうことでなされている世界の表現であって、実際のところは物事を言語化なんて出来ないんですよ。

それを思った時、この作品のテーマっていうのは、そういう何か言語とかそういうことじゃなくて、あくまでも、そうではない部分、感覚的な部分で受けた表現、食らった感覚っていうのを受け手としてどう受け取るかっていうところにフォーカスしているのかなって。

当たり前の話ですけど、何かをされたときとか言われたときに、それが言語で例えられなかったとしても、絶対に何かを感じてるわけじゃないですか。

その感じてることを説明することは難しいかもしれないけど、でも間違いなく何かは感じてるわけじゃないですか。

何かを感じる、思う、みたいなところを噛み締めた時に、どういう感覚になれるのかっていうところ。そういったところにフォーカスした映画なんじゃないかなって個人的には思ったんですよね。

そう思った理由がもう一つあって、終盤でのその男性と女性のやり取りの場面。やり取りの中で、女性がちょっと笑顔になるんですよ。

笑顔の意味っていうのも、正直なところはよくわからないですし、具体的に語られるわけでもないんですよ。

ですけど、その笑顔からは何かを受け取る受け取ることができるわけじゃないですか。感覚としてでも情報を受け取ることができるというのは紛れもない真実なわけで、それがその人なりの答えなのかなっていう。

結局誰かの答えで判断してるわけじゃなくて、自分の判断で認識しているわけじゃないですか。

本質というか、そういう深層部分にフォーカスした作品なのかなって思うと、この映画自体の全てが開かれていく感覚があって。

なのでその環境音が、ちょっと大きめに設定されているところなんかも、やっぱりその感覚を研ぎ澄まして、実際その音を感じ取るみたいなところを重視していると感じられるわけですし。

画角が1対1になってるのも、視野を狭くすることで、感覚を研ぎ澄ませる。つまるところ、映画というものを体験、それを通して、感覚を全方位的に高めていくっていう。

物語とかプロットとかそういったことでなく、感覚で受け取るものものに重きを置いてる作品なのかなと。

そう考えると映像的に美しさがあるっていうところも、実風景の美しさ、みたいなところに繋がるなと思うんですよね。

本作ってファンタジー映画とかそういうわけではないので、実世界としての風景が映されているわけじゃないですか。そしてそれを美しいと感じるということは、やっぱり実風景を美しいと感じている感覚を受けているということに繋がるわけで。

もしそれが感じられないのであれば、日常というものを、軽薄にというか、あまりしっかりと見られてない側面もあるのかなっていう。

そういったことにも気づかせてくれる深さがあるんですよね。

映画全体を通して、語りかけてくる、見終わった後に気づきを得られるみたいなところ。そういう発見に至るための映画なのかなっていうふうに私は感じました。

最終的に登場する人物たちの名前であったり、場所であったり、関係性であったり、そういうものの不確かさ、不明瞭さみたいなのがある中、結局は、何かによって定義されるものじゃなくて、自分の感覚そのもの、ただそれだけなんだと思えてくるわけですよ。

人そのもの、それそのもの、そういうことを重視すべきなのかなっていうふうに。

最後のエンドクレジットも面白かったですよね。中々凝った作りになっていて。

部分的に歯抜けになっていて、徐々にそれらが埋まっていくみたいな。そういう感じのクレジットになっているんですけど、結局は、名前であったり、名字であったり、立場であったり、役割であったり、そういう所々が歯抜けになっているんです。

当然の話ですけど、歯抜けになる場所によって、その人の存在というか、その人というもの自体が不確かになりますよね。

実際にそこが埋まっていくことで、その人が何なのかっていうことだとか、その人はどういった役割をこなしていたのかとか、その人の人となりがわかってくるんだと思うんですよ。それって言い換えると本当にその定義されたことが全てですかっていう問いなのかなと思うところだと思うんですよね。

そういう意味でも、エンドクレジットの面白さっていうところは本作の内容にも繋がるなという部分があったわけです。

鑑賞中、その人っていうものが、何なのか、その固有名詞っていうものが何なのか、そうした定義についていろいろと考えさせられた映画でした。

見えてるものが、世界なんだけども、見えてるものだけが世界でもないっていう。

別の表現として、コケが使われていたのも面白いところだなと思っていて、そのコケっていうのは、社会の縮図的なもの、要は地球であったり、宇宙であったりを構築していると言われたりもするんですよね。

世界のあらゆる状況だったり物質があるっていう風に言われていて、そういったところもつぶさな視点で見ないと気づかないですけど、見てみると気づける。そんな世界っていうのもあるのかなという部分も感じたりしながら、鑑賞後に色々と繋がってきた作品でした。

映画の物語を追うのではなくて、感じることの重要性、そこから得られる気づき、そういうことに満ちた静かな美しい作品だなという感じでした。

では。

チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』

「チャンスを生かしきれなかったアーセナルと運に見放されたビラ!だがその結末は『アーセナルvsアストン・ビラ』」

2分、 ウーデのボールの出し入れ相変わらず上手っ

8分、 サリバのプレスの速さヤバい

10分、 サーモンのスルー、タイミング、強さ完璧過ぎん

12分、 やっぱ今日のサーモン力加減わかってるな

16分、 ライスのライン取り素晴らしい

19分、 ウーデも見えてるな

24分、 ウーデのあの煽るの昂るんだよな。マジアツい男

41分、 あのライスの一歩の広さが頼りになるわ

43分、 これはオフサイだったけど今日のチェンコの縦パスいいわ

 

53分、 ハヴァさんの戻りも効いてるよ

63分、 ラヤのフィードはさすが

80分、 ライスの守備アップで見ると改めてタイトだな

 

想定以上に想定外な展開になってしまいました。

いやぁ、前半は良かったんですけどね。

それこそ決定機もわりとありましたし、ファイナルサードへのボール運びも全く問題なく、いつも通りのサッカーをしていたわけです。

実際にシュート数も14でオンターゲットも3でしたし、見るからに押していたのはアーセナルでした。

それが後半には一転、上のモーメントを見ても明らかな押されっぷりで、全くと言っていいほどゴールに迫れていなかった。

シュート数に関しても激減の4本。実際ボックス内全然入れて無かったですからね。当然の結果と言えばそれまでなんですが。

これは完全にエメリの修正力に軍配があがった格好でした。

シーズンダブルやられたわけですし、皮肉にもエメリのエミレーツ勝率は高いとのこと。

That victory means Unai Emery averages 2.26 points-per-game in the Premier League at the Emirates Stadium.

It is the highest rate of any manager with 10+ games at the stadium.

For reference, Arsene Wenger's record was 2.22 points-per-game while Mikel Arteta's is 2.11.

エメリ2.26、ヴェンゲル2.22、アルテタ2.11ですからね。何とも言えない結果ですよ。ヴェンゲルをも凌ぐとは。

とまあヴィラは後半からの修正として、前半あまり使用していなかったロングボールを使用するようになり、それによりアーセナルのラインが押し下げられ、間延びしたところを見事に崩されるという感じになったわけです。

同時に、アーセナルとしてはビルドアップも低い位置からの押し上げになってしまっていたので、中々運びきれずという展開も増えてましたからね。

交代も機能していたのかと言われると微妙だった気がしますし。正直前半の流れのまま、スミスロウ復活の狼煙が上がるといいなとは思っていたんですが、タイミングが悪く、杞憂に終わりました。

いずれにせよ、これに対しての上手い解決策が無かったアーセナルが撃沈したわけですよ。

とりあえず次のCLバイエルン戦、意地でも勝ってほしいところです。

では。

『灼熱の魂』:衝撃展開が止まらない、二度と観られない衝撃のラスト

これまた衝撃的。

「『灼熱の魂』:衝撃展開が止まらない、二度と観られない衝撃のラスト」

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レバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲をドゥニ・ビルヌーブ監督が映画化し、第83回米アカデミー外国語映画賞にノミネートされたヒューマンミステリー。

心を閉ざして生きてきた中東系カナダ人女性ナワルは、ある日、実の子で双子のジャンヌとシモンに謎めいた遺言と2通の手紙を残してこの世を去る。手紙はジャンヌとシモンが知らされていなかった兄と父に宛てたもので、まだ見ぬ家族を探すためナワルの母国を訪れたジャンヌとシモンは、母の痛切な過去と向き合うことになる。

後にハリウッドで「メッセージ」「ブレードランナー 2049」「DUNE デューン 砂の惑星」など話題作を次々に手がけ、高い評価を受けるビルヌーブ監督の出世作となった一作。2022年8月、デジタルリマスター版でリバイバル公開。

まずこれ、戯曲だったんですね。何も知らずに観たんですが、相変わらずドゥニ作品はエグいことをするなと。

映像的なドライさは常にあるのに、かなり手の込んだ脚本。緻密に練られすぎていて、どういった話なのか終盤までまるで全くわからない構成。

冒頭で示されている目的地はわかっているのに、なんかしっくりこない感じ。それによりどこに着地するのかわからないんですよね。

”思っていた世界と違う方向に連れて行かれる”というのはドゥニ作品に共通するところなのかも知れないです。

とまあ、本作は先にも書いた通り、脚本の素晴らしさが際立つわけですが、このお題をここまで映像的に上手く見せれるところが驚きなんですよ。

戯曲が下敷きにあるとはいえ、ここまで完璧なロードマップを描けるもんじゃないですからね。構成も完璧ですし。

同時に、完璧過ぎるが故に初回の衝撃が強く、内容も激重なので、何度も見返そうとは思えないわけですが、完璧なのは間違いないかと。

作中、レディオヘッドの楽曲が使われていたのが印象的ですが、これはなんか狙いすぎている感ありありで、際立ち過ぎていたような気もします。

特に冒頭のそれがそうで。なんか映像的なPVっぽさも相まってなおさら。

それでも精神性というか、映像的なイメージややりたいことはわかるんですけどね。

撮影の部分で言うと、ヌルっとしたような、覗き見るようなショットは何か好きでしたね。

この作品、衝撃的な展開が度々訪れるので、ホントにそれを気にしながら手探りで進んでいくような感じもありで、独特なテンポ感を助長するのに効果的に寄与していたような気はします。

後はとにかく自然音が際立っている。

水の音であったり、風の音、木々がそよぐ音や、鳥のさえずり。

そうした環境音にフォーカスが置かれている気がして、あくまでも日常との地続きの中でああいった世界線があるということを自覚させられるんですよ。

それが絶妙に嫌なフックになっているというか。

とにかくこの結末は知らずに観たほうが楽しめるかと。

タイトルも秀逸で、現代の原題「Incendies」はフランス語で火事、火災、戦火、動乱、 真っ赤に燃える光、激情、激昂、といった意味らしいんですよね。

このどれもが当てはまるほど、言葉にならない抽象的な感情を抱くわけですが、そのどれにも燃えるような静かな炎を感じるような感覚。

ラストでこのタイトル出た時、「まさにそれ!」と思ったのは言うまでもないです。

とまぁ、何も知らずにとりあえず観てみてください。

では。

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布でなく画用紙ならいける!質感を生かしたカレンダー作成2024編

「布でなく画用紙へ!質感を生かしたカレンダー作成2024編」

なんとなく何か作ってみたくなるタイミングがあるんですが、今回はカレンダーを作ってみました。もう1/4くらい今年は終わっておりますが。

カレンダーを布にプリントしていたのが気になっており、自分もそれがやりたかったんですが、布地にプリント出来る機材が無く、画用紙的なものに印刷し、質感を出してみることに。

やっぱり布と違ってそこまでの質感が出ないし、画用紙のカラーとプリントのカラーが混ざってしまうため、中々予想通りにいかず。

それならばと頭の中にあるイメージとカラーの調合を感覚的にさじ加減してみました。

ちなみにキャラクターを中央に配置したかったんですが、イラストが描けるわけでも無く、まずは一番好きなバンド、Blink182から拝借させていただきました。

まあ個人使用ですし、誰にあげるわけでも無いので。

これも色の加減が難しかったですね。あと配色のバランスが。

ちょっと毎年作ってもいいかなと思っているわけですが、それを来年も思うか否か。まあ気分次第といきたいところです。

では。

ケルトの神秘を纏う!彫刻的な美しさと存在感『CELTIC ARTS リルバーリング9号』

久々にアクセを購入しました。

以前から小指のリングを探していたんですが、ようやくというか。

小ぶりなもので、でも主張はあって、一見シンプルに見えるものが良かったんです。

基本人差し指に付けているのが星形と形状に主張があるものなので、それとバランスを考えた時になるべく形状は普通なものを探しておりました。

そこで購入に至ったのがこちら。

CELTIC ARTS リルバーリング9号」

元々A&Gは知っていたんですが、こちらのブランドは全然知らなかったんですよ。

実際A&G自体もそこまで好きなブランドというわけではなく、たまたま目に付いたこちらに引かれたんですよ。

装飾のディティールと美しさ、タトゥーにも似た模様の巧みさがあり、何とも言えない存在感。

調べてみると「CELTIC ARTS」というブランド自体の情報があまり無く、わかったのはこれくらい。

1997年、A&Gのオーナー兼デザイナーであるアマール・ゲソースが新たにシルバーアクセサリーブランド「セルティックアーツ(CELTiC ARTS)」を設立。

セルティックとは「ケルト族の」という意味で、その意味の通り、ブランドのコレクションはケルト族の紋章がモチーフとなることが多く、それにデザイナーのアマール本人がゴシックテイストを加味したデザインが特徴となっている。

主にシルバーアクセサリーを扱っており、ケルト文化やアイルランドの自然をモチーフにしたデザインが特徴です。

垂れ飾りやリング、ブレスレットといった製品がラインナップの中心を占めています。

装飾技法としては主にフィリグリーと呼ばれる複雑なレース状の刻み彫りを用いており、繊細さと奥行きある表現が魅力といえます。

ヴィンテージ調はもちろん、モダンで洗練されたデザインも豊富にそろえているのが強みで、幅広い年代やスタイルの女性に人気があります。

ついでにケルトについても調べてみると

ケルト族は、古代および中世のヨーロッパに広く分布していました。彼らの領域には現代のイギリス、アイルランド、フランス、スペイン、ポルトガル、ベルギー、スイス、オーストリア、ドイツ、イタリアなどが含まれます。

・自然を崇拝し、森林、木、動物等を神聖視していました。これはゲルマン族等の他部族とは対照的です。

・太陽や月などの天体を神として祀る太陽崇拝も特徴的でした。

・詩や歌による歴史伝承を重視する一方、文字記録はあまり発達しませんでした。

・装身具や武器、日用品にきわめて美意識溢れる精巧な意匠を施す傾向が強く、金属工芸が発達しました。

・女性も社会的地位が高く、戦場で活躍した女戦士も存在したとされます。

このように自然崇拝、精巧な意匠性、女性の高い地位等がケルト文化の特色であり、他の北欧系やスラブ系の部族とは一線を画すものでした。

実際のところ謎が多いらしく、その謎の多さ、自然崇拝、文字記録の未発達といった部分が自分の中でなんとなくピンと来たんですよね。

あとは何よりこの装飾ですよね。

シルバーとの調和が素晴らしく、特に側面の雰囲気と相まっての存在感が良い。9号と小ぶりなサイズにも拘らず、これだけの存在感があって、彫刻的美しさも兼ね備えているところにも魅力を感じたんですよね。

付けてみると目立ちはするけど、悪目立ちしないバランスも良きです。

良い買い物でした。

では。

CLベスト8でバイエルン相手に意地のドロー『アーセナルvsバイエルン』~CLベスト8 1st leg編~

やはりベスト8ともなると気迫が違う。

「CLベスト8でバイエルン相手に意地のドロー『アーセナルvsバイエルン』~CLベスト8 1st leg編~」

12分、ホワイトよく見えてるし落ち着いてる

15分、ハヴァさんのポジショニング最高やな、ホワイト決めて欲しかった

49分、ライスの強さ

52分、サリバの判断力と上手さ

53分、ウーデマジサボらない、ノーファールで奪っちゃうし

 

58分、サカの反転上手っ

61分、サリバのプレス良いね

75分、ボックス内であれ出来るジェズス、そしてとんでもない決定力のサーモン

83分、この時間のあの追い方、ウーデ鬼

 

両者の雰囲気もですがスタジアムの雰囲気もアツ過ぎる。

正直なところ、次のアリアンツを考えると1点でも多く取りたかったですね。なんせ今シーズンのアーセナルは守備も固いですし、バイエルンサポ0人のエミレーツ。これを考えると是が非でも得点差を付けたかったというのが本音のところ。

という感じなんですが、結果を見れば最悪の展開は免れて良かったのかなと。ポジティブに捉えれば、あの状況で良く同点までもっていったなと思いましょう。そう思うことにしましょう。

とはいえラストのあのシーンはPKだった気もするんですが。

それにしても前半のこのスタッツは意外でした。

バイエルンのオンターゲット、2/2って。決定力が異常過ぎる。しかもアウェイで。

とはいえ前半の状況はそこまで悪くなかったと思うんですよね。決定力であったり、崩しの部分での若干のズレが影響しましたが、久々のCLでバイエルン相手に。

そんな前半ですが、とにかく右偏重でした。

意図したものだったんだとは思いますが、ニャブリがサカにマンマークしており、常にダブルチームで当たられていたことを考えるともう少し柔軟性を持ったバリエーションも欲しかったかなと。

とはいえウーデが適宜おりてきており、ジョルジとともにボールを引き出していたのが救いでした。

ただ、キヴィオル、マルティネッリ、ライスがほとんど機能していなかったんですよね。特に攻撃面で。

ヴィオルもそこまで悪いわけでも無かったと思いますが、こういった大一番となると少々分が悪いといいますか、気の利いたプレーがそこまで出来るキャラクターでも無いので、左でのコンビネーションにおいて、起爆剤となることは出来ていなかったように思います。

もう少し柔軟にやれるとバイエルンとしても脅威になったと思うんですけどね。

とはいえアルテタ、後半からはその辺も修正してきました。

サネにやられていたので冨安を投入して守備力上げると思ったんですが、まさかのチェンコ投入とは驚きました。

でも、それにより左右のバランスが取れてましたね。66分にサネが交代になったのも影響しているとは思いますが。

この試合は交代がキーになったというか、そこで展開が変わったというのも大きかったですよね。

まずジェズス、23分間と短い出場時間ながら、メチャクチャ躍動しておりました。

ドリブル突破3/3にビッグチャンスも1作って、地上戦も4/4ですからね。気合入りまくり。

そして何よりあのゴールチャンスクリエイトには驚かされました。滾りましたからね。雄叫び上げちゃったくらい。

狭いスペースでの上手さと、経験値、大舞台でも全く変わらない技術は素晴らしかったです。

それからトロサール。

あの得点が全てを物語っていると言っても過言じゃないほど、決定機に強い。

今までもそうですが、ホント決めてほしいところで決めてくれるし、マジで頼りになる。最高ですよ。

CLベスト8となると得点シーンもパーフェクトなものが多いですよね。サカの1点目のゴールも完璧でしたよ。

あれはサカじゃないと決められないと思うほどのシュート。

いやぁ痺れました。

そういえばパーティがあまり試合に入れていなかったのが気がかりでした。怪我前のあの頼りになる感じはどこへいったのか。単なる感覚的なものなのであれば試合に出ることで取り戻せるとは思うんですが。

それにしてもウーデは相変わらずこんな試合でも超人でした。

攻撃にしろ守備にしろとにかく強度が落ちず、仕事量も多い中、マジで頼りになるキャプテン。次節も期待したい。

とまあ最悪は免れた試合となりましたので次のアリアンツ。是非期待したいところです。

では。

【IMAX推奨】『DUNE/デューン 砂の惑星 PART2』:圧倒的な映像美を堪能せよ!

「【IMAX推奨】『DUNE/デューン 砂の惑星 PART2』:圧倒的な映像美を堪能せよ!」

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「メッセージ」「ブレードランナー2049」のドゥニ・ビルヌーブ監督がフランク・ハーバートSF小説を映画化し、第94回アカデミー賞で6部門に輝いたSFアドベンチャー大作「DUNE デューン 砂の惑星」の続編。

その惑星を制する者が全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューンで繰り広げられたアトレイデス家とハルコンネン家の戦い。ハルコンネン家の陰謀により一族を滅ぼされたアトレイデス家の後継者ポールは、ついに反撃の狼煙を上げる。砂漠の民フレメンのチャニと心を通わせながら、救世主として民を率いていくポールだったが、宿敵ハルコンネン家の次期男爵フェイド=ラウサがデューンの新たな支配者として送り込まれてくる。

ティモシー・シャラメゼンデイヤレベッカ・ファーガソンら前作のキャストに加え、「エルヴィス」のオースティン・バトラー、「ミッドサマー」のフローレンス・ピュー、「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」のレア・セドゥが新たに参加。

