初期衝動カムバック。
『リコリス・ピザ』
「マグノリア」でベルリン国際映画祭の金熊賞を受賞したほか、カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界3大映画祭の全てで監督賞を受賞しているポール・トーマス・アンダーソン監督が、自身の出世作「ブギーナイツ」と同じ1970年代のアメリカ、サンフェルナンド・バレーを舞台に描いた青春物語。
主人公となるアラナとゲイリーの恋模様を描く。サンフェルナンド・バレー出身の3人姉妹バンド「HAIM(ハイム)」のアラナ・ハイムがアラナ役を務め、長編映画に初主演。
また、アンダーソン監督がデビュー作の「ハードエイト」から「ブギーナイツ」「マグノリア」「パンチドランク・ラブ」など多くの作品でタッグを組んだ故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子クーパー・ホフマンが、ゲイリー役を務めて映画初出演で初主演を飾っている。
主演の2人のほか、ショーン・ペン、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディらが出演。音楽は「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」以降のポール・トーマス・アンダーソン作品すべてを手がけている、「レディオヘッド」のジョニー・グリーンウッドが担当。2022年・第94回アカデミー賞で作品、監督、脚本の3部門にノミネート。
近作では少々重めなテイストと言いますか、気軽に観るにはちょっとな作品が続いていた印象でしたが、また初期のPTAテイストが帰ってきましたね。
これはこれで純粋に嬉しいことだし、ある意味進化した初期衝動に触れている感じ。
はっきり言ってメチャクチャカッコ良いキャラクターが出てくるわけでも、メチャクチャ可愛いキャラクターが出てくるわけではないものの、惹きつけられる魅力は最上級。
まぁハイム一家出ちゃってますし、ショーンペン、トムウェイツ、ブラッドリークーパーもかなり贅沢な感じで登場。中でも驚いたのはクーパーホフマンですかね。
ダスティンホフマンの息子というだけで激重な枷を背負っているわけですが、その重圧をものともしない堂々たる演技。映画自体も初出演とかそんな感じじゃなかったかなと思うし、10代という年齢を考えると余計に凄さが浮かび上がってくる。
クーパー演じるゲイリーですが、序盤こそ憎たらしい印象だったものの、観ているうちに不思議といい奴に見えてきてしまうというキャラバランスもさすがPTA。というか絶対根はいい人ですよね。
そんな絶妙なバランスの存在感含め、中々に父親譲りな影響が垣間見えてくる。やはり血は争えないなと。
作品自体はまさに青春ドキドキもののワクワク系。若い頃に誰しも経験したような恋愛にまつわる諸々や背伸びした諸々の話。なんですが、PTAが手掛けると一味違ってくるから面白い。
単なる青春群像劇に終始しない独特のストーリーテリング。物語の整合性が取れているようで取れてないというか、唐突に起きていくアレコレが置き去りにされ、回収もされない。
観ている時に頭の片隅に残っていたことは殆ど解決せず、むしろスッキリとしないことを良しとしているような衒いすら感じさます。
でも考えてみると青春の一ページって大体がそう言ったものであって、断片的かつ偶発的で突拍子も無いことの連続だったなと、だからこそあんなに忘れない思い出として何十年も刻まれている。
見るもの全てが新鮮だったし、ワクワクした。あの煌びやかな感じが映像全体にも良く表れていて、その辺の映像美もかなり見物。
フィルムで撮っていることもあり、ノスタルジックで諧調の豊かな色彩、深みのある色使いや煌びやかなライティング。衣装や美術の作り込みも素晴らしく、とにかく世界に没頭できるような作りがPTA的であり魅力的な部分。
そんな世界観の中で繰り広げられるドタバタ劇は、笑いあり、ドキドキありで、とにかく青春時代の一ページそのもの。そう感じるのもそのはずで、この話は実際にPTAが過ごした青春時代を基に作成された、ある種自伝的作品とのこと。
まあ全ての人が過ごした青春時代が、あんなに煌びやかだったとは思いませんが、思い出は美化されるし、何気ない一コマもかけがえのないものだということは誰にとっても普遍的な事実。それをどう見せ、描くのかということが重要なわけで、それをこのような形で出来ることが監督の才能かと。
物語の整合性という意味でいうと、この辺の構成も上手いなと思っていて、ストーリーがあるようで無い、ゴールがあるようで無い。この感じも正に青春時代だからこそ。あの年代って本当に考え無しに、それこそ行き当たりばったりで過ごしてたなと。だからこそ驚くべきことが起きたり、腹から笑えるようなことがあったり、肝を冷やすような絶望を感じたりしたり。
そんな全ての刹那さを内包し、あれだけ華やかに映像として見せられたらそりゃアガりますよ。
サウンド一つとっても選曲が抜群で、使い方もかなり良い。ニーナシモンの楽曲が流れた中での映像は何と至福な事か。
サントラを手掛けているのもPTA組のジョニーグリーンウッド。彼の音楽って本当にPTA作品に合うというか、空気感との親和性が高いんですよね。正統派じゃないのにここまで違和感無く映像とリンクするのはさすがの手腕です。
中でも表題曲のリコリスピザ、これは美しすぎるストリングに圧倒されます。切なさと懐かしさと音像の広がりが全てを包んでくれるようなメチャクチャ良い曲です。
映像、音楽、美術、キャスト、そういった構成要素を違和感なく配置するセンスに長けてるんだろうなと改めて感じさせられた作品でした。
撮影一つとってもそうで、序盤からやけにカメラの前を人やらなにかが横切るなと思っていたんですが、それも記憶にまつわる思い出としての認知を視覚化したのだと考えるとしっくりくる。
思い出って起きている事柄にフォーカスが当たるわけで、どうしてもその周辺の事柄からはおざなりになるというか、正直良く覚えていないと思うんですよね。そんな不確かさが映像としても脚本としても緻密に仕込まれているように思うし、その曖昧さこそがこの作品の魅力なのかとも。
後気になっていたのがシルエットで人を映すショット。
これもPTA演出では良く使われると思うんですが、本作でのそれは最後に自分の中でバシッと決まった気がしていて、それはどういうことかというと、不確かさから一転した最上級の同化なんじゃないかと。
シルエットが黒くなり、人同士が完全に繋がり合う、作品内で言う所の二人が完全に繋がる形になり、風景とも一体となり溶け込む。
だからこその理解しあえたような場面で使われるシルエットショットは何か引き寄せられるものがあって、魅了されてしまうのかもしれないと。
ラストのエンドクレジットもあえてのロールにせず、ページの様に切り替わっていく仕掛けは、思い出の断片性、連続性の中で起きているようでいて実はページをめくるように不確かで独立していることを示しているんじゃないか。
映画の見方は自由。だからこそ、自分の青春を映画に出来るわけだし、解釈は誰でもどんな風にでもしていいんじゃないか。
書いていたら改めて観たくなってくるじゃないですか。
とりあえずもう一度観に行こう。