この時期に最高のクリスマス映画に出会えた奇跡。
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
「ファミリー・ツリー」「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」の名匠アレクサンダー・ペイン監督が、「サイドウェイ」でもタッグを組んだポール・ジアマッティを主演に迎えて描いたドラマ。
物語の舞台は、1970年代のマサチューセッツ州にある全寮制の寄宿学校。生真面目で皮肉屋で学生や同僚からも嫌われている教師ポールは、クリスマス休暇に家に帰れない学生たちの監督役を務めることに。そんなポールと、母親が再婚したために休暇の間も寄宿舎に居残ることになった学生アンガス、寄宿舎の食堂の料理長として学生たちの面倒を見る一方で、自分の息子をベトナム戦争で亡くしたメアリーという、それぞれ立場も異なり、一見すると共通点のない3人が、2週間のクリスマス休暇を疑似家族のように過ごすことになる。
ポール・ジアマッティが教師ポール役を務め、メアリー役を「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」「ラスティン ワシントンの『あの日』を作った男」のダバイン・ジョイ・ランドルフ、アンガス役を新人のドミニク・セッサが担当。脚本はテレビシリーズ「23号室の小悪魔」「ママと恋に落ちるまで」などに携わってきたデビッド・ヘミングソン。第96回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされ、ダバイン・ジョイ・ランドルフが助演女優賞を受賞した。
何も事前知識を入れないで行ったのが功を奏し、特に何が起きるでも無い、日常の非日常風景を隅々まで堪能することが出来ました。
以前にも映画について、事細かに語れる映画とフィーリングやディティールとしての細部が光る映画がある気がするという話を書いた気がするんですが、その意味でいうと本作は後者寄り。
映画内における時間の経過と共に、徐々に映画と自分の関係性が構築されていく感覚があるんですよね。
舞台が1970年代のクリスマスということもあり、まるで雪が降り積もるように、自らの感情に積算されていく充足感。
観終わったあとに感情の重さで若干放心状態になるほど重く響きました。
まさかこんな形で、こんな作品に出会うなんて思っていなかったので、予想外の角度からのカウンターだったんですが、それもまた映画体験ならでは。
少し話は飛びましたが、まず冒頭から良いんですよ。
映画前に配給だったりスタジオだったりのアニメーションが出てくるじゃないですか。あれが既にノスタルジックで「あれっ、これは演出か?」と思いつつ見始める感じ。
それにより舞台設定が古いことを感じ、そのままシンプルにストーリーに入っていけたというのも気の利いた演出だなと。
作品内でも過剰になりすぎない、あくまでも気の利いた演出というのが多分に観られるわけですが、その気遣いというのもアレクサンダー・ペイン監督ならでは。
展開としての面白さもあって、日常系なのにとことん予想外の方向に向かっていくんですよ。もはやコメディなんじゃないかと思うくらい、斜め上の展開が多い。
実際人生においても予定調和は無いわけで、それを真に表現しているといえばその通りなんですが、そのリアリティをそこまで出してくるというのも驚きで。
ただ、そのどれもが起こり得るものであって、だからこそ感情移入できるというのも非常に珍しい作りになっているんですよ。
物語の設定も良かったですよね。
タイトルにもあるホールドオーバーズを直訳すると”居残りもの”。これが表すように、クリスマスの時期の帰省できない者たちの物語であって、それがここまでのエピソードになるって。
多くの人にとってはそうでないかもしれませんが、自分自身も人生においての居残りもの感というのはあって、結局マイノリティ側の人間というのは常に抱えている疎外感みたいなものがあるわけですよ。
それは人気者だろうとそうでなかろうと、マイノリティだと自負しているものにとっての内面が表す感覚なわけです。
それをこの置いてけぼりという状況において自分の感情と対比させて観た時、色々な物語が見えてくる。その役割をポール、アンガス、メアリーという三人が担っていくわけですが、その配置、役割も見事で素晴らしい。
最初は啀み合っていた関係性が絆に変わり・・・みたいな安直なものでなく、これまた容赦ない関係性を提示してくる。
このリアリティもまた至極当然で、わかり易くないちょっとした偶然から人間同士の関係性って構築されていくじゃないですか、その偶然性を媒介した繋がり方が見事なんですよね。
作中でアンガスが自ら「僕はハッキリと物を言い過ぎる」的な発言をするんですが、この物言いが作品全体にも通底していて、それはアンガスだけでなく、他の登場人物や物語そのものにも言えることだと思うんですよ。
だからこそ響くんですよ。観るものに、観たあとに。
序盤こそ、なぜこのメンバー、というかこのメンバーで話を進めていくのか?と思ったのですが、終盤にはこのメンバーだからこそ成立したとすら思えてくるほど。
人って完璧な人はいないわけじゃないですか、誰かにとって完璧はあるかもしれないけど、誰しもにとって完璧というのは現実的じゃない。
欠けているから、欠けていてこそ引かれる部分もあるのかななんて。
一枚絵としての優れた絵もあるかもしれないけど、パズルとしての優れた画もある的な。
このピースを揃えてピタッとハマった時の方が当事者にとってはかけがえない感じがするじゃないですか。
映画内でもそうした表現は多々見られるわけで、発言の欠け、嘘をつくということ、一般的にみて正しくない行動、それらも全て歪で欠けがあると思うんですよ。
でも自分はそうしたところにこそ惹かれてしまう。
だって品行方正、清廉潔白なものに、欠けた自らのピースを埋めれないですよ。
バカやったって分かり合える人がいて分かり合えるなら良いじゃないですか。
宿舎内の追いかけっこからの病院だって、ボストン散策だって、一般的にはクソなホリデーかもしれないけど、最高の思い出だと思いますよ。二人からその匂いがぷんぷんしましたから。
家族だったり親友だったり恋人だったりといった、親密な関係性が最良というのもあながち違うのかなとすら思える。
この映画を観ていると真に分かり合い、理解するためには関係性すらも後からついてくるのかもしれないと。
とにかく、語るにはあまりにも余白が多く、描写の機微に溢れた作品なので、実際に観て自らの心に募らせることをオススメします。
クリスマスにもう一度観たいと思わされたことも含め、良き体験となりました。
では。