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ウエスト・サイド・ストーリー

変わること、変わらないこと。

『ウエスト・サイド・ストーリー』

ポスター画像


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スティーブン・スピルバーグ監督が、1961年にも映画化された名作ブロードウェイミュージカル「ウエスト・サイド物語」を再び映画化。

1950年代のニューヨーク。マンハッタンのウエスト・サイドには、夢や成功を求めて世界中から多くの移民が集まっていた。

社会の分断の中で差別や貧困に直面した若者たちは同胞の仲間と集団をつくり、各グループは対立しあう。特にポーランド系移民の「ジェッツ」とプエルトリコ系移民の「シャークス」は激しく敵対していた。

そんな中、ジェッツの元リーダーであるトニーは、シャークスのリーダーの妹マリアと運命的な恋に落ちる。ふたりの禁断の愛は、多くの人々の運命を変えていく。

ベイビー・ドライバー」のアンセル・エルゴートがトニー、オーディションで約3万人の中から選ばれた新星レイチェル・ゼグラーがマリアを演じ、61年版でアニタ役を演じたリタ・モレノも出演。

リンカーン」のトニー・クシュナーが脚本、現代アメリカのダンス界を牽引するジャスティン・ペックが振付を担当。2022年・第94回アカデミー賞では作品、監督賞ほか計7部門にノミネートされた。

スピルバーグ監督最新作ということで公開前から気になっていた本作。

正直ミュージカル的な作品というのはあまり好きでないというか、好んで観る作品では無いのですが、名作のリメイク、さらにスピルバーグのということもあり、折角ならIMAXで観ようと池袋まで行って参りました。

結論から言うとこれは確実に映画館向き。

ストーリ云々ということはさておき、映像的圧力が強いこと、音圧、空間的演出が素晴らしく、とにかく没頭できる環境が重要かと。

冒頭からぞくぞくするようなカメラワークに驚かされ、俯瞰から寄りのダイナミズムとざらついた質感の映像美。

何かが始まるんだという多幸感と共にスピルバーグ節全開で物語が始まります。

なんかもう冒頭からやり過ぎなくらいスピルバーグ全部乗せな感じがして、それなのに嫌味が無い感じも含め、映画ってこうだよなというある種のノスタルジックな感覚にさせられました。

説明は無いのに、ある程度の状況であったり人間関係を把握させる演出力。やはり流石の手腕。

元がミュージカルなのでその要素が入ってくることは知っていたんですが、その入り方も潔くて良い。小手先でどうこうするような作品もある中で、完全にダイナミズムに振り切った映像表現。サウンドとライティングの妙も重なり、スペクタル感が半端無い仕上がりにただただ上がるばかり。

ミュージカル系のなにが苦手って、その辺の境界線があまり好きじゃなくて、どうも没入し辛い。唐突なのはわかる、わかってるんだけどもうちょっと何とかならないかと思っちゃうんですよね。

それが現実の舞台で演じていればまだしも、映像の中でとなるとなおさら。

その辺の見せ方と演出が素晴らしかったことが本作の一番のポイントだった気がします。まあこれは完全に個人的な趣向の話ですが。

さらに何と言っても映像の華やかさ。

ミュージカル演出にも関わっているところではありますが、とにかく美しい。

これは綺麗な映像とか、美しい風景とかそういった類のものでは無くて、映像的な動く画として観た時、これ以上ない程に美しく見えるということ。

カラコレにしろ、ライティングにしろ、カメラワークにしろ、描写にしろ、影にしろ、とにかく何をとっても、どの場面を切り取っても美しい。

物語自体は1960年代初期のものなので少々古臭く感じるところもあるかもしれませんが、それを完全に忘れさせるほどに圧倒的画力。

こう書くと語弊があるかもしれないですが、物語的な説得力も十分にあって、それこそ普遍的な愛の話であるから、そこはそこでかなり響くものがある。

今の価値観や風土、慣習から言えば考えられない状況だし、理解できないのは間違いないとも思う。

それでも抱えている葛藤や問題というのは普遍的だなと思うし、そうした普遍的な部分にこそ古典の持つ良さなのかとも思えてくる。

愛より命なのか、命より愛なのか、差別とは、人はなぜ争うのか、誰もが漠然と認識している問いに対し、ド直球に待った無しで突き付けてくる問題提起が痛いほどに突き刺さってくる。今ほど全ての出来事に待った無しの時代だったからこそ、よりシビアに、よりリアリティを持って迫ってくるのかもしれません。

そして、文字通りの状況が起き、負の連鎖を生んでしまった時、ようやく気付くのだろうけど、時すでに遅し。人生というのは無常なもので、やり直せないということを本当に痛感する。

自分自身の愚かな考えを思い起こしながらこの文章を書きつつ、フラットな頭でどうしても捉えられない人間の性みたいなものを改めて認識させられる。その余韻も消えやらぬ中、映画のラストに湧いた虚無感と共に、少し立ち止まって考えてみようかと思います。

映画としての満足度以上に、映像体験としての強度がある作品だと思うので、まずそれを最高の環境で。

では。