凄い体験でした。
『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』
世界的ロックスター、デビッド・ボウイの人生と才能に焦点を当てたドキュメンタリー。
デビッド・ボウイ財団初の公式認定映画で、ボウイが30年にわたり保管していた膨大な量のアーカイブから厳選された未公開映像と、「スターマン」「チェンジズ」「スペイス・オディティ」「月世界の白昼夢」などの40曲で構成。全編にわたってボウイ本人によるナレーションを使用した。
ドキュメンタリー映画「くたばれ!ハリウッド」「COBAIN モンタージュ・オブ・ヘック」のブレット・モーゲンが監督を務め、ボウイやT・レックスらの楽曲を手がけた名プロデューサーのトニー・ビスコンティが音楽プロデュース、「ボヘミアン・ラプソディ」でアカデミー録音賞を受賞したポール・マッセイが音響を担当。
自分自身が年を重ねれば重ねるほど親近感が湧くというか、より一層好きになるアーティストとしてまず浮かぶのがボウイなわけですが、この作品を観るとその唯一無二な感じが何倍にも膨らむような、そんなボウイ愛に満ちた作品。
初めに聴きだしたアルバムがなんだったか思い出してみたんですが、おそらくハンキードリーがそうだった気が。
そんなことを思えば、”俺の名盤”も最近挙げてないなと思いつつ、これはこれでまた書きたいところですが、とにかくボウイのアルバムは作品ごとに色があり、ここまで振り幅を持ってクオリティを落とさず作り続けるアーティストというのもまあいないんじゃないでしょうか。
本人自身のアイコニックな部分と作り出される音楽の多彩さ。この両輪で走り続けたというのはやっぱり凄いと思いますよ。
本作はそんなデヴィッド・ボウイにまつわる初の公式作品。ドキュメンタリーとしての位置付けが強いと思いますが、それ以上に映像作品としてのクオリティが高い。
カオスという概念や言葉がピッタリなボウイの頭の中を覗いているような、体感しているような、そんな気分にさせられる、まさに体験そのもの。
色彩豊かな画面、粒がハッキリとした音像、音を楽しむだけの映画なら他にもあるかと思うんですが、それに加えてボウイの人生観や哲学、生き様そのものを垣間見えるというのが素晴らしく貴重だなと。
逆に言うと情報量が多過ぎて、画的にもかなりカオティックな映像のマッシュアップの連続。なので疲れていると頭がついていけないこともあるかもしれません。
ただ、その理解できるできないということも含めてボウイの作家性だと思うので、まず”食らう”ということが重要な作品といえるんじゃないでしょうか。
その後で二度でも三度でも観れば良いんですから。
ボウイの作品をリアルタイムで聴いたのはネクストデイからだった気がしており、そこまで世代ど真ん中じゃないのになぜここまで惹かれていたのか、これが気にはなっていたんですよね。
それがこの映画を観てわかりましたよ。それは何かと言えば、ボウイの在り方や考え方。
時間認識、カオスという感覚、中道を好まず変化を愉しむということ、そうした人生観を通して作られる楽曲やアルバムがメチャクチャ刺さっていたんですね。
考え抜いた人にしかわからない境地みたいなものがあるからこそ、それを具現化した時に説得力があるというか。
一番響いたのが”中道を好まない”というところ。辛い道のりと楽な道のりがあったとしたら絶対に辛い道を行き、まわりに迎合するよりも自分の思う道を進む。この姿勢ですよ。
自分も人生の中で迷った時は絶対に安易な方向には行かないようにしていて、一時の楽さより、一生の学び。これが重要だと思うんですよ。
「人生一度きり」なんてよく言いますが、本当の意味でそう思っている人なんてそう居ない気がするんです。そりゃ誰もが望んで辛い思いなんてしたくないはずですよ。でも、そういった状況ですら、別角度から捉えれば、学びの機会に変わるわけだし、経験に勝るものは無いと思えば、その先の自分の糧にもなる。考えるだけでも難しいことだと思うけど、それを行動に移すのはもっと難しいと思う。それを体現できるのがボウイなわけで、まあそんな人間もいないわけですよ。
しかもそれを高次元かつスタイルまで伴っているんですから。
そのスタイルもとにかくカッコ良い。音楽性同様、様々なジャンルを横断し、決して変化を恐れない、むしろ通り抜けて最先端をひた走る。グラム期が一番イメージ通りな気もしますが、それ以外のスタイルもさすがボウイといったような感じで、どこを切り取ってもスタイルがあって自分のものにしてしまってるんですよ。
ジェンダーレスと言われる以前から完全にジェンダーレスですし、誰かの目を気にしていないのがわかる”らしさ”の塊。こういう人になりたい。その人生哲学を学べる、ある種教科書のような作品になっているといっても言い過ぎではないでしょう。
作品内はそういったボウイ哲学の宝庫で、ナレーション自体も本人が前編に渡りやっているんだからもう至れり尽くせりですよ。
そんな中で”中道を好まない”ということ以外でビビッときたくだりをいくつか。
まず、自身を個性的だと思っていないところ。
というより興味を集めた集合体が自分であり、コレクターだと言い切ってしまうところ。
自分が変化し、第一人者になるというより、好きを集めたら自分なりの形になったというところでしょうか。マジでカッコいい。言ってみたいですよ。
それから、仏教的な概念としての無常感。
物事は変化していないように見えても少しづつ変化しており、変わらないものは無いということ。
確かにどんなに変改してないと思うものでも、人でも、何かしら変化しているのかもと思うと見え方は変わってくるなと。その”変わる”ということに対しての捉え方、考え方がなんか良いんですよ。ボウイが言うと。体現しているからなんでしょうね。実際それもあってか、持ち家は持っていなかったようですし、海外生活も全く厭わず、点々としていたというのもさすがとしか言いようが無いですよ。
そして個人的に一番驚いたのが、”メロディをリズムに変換する”という考え方。
今ではそこまで珍しいことじゃないでしょうし、体感的にも理解できるものの、当時の感覚でそれを考え、実践していたというのもボウイならでは。
キャッチーなメロディの楽曲を多数出していた中で、この転換というのは彼の幼少期のブラックミュージックとの関わり、ルーツ的なリズムへのバイブスを感じました。
奇しくもラストアルバム、『ブラックスター』にて、ジャズとヒップホップを融合したようなビートミュージックに傾倒したというのも面白い顛末ですし、最後まで気概しか無い人生だったんだなと思うと、一層響いてくるわけです。
自分がドラムを始めたのも、根っこの部分にビート、リズムへの憧れのようなものがあり、それを自ら鳴らせるという本質的な喜びがあったからなんだろうなと思うと、これまた沁みるわけです。
まあ他にも書ききれないくらい気付きと驚きに満ちた映画だったわけですが、これは何度も観て咀嚼したいと思わせる作りでした。
音楽的なトリートメントも素晴らしく、何と言っても映画館で観たい作品。家で観るなら最低限ヘットホンで爆音上映して欲しいところです。
とりあえずボウイを聴き直してみよう。聴いたことある人もない人も、それだけは間違いないんじゃないでしょうか。
では。