『人がドラマの主役だった時代を感じる~ロングバケーション編~』
「月曜日はOLが街から消える」と週刊誌などで言われ、このドラマの影響でピアノを習い始める男性が増えるなど「ロンバケ現象」なる社会現象を巻き起こした。
主演の木村はSMAPの人気上昇とともに人気がうなぎ上りだった頃であり、山口も既に「ダブル・キッチン」「29歳のクリスマス」などのヒット作に出演し人気女優の仲間入りを果たしていたこともあり、人気者同士の共演は話題を呼び、初回視聴率でいきなり30.6%という高視聴率を記録。
その後も安定して高い視聴率をキープし、最終回で36.7%と最高視聴率を記録し有終の美を飾った。
このドラマが公開されたのが1996年。
タイムリーでは小学生だったこともあり、そこまで記憶には無かったんですが、名前とドラマのパッケージだけは記憶にある感じ。
今の時代、ドラマによってはサブスクなどで手軽に観れる作品も多い中、まだまだコンプラなのか権利関係なのかで観れない作品って意外と多いんですよね。
この作品自体もDVDを借りたりで観れるんですが、手軽に観れる作品じゃないこともあり、今まで観ておらず。
それが木村拓哉新ドラマ公開前ということでTVerにて配信されていたんですよ。
そんな経緯で観だしたんですが、やはり全編に渡って時代を感じさせる。
冒頭の説明無しでのあの演出って。今もそういった作品自体はありますけど、あそこまで突拍子も無い展開と言うのはこの時代感があってこそなんじゃないでしょうか。
まず扱うテーマと言うか設定が今では考えられないようなもの。
ベタベタのラブストーリーで主人公はピアニストと落ち目のモデル、しかも20代と30代の恋愛っていうところも当時の時代を感じさせる。
出てくる役者も今考えると超豪華なメンバーで、その配役もピッタリなんですよ。その辺のバランスも見事で、だからこそ名作認定されてるのかなと。
ロンバケの視聴率って平均で29.6%、最終回に至っては36.7%と今の時代から考えたら驚きの視聴率を叩き出している。街からOLが消えたという逸話もあるくらい当時の女性に刺さっていたっていうのも納得ですよね。
今と全然違う恋愛観だったり社会背景を下敷きにした本当の意味での日常系ドラマ。仕事後の過ごし方であったり、交友関係、そういった価値観の違いが何より衝撃的で、今観ると憧れを抱いてしまうほど、今と全く異なる価値観。
今ってバリバリ仕事して、盲目的に悩んで、恋をして、飲んで、遊んで、そんな生活送っている人ってそういないと思うんですよ。
それが出来たのが良い時代だったのかと言われるとそれもまた悩ましい所ではあるんですが、確実に時代は変わったんだなと。
まず携帯電話が出てこないという衝撃。
この家電話や人伝でしか伝えられないというのもドラマチックさを助長しますし、だからこそ思い思われ振り振られ。要するに色々なことを推測する中から一喜一憂していたんだろうなと。
それ以外にも色々な違いはあるんですが、この違いは一番強く感じましたね。
なぜ、この作品がこんな名作と言われ、当時観られていたのかを考えた時、何度か出てくるカットを見てふと納得してしまったんですよね。
それが何かというと、鏡に映る自分、写真に映る自分、ピアノに映る自分。要するに自分というアイデンティティを強く反映しているような時代描写。自己主張をできるようになってきた社会背景があったり、それが出来ることがカッコいいと思われるようになってきていた風潮があったからこそ、そうした演出もあったんだろうなと。
それをまさに体現しているのが南演じる山口智子なわけですが、他のキャラクターも全員どこかしらのアイデンティティが見え隠れするわけですよ。
今でこそ、個を大事にする傾向はありますけど、むしろ今の方が自由が広がった分、どこかしらで同調したり、埋没したりといった、内なる部分、趣味や趣向では個を出す一方で、表現として個を主張する人は減っている気がしている。
そう考えると、この時代の方がポジティブにみんなが生きているというか、とにかく傍から見ると”楽しそう”この一点に尽きるなと。
仕事後にこんな毎晩どこかに行って、何かが起きて、それがドラマだと言われればそうなんですが、それにしても今の描き方とは違い過ぎる。
ピアノのシーンにしてもそうで、勝手に防音の部屋なんだろうなと思っていたところ、ガンガン外に音漏れする普通の住居であの演奏。しかも窓まで開けちゃってますし、1Fにいても全然聞こえる感じ。弾いているのも結構遅めの夜って。
夜中に突然バタバタと出かけたり帰ってきたり、かと思えば屋上で花火やBBQしたり、隣のバスケコートで夜にバスケしたり。
煙草もどこでも吸えちゃうし、路駐もどこでも出来ちゃう。
その辺のモラルが無いのが逆に良いいなと。完全に個人的な主観ですけどね。
今の時代何でも縛りまくって、規制して遠慮して、でも当時はここまででは無いにしろ、それなにり自由の幅があったんだろうなと思うと羨ましく思えるわけですよ。
そんな中、今まで出会わなかった対照的ともいえる二人が出会い、恋に落ちていく。この理屈抜きの展開こそが、恋なわけだし、理想なわけですよ。
憧れの部分の話で言うと、このドラマがきっかけで当時ピアノを始めた男性も多かったらしいですね。
まあそりゃこのドラマを観たらその気持ちもわかりますよ。
キムタクが最高にカッコイイ時にあのシチュエーションで弾くピアノって。
実際クラシックをそこまで聴くわけでは無い自分ですが、完全に音に耳を奪われると言いますか、そういう音楽の使い方と印象付けが上手いですよね。
個人的に一番ピアノの良さを感じたのが最終回でのコンクールの場面。
あの時、ピアノの音の空気感が変わった気がしたんですよね。演出的に。今まではピアノから音を出していたような雰囲気で、上手いし良い音を出している。だけど裏を返すとそれだけといった感覚。それがあのコンクールでは誰かの為に音を奏でている感じ。身に纏っている空気を鍵盤を通して伝染させ、拡散しているような空気感。
これが誰かの為に弾くということなのかと思わされる。
それ以前にも何度かあった、南に語りかけるようなピアノでのメッセージ。ピアノという楽器を通してのやり取りも素晴らしかったんですよね。
今では考察考察といったようなドラマを分析したり、隠れた伏線を回収したりといった技術的な作りにフォーカスが向かいがちですが、昔のドラマの様な雰囲気、空気感で押し切る作品も改めて良いものだなと思うわけですよ。
何も考えずに観れて、観たらポジティブな気持ちになれる。
言ったら矛盾や粗なんて腐るほどありますよ。回収されない伏線だって山盛りだし。それでもただ”恋がしたい””瀬名の様にピアノが弾きたい””南みたいにカッコ良く生きたい”そういった憧れだけで観れる作品もいいじゃないですか。
事なかれ、安定主義が蔓延ってきている今にこそ、観るべき作品だなと改めて思わされました。
では。