孤独は誰にでもある。
『ロケットマン』
最近孤独とかやりがいとかって何なんだろうと思うことがあって、そういった苦悩というかある種の普遍性を見た気がしました。
誰もが名前くらいは耳にしたことがあろうエルトンジョン。音楽性は大変ポップなものが多い中で、彼がそういう楽曲を生み出すのかといった背景は全く知らなかった。
映画を観る前の個人的な印象はとにかく派手で明るくチャーミング。音楽性も生粋のポップシンガーといったものでした。
冒頭のシーンはどういう状況なのか、全く自体が飲み込めないまま作品が過去から進行していくところは観客にそのイメージとのギャップを埋めさせる、パズルのような作りになっていて、ラストでそれらを消化が消化されるような作りは映画にしかできない、誰かの人生の追体験をしているようで、凄く好きでした。
ただ、ミュージカル作品の程をとったような過剰な演出は物語性との若干の分断を感じて、もう少し抑えめでも良かった気がします。
とはいえ、エルトンジョンの人生が音楽と切り離せなかったこと、音楽だけが拠り所だったことを考えると、必然的な構成だったようにも思います。
順風満帆、知名度もあってお金もある。そういった社会的な成功が本人の幸せに繋がるわけでは決してないのだということを、それこそ彼の身をもって証明されていたように思えたりもしました。
何か一つでも拠り所があればそれを救いに生きていけると言われますが、そんなことは決してなくて、その人がそれに気付いて受けて入れて初めて機能するのだという、真理みたいなものにも触れた気がします。
生き辛い世の中、生き易い世の中、どちらも存在しておらず、自分の考え方ひとつで一変してしまうのがこの世なのかもしれません。
ただ個人的には何も嫌な事がなく、順風満帆な人の芸術性よりも、痛々しくて辛い経験をしてきた中から生まれる芸術の方が圧倒的に共感できるし、好きです。
音楽を拠り所にし、持ち得なかった華やかさを演じ、ド派手に振る舞う。痛々しいけど、そうしなければ心を保てなかった彼だからこそのギリギリのパッションが音楽という形で体現されていたんじゃないでしょうか。