あの時の空気感をそのままパッケージングしたかのよう。
『明け方の若者たち』
WEBライターのカツセマサヒコによる長編小説デビュー作を、「君の膵臓をたべたい」「東京リベンジャーズ」の北村匠海主演で映画化。
大都会・東京に生きる若者に訪れた人生最大の恋と、何者にもなれないまま大人になっていくことへの葛藤を描く。
明大前で開かれた退屈な飲み会に参加した“僕”は、そこで出会った“彼女”に一瞬で恋をする。世界が“彼女”で満たされる一方で、社会人になった“僕”は、夢見ていた未来とは異なる人生に打ちのめされていく。
“僕”が恋に落ちる“彼女”を「カツベン!」の黒島結菜、“僕”の会社の同期で後に親友となる尚人をテレビシリーズ「ウルトラマンタイガ」の井上祐貴が演じる。
北村匠海が好きで観出した本作ですが、この役は辛かった。演技がどうとかそう言う話では無く、この役柄そのものが辛かった。
もう少し年齢的に若い時代ににフォーカスされた内容であればここまで食らうことはなかったんでしょうが、この大学生から社会人という絶妙な部分でこの話、あるあるがあり過ぎて辛かった。
ようするに誉め言葉なんですが。
若い頃って良くも悪くも、一目惚れであるとか、一瞬の気の迷いとか、そんな唐突の連続だったと思うんですよね。
中でも恋愛とか人との出会いみたいな偶然の繋がりって、いまだに覚えているし、自分という人間の形成に深く刻まれている気がする。
その生々しさと高揚感、先のことなど考えず、今その瞬間を謳歌していたことへの情景にがちらつくし、それを思うとクラクラしてくる。
そんな学生から社会人に成り立ての空気感。現実を知り、社会人へと調和していく人間模様が非常に端的に描かれていく。
なんで若い頃ってあんなに夢を語ったり、希望があったんでしょうね。
今が無いわけではないものの、確実に失われてしまった何かがあることは感じてしまう。
先行きに悲観することなんて無かったし、なんなら明日のことすら考えていなかったかもしれない。
時間的なフォーカスも良くて、明け方という若い頃の絶対領域をチョイスするもんだから、そりゃ最高にエモくなるわけですよ。
あの友人や恋人なんかと見ていたマジックアワーのシーンなんて、自分も見たなと今でも思い出せますし、唯一無二の高揚感と焦燥感があって、非常に良かったなぁと。
劇中でも「あの時間こそが俺たちのマジックアワーだったのかもしれないな」と言っていたセリフにあるように、自分達では気付いていない水面下での体内時計と実際の時間軸とのシンクロのようなものを確かに感じた。
まさにそれが風景として表出化したといっても過言では無いあの光景。だからこそ、かけがえの無い時間だったんだろうなと。
セリフの中にも今だからこそ響いてくるワードがたくさんあって、「どんな時間もいずれは終わる」「本当に好きだった」「渋谷をジャックしてやる」など、若いからこそだからのセリフ。
青臭いような言葉かもしれないけど、それを言えること、言い合える相手がいた事がどれだけ幸せなで貴重な時間だったことか。
物語としてはかなり深い傷を負わせてくるし、黒島結菜演じる彼女に受けたことはどれだけ美化しても美化しきれないということも事実。
あの苦しみ、ホントわかるんだよな。
絶対に体験した人しかわからない虚無感。あれがあったから今の自分があるとはよく言ったものだけど、反面、そんなものは無くてもいいとも思ってしまうほどのインパクトなわけですよ。
結局思い出って美化されてしまうんですよね。
どんな思い出でもそれは絶対にある。逆に言えばそれがあるからこそ、今、未来を生きていくことが出来るとも言える。
所詮人は経験したことしかわかり得ないし、話や知識から得られるものなんてほんの少し役に立つ程度。
マジックアワーだってそうで、どれだけ映像で見ようと、話で聞こうと、その場にいて、誰かと見ること、一人でいて、一人で見ること。
体験しなければその時の気持ちや空気を感じ、真に理解することなんて出来ない。
そう考えると、本作での主人公と彼女、それ以外の人物達との時間は彼ら、彼女らのもの。
良かろうが悪かろうが、誰も同じ経験をすることは出来ない。
そんな一瞬を切り取ったという意味では良くできた作品だったんじゃないでしょうか。
今も未来では過去になる。理屈ではわかっているけど、なかなか理解し行動するのは難しいものです。
でも、わからずに過ごす中で、精一杯やることが一番重要なことなんだろうなと改めて痛感したところでもあります。
では。