まさかこんなにハマるとは。

普段であれば鑑賞後すぐにブログを書くんですが、この作品は納得するまで書きたくなかったんですよね。

別にブログ自体にそこまでのクオリティを求めているわけじゃないんですが、書いたら一旦消化してしまう気がして、ただただその余韻に長く浸っていたかった。

ちなみにこれを機にパート1も何度か観返していて、それにより当初よりはるかに評価は上がっていたんです。ただ、それでもダントツに2の方が面白い。

まあ1自体が準備段階というか序章、物語がほとんど始まってすらいないですからね。

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結局現時点で4回の鑑賞。まだまだ行ければ行きたいわけですが、それほどに圧倒的な世界観と映画体験でした。

そんな本作、色々な所でIMAXが推奨されているわけですが、これは冗談じゃなく本当に激推奨。

これまでもIMAXでの鑑賞は何度もしてきたわけですが、本作以上にIMAXを堪能できた作品はありませんでした。

何度もいいますがそれくらい圧倒的。

逆に言えばこれを家で観た時、どれくらい印象が変わってきてしまうのか。それも改めて確認したいところではありますよね。

ちなみにパート1に関して言えばIMAXを10点としたとき、ドルビー8.5、通常映画館6、家4.5。それくらいの肌感覚。

そんなIMAX向きな作品なんですが、何がそんなに向いているのかと言うと、ざっくり3点。

まず、縦の構図を存分に利用しているということ。

一般的なシネスコサイズが2.35:1に対して、IMAXは最大で1.43:1の画角にまで拡張するんですよ。これは一般のスクリーンに比べて約40%も広い。

特に縦の比率拡張が半端じゃなく、体感すると、ここまで縦が意識されているのかと驚かされるほど。

そうした効果が存分に発揮された画作りで構成されているのが本作というわけ。

見下されている感じや見上げている感じ、引きでの深さや高さを感じる構図もそうですし、サンドワームが出てきた時の圧倒的なサイズ感も圧巻でした。

それから画面の迫力を引き出すロングとクローズを使い分けたカメラワーク。

これも驚かされたんですが、今までのIMAXってロングショットやアクション的な迫力だけが違いとして出てくると思っていたんですよ。

それがクローズアップでもここまで差を感じることができてしまうとは。

微細な表情や気迫に満ちた表情。存在感増々でのそれと、ロングショットを巧みに組み合わせた表現というのは共に相互関係にあって、素晴らしく官能的でエモーショナル。

どっちも良いってことはつまり最高じゃないですか。画面上が常に最高な構図や画作りに満ちていて、恍惚感に溢れているんですよ。

個人的にはチャニの表情や、ポールの表情が様々な感情を感じさせ魅力的でしたし、二人が砂漠を背景に座っているショットなんかはサウンドも相まり、美しすぎて惚れ惚れしたほど。

そして最後が音響面。

12chサウンドシステムを採用していて、とにかく低音、効いてます。

まるでライブにでも来ているかのような臨場感と、震えるようなスリリングさ。

サンパーで煽られるのはサンドワームだけでなく、観ているこちらも煽られている気がするのは間違いなく、リズミカルな低音のループの効果もあるからでしょう。

音楽を手掛けているのはハンス・ジマー。監督同様、DUNEの大ファンらしく、そのこだわりっぷりや世界観の演出に、これでもかというくらいの意気込みで挑んでいることがひしひしと伝わってくるサウンド演出。

この”低音感”っていうのは絶対に家では体験不可能ですからね。防音室に最高の音響機材を揃えれば不可能では無いかも知れませんが、常人にはとても用意できないですからね。

つまり家での体験は事実上不可能。

通常のスクリーンで観ても物足りなく、IMAXを10とするならば、通常は5と、半減してしまうほどの差がある感覚でした。

前作に比べると、2の方が家で観た時の劣化が激しそうですね。それくらいに圧倒的映画館仕様。

そして、その他の部分も凄かった。

まず、フェイドの生誕イベントでのモノクロ演出ですよね。

確かカメラはREDを使用して、黒い太陽のジエディ・プライムを表現したようなんですよ。

このモノクロも凄い。単なるモノクロでなく、白を極端に飛ばしてハイキーにすることで独特な白すぎる白という特異な色彩に映すという演出がバチくそにハマっている。

花火的な祝砲もドゥニ・ヴィルヌーヴ作品、「メッセージ」を思わせる、墨のような独特なもので、これが奇妙で美しいんですよ。

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とにかくいちいち設定と作り込みが素晴らしいのなんのって。

そーいえば、個人的にツボだったのが見れば見るほど、ハルコンネン家の人物たちが魅力的に見えてくるというところもありましたね。

特にウラディミールですよね。

前作の毒ガスの時に隅っこで浮いていたり、黒風呂に入っていた時のコミカルさもさることながら、本作では更に色々とブラッシュアップ。

黒風呂もそうですが、ラッバーンが部屋に入る前のシーンもそう。女性の奇声がして、入ってみると何があったのか全くわからないけど、何事も無かったかのように入浴中というシュールさ。

フェイドの生誕祭での「Happy birthday・・・」という時の何とも言えない表情もそう。

あとは生誕祭終わりでのフェイドに対する皇帝の座も夢じゃない的な話の最後に言う「フェイド・ラウサ・ハルコンネン」の時のドヤ顔もですよ。

極めつけは終盤のシーン、殺される前でも皇帝の玉座に座りたいとする執念の階段這い上がりっぷりもなんか憎めないんですよね。

どれもが何か愛嬌を感じてしまう滑稽さを秘めているというかコミカルに見えてしまうんですよ。

別にハルコンネン家、好きじゃないんですけど憎めないんですよね。作品の表現上。原作ではそんな気は一切しないんですけどね。

それからテーマ的な部分を考えると、相変わらず「支配的」な構造はあったなと。

結局人は見えている世界の上位概念に支配され、その上位概念でさえさらに上の概念に支配されているような構図。

自分たちが生きている世界でも、主観が変わればその視点も変わるわけで、会社なんかでも新入社員、中堅社員、役付け社員、役員、社長、などと視点が変われば今まで見えていた世界と変わらないはずなのに見え方だけが変わっていきますし、感じ方も変わってしまう。

つまり「立場変われば・・・」ということなんですよね。

それからこの話、パート1だけみるとポールの英雄譚のような成り上がり物に見えるかと思うんですが、実際のところむしろ逆で、反英雄譚的な話なんですよね。

搾取される側から搾取する側になる、力無きものが力を持った時にどうなっていくのか。ということを考えた時、絶対に今までの気持ちを持っていられるかという切実な部分があるわけです。

その意味で原作とは異なりますが、チャニの視点というのはそれに対するアンチテーゼなわけで、パート3でそれがどういった描かれ方がするのか、非常に楽しみなところではあります。

とまあ細かいところを挙げるときりが無く、永遠に語れてしまうのであれなんですが、備忘録的につらつらと印象深かったところを書いて終わりにしたいと思います。

それでは。是非劇場で鑑賞ください。できればIMAXで。

 

・序盤のハルコンネン部隊が無重力装置で上昇していく浮遊感、逆に落ちていく重力感の対比

・フレメンの恋をすると青いものを身につけるという設定、その表現過程

・冒頭の山積みの人を焼き払うシーン(ハルコンネンがアトレイデスを)を終盤の同シーンで別の視点から(アトレイデスがハルコンネンを)という構造

・ベネゲセリットの企みも教母からジェシカ、対してラストでは「付く側を間違えましたね」というジェシカのセリフにより反転する構図

・皇帝の「心で民を掌握したかった」でもそれは不可能だった。というところからの、じゃあ力で制するしか無いでしょという行いの報いをポールから受ける構造

・サンドワームあんな苦労して乗ったのにフレメンはみんなあんな簡単に乗れるの?というくらい、サンドワームの上部で団らんみたくなっている移動シーンの謎

・核は人に使用してはいけないということで、砂山に放つが、確実にその核の影響出るでしょと思う場面

・ポールが覚醒し、南に移動したところからのダークサイドに落ちたなと思える、それまでの白を強調した画作りから黒を基調とした画作りへの転換

原理主義の巣窟だからポールが南に行くのを渋った気持ちがわかると言いつつ、結果的に南に行くべきよと言い放つ。その結果瀕死になり、蘇ってのビンタって一体どゆこと