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オルタナティブコミックの魅力映像化!曖昧な感情と青春の絶妙なバランス『ゴーストワールド』

オルタナティブコミックの魅力映像化!曖昧な感情と青春の絶妙なバランス『ゴーストワールド』」

ポスター画像


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ダニエル・クロウズのカルトコミックを原作に、疎外感を抱えて生きる少女2人の日常をポップかつユーモラスに描いた青春ドラマ。

幼なじみで親友のイーニドとレベッカは高校を卒業したものの、進学も就職もせずに気ままな毎日を過ごしている。そんなある日、2人は悪戯心から、新聞の出会い広告欄に載っていた中年男シーモアを呼び出して尾行する。イーニドは冴えないシーモアになぜか興味を抱き、彼の趣味であるブルースのレコード収集を通して親交を深めていく。一方、レベッカはカフェで働き始め、イーニドとレベッカは次第にすれ違うようになっていく。

アメリカン・ビューティー」のソーラ・バーチがイーニド、「のら猫の日記」「モンタナの風に抱かれて」などで子役として活躍してきたスカーレット・ヨハンソンレベッカを演じ、冴えない男シーモアを「ファーゴ」のスティーブ・ブシェーミが好演。「クラム」のテリー・ツワイゴフが監督を務め、原作者クロウズと共同で脚色も担当。

90年代の空気感と、青春時代のあの感じ、懐かしさと同時に、戻れない切なさを感じました。

新年一発目としては良い映画ライフが始まった感じです。

あの時代って、今にして思うと、確実に今とは違う、独特な空気感ありましたもんね。

バブル期のイケイケな感じでも、ストレートにロックやファッションを楽しむというより、斜に構えたような少し風変わりでありたいというような普通を嫌う感が蔓延していきている感じ。

この作品自体も原作はコミックからで、それもオルタナティブコミックというある種実験的なものからきているらしいんです。

オルタナティブコミックは、従来のマンガやアメリカンコミックスの慣習から逸脱し、独自で実験的なアプローチを追求するジャンルです。

一般的には独立系の小規模な出版社や自主制作作品として登場し、従来のジャンルや物語構造に縛られない自由な表現が特徴です。

オルタナティブコミックはしばしば文学的な手法や芸術的な要素を取り入れ、社会的なテーマや異なる視点からの物語を追求します。アーティストたちは新しい視点や表現の可能性を追求し、読者には多様なスタイルやトーンの作品を楽しむ機会が提供されます。

その辺をこの映画は上手く映像化してると思います。

単純にポスタービジュアルにしたって主演の2人の雰囲気、まずもって変ですもん。

それこそが愛らしさとして機能するから本作は素晴らしいわけですが、全編にわたってその皮肉めいたような、アンタッチャブル的な部分が盛り沢山で、真っ当な人からすると共感できない部分が多いんじゃ無いですかね。

その大半を担っているのはイニードという女の子なんですが、これがまた良いんですよ。

自分自身も学生時代にはこんなこと思ってたよなとか、バカみたいなことしてたなというような部分があるというか。

みんなと違くありたいけど、それは無理してるとかでは全然無くて、純粋にみんなと一緒というのが気持ち悪いというような感覚ですかね。

別に気取ってるとか、カッコつけてるとかじゃ無いんですよ。

ただただ居心地が悪いだけという。

それに対して、この物語の面白いところが、イニードに対してのレベッカがいるというところなんです。

ちなみにレベッカスカーレット・ヨハンソンが演じているわけですが、当時と今の雰囲気が違って面白い。

今も抜群に綺麗ですけど、個人的には当時のような雰囲気の方が好きですかね。

そんなレベッカとは高校時代の親友で卒業後も一緒に住もうと約束するほど仲も良い。でも、少しずつイニードとの間にうっすらと距離感も見え出したりして、ちょっとずつ溝ができてくるんですよ。

その感じもすごくわかるんです。

学生時代にはあんなに気があっていたはずなのに社会に出ると本質的な価値観に気付かされるとでもいいますか。

レベッカは意外に現実感があって、諦めや仕方なさみたいな、いわゆる当たり前の価値観があるタイプなんですよね。

これが悪いとかでは全然無いんですけど、イニードとしてはそこにズレを感じたんでしょう。それもわかるんですよ。

変わっている自分を称賛しているわけでも、誇らしく思っているわけでも無いのに。普通を受け入れられないというか、何が普通なのか、一般的なのか分かり得ないようなふわっとした状態。

むしろ一般的な価値観を受け入れられたらどんなに楽かと思ったりもするわけですよ。

その辺を補完する要素としてシーモアが出てくるわけですが、彼は彼で自分という人間をしっかりとわかっているんですよね。イニードが現れるまでは。

このシーモア役のスティーブ・ブシェーミも好きなんですよ。

どこか憎めない愛嬌ある感じと悪役として出てきたときの絶妙な小物感。レザボア以来好きなんですよね。

話は逸れましたが、そうしたイニードに対し、憧れにも似た枠の外に出たいという側面も見えてくるわけですが、この要素も描き方が興味深い。

といった感じで、学生から社会人へと移り変わる年代の独特な感覚と、時代的潮流のクロスオーバーが繰り広げられるわけです。

結局はイニード以外の登場人物たちはイニードから離れていき(むしろイニードから距離を取っていくという方が正確ですが)最後にはゴーストワールドに取り残されるっていう。

このゴーストワールドというのは自分の中にある”虚構的世界観”だと思っていて、そうした殻に閉じこもるとこうなるぞ的な側面もあると見せつつ、それでも希望としても描いているように感じるんですよね。

映画全編に漂う空気感にそこまで悲観の色がないじゃないですか。

この辺りの人間模様がコメディ仕立てに描かれていることもあって、何やらニヤリと出来、シュールで良い感じなんですよね。

全体感として宙ぶらりんなやるせなさ、これが上手く表現されているわけですよ。

それをあくまでもコミックタッチに、さらっと描いてしまう。

ラストまでなんとも想像できない展開なわけですが、一般的にはどう思うんですかね。

幽霊のような自分という不確かな存在に対しての希望と欲望に似たやるせない感情が混在したやるせなさ。

曖昧だからこそ、曖昧であるからなおの定められない不安定さがあるんじゃ無いでしょうか。

それが良いか悪いかはわからないかもしれないけど、確かにある自分の曖昧模糊な気持ちというのはあの時代にありがちな感情ではあるわけで。

そうしたことを抱いていても救われる世界線もあるのかもしれないと思いたいわけですよ。

儚き世界を夢見るものとしてはその世界観に満足してしまいました。

誰もが悩みを抱えて世界をサバイブしている。

改めてそんな現代にも通じる良き物語でした。

では